F1には毎年新人ドライバーが参戦をする。
デビューからトップチームに所属するドライバーもいるが、大抵は下位チームでデビューし、のちにトップチームに移籍したキャリア中盤以降に活躍する者も少なくない。
そう、成功するかどうかは数年後に分かるのだ。
そこで今回は、『F1デビューシーズン別ドライバー成績表』と題し、1990年代にデビューした新人のその後の活躍をシーズン毎に見てみた。
はたして新人の当たり年は、何年のシーズンだったのか?
表の説明
・チャンピオン獲得ドライバーを赤字で、優勝ドライバーを太字で記載
・ドライバーの成績は2020年シーズン終了時
1990年デビュードライバーの生涯成績
ドライバー | 出走 | PP | 優勝 | 表彰台 | FL | pts |
---|---|---|---|---|---|---|
G.ブラバム | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
D.ブラバム | 24 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
J.モルビデリ | 70 | 0 | 0 | 1 | 0 | 8.5 |
C.ランジェス | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1990年にデビューしたF1ドライバーは4人。
この中で出世頭はジャンニ・モルビデリで、フットワークに所属していた1995年に最終戦のオーストラリアグランプリにて3位表彰台を獲得した。
しかしF1で優勝を記録したドライバーはおらず、1990年の新人は・・・すみませんハズレ年でした。
1991年デビュードライバーの生涯成績
ドライバー | 出走 | PP | 優勝 | 表彰台 | FL | pts |
---|---|---|---|---|---|---|
E.ヴァン・デ・ポール | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
K.ヴェンドリンガー | 42 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 |
E.コマス | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 |
A.ザナルディ | 44 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
M.シューマッハ | 308 | 68 | 91 | 155 | 77 | 1566 |
P.チャベス | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
M.バーテルス | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
M.ハッキネン | 165 | 26 | 20 | 51 | 25 | 420 |
服部尚貴 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
F.バルバッツァ | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
M.ブランデル | 63 | 0 | 0 | 3 | 0 | 32 |
前年から一転、1991年シーズンは新人豊作の年だった。
まずは、ミハエル・シューマッハがジョーダンから予選7位というセンセーショナルなデビューを果たす。
その後はご存知のとおり翌戦からベネトンに移籍して、チームメイトのネルソン・ピケを引退に追いやり、同時にアイルトン・セナやナイジェル・マンセル、アラン・プロストなどの当時のトップドライバーを脅かす存在になる。
そして1994年にセナなきF1の主役となりチャンピオンを獲得すると、1995年も連覇。
1996年にフェラーリに移籍すると、2000年からフェラーリ最強の黄金期最大の立役者として通算7度の世界チャンピオンを獲得することになる、F1界きってのレジェンドドライバーとなった。
そしてもうひとりがミカ・ハッキネン。
彼は当時下位チームだったロータスからデビューし、1993年に低迷期のマクラーレンに移籍するも、1998年にマクラーレンMP4-13を駆り、自身初のワールドチャンピオンを獲得すると、1999年も連覇。
最強ミハエル・シューマッハが認める最大のライバルとして、その名を刻んだ名ドライバーだった。
ということで1991年は、ふたりの世界チャンピオンを生み出した、新人超豊作の年だった。
1992年デビュードライバーの生涯成績
2018年日本GPにて
ドライバー | 出走 | PP | 優勝 | 表彰台 | FL | pts |
---|---|---|---|---|---|---|
ジョバンナ・アマティ | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
片山右京 | 97 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 |
A.キエーザ | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
E.ナスペッティ | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
D.ヒル | 122 | 20 | 22 | 42 | 19 | 360 |
C.フィッティパルディ | 43 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 |
P.ベルモンド | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
P.マッカーシー | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1991年に続き1992年もその後のワールドチャンピオンを生み出した年になった。
その名はデーモン・ヒル。
往年のチャンピオンであるグラハム・ヒルの息子として、最晩年のブラバムからデビューしたヒルだったが、走らないマシンでは光る走りを見せることができなかった。
しかし翌1993年にアラン・プロストのチームメイトとして当時最強のウィリアムズ入りを果たすと、時折プロストを凌ぐドライビングを見せる。
1994年、1995年とミハエル・シューマッハとチャンピオンを賭けて戦うも敗れるが、1996年に悲願のチャンピオンを獲得した。
1993年デビュードライバーの生涯成績
ドライバー | 出走 | PP | 優勝 | 表彰台 | FL | pts |
---|---|---|---|---|---|---|
E.アーバイン | 148 | 0 | 4 | 26 | 1 | 191 |
M.アピチェラ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
M.アンドレッティ | 13 | 0 | 0 | 1 | 0 | 7 |
J =マルク・グーノン | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
鈴木利男 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
L.バドエル | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
R.バリチェロ | 326 | 14 | 11 | 68 | 17 | 658 |
P.ラミー | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
1993年は、ふたりのベストセカンドドライバーが誕生した年だった。
まずは通算勝利数は4回のエディ・アーバイン。
彼はジョーダンからデビューした後にフェラーリに移籍すると、上り調子のチームとともにミハエル・シューマッハをガッチリとガードしセカンドドライバーの役に徹し、シューマッハが負傷し欠場した1999年シーズンの後半にはミカ・ハッキネンとチャンピオンを賭けて争った。
そしてもうひとりがルーベンス・バリチェロ。
バリチェロもまたアーバインと同様にジョーダンからデビューし、スチュワートを経てからアーバインの後継としてフェラーリ入り。
アーバイン同様にシューマッハのセカンドドライバーとして、時には優勝を譲るなど、チームに貢献し、通算11回の優勝を記録している。
ということで1993年も新人豊作の年だった。
次のページでは、1994年以降にデビューしたドライバーの生涯成績を紹介します。
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