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ホンダコレクションホールで日本モータースポーツの宝を見てきた!【ホンダF1第2期編】

モータースポーツ中毒者のぴぴと申します。

前回に引き続き、ツインリンクもてぎのホンダコレクションホールで撮影した写真とともに、ホンダのF1活動を振り返っていきます。

ホンダF1第1期編・第3期編はこちらから↓

今回はウィリアムズやマクラーレンにエンジンを供給し大成功した、第2期のF1活動を搭載マシンとともに特集します。

スピリット・201C

ホンダの第2期F1活動は、第1期とは異なり終始チームにエンジンを供給するカタチで、第1期の撤退から15年後の1983年、当時国際F2でエンジンを供給してきたスピリットとともにF1にカムバックしました。

1981年にマクラーレンがカーボンファイバーモノコックを採用しましたが、スピリット201Cはまだ旧来のアルミハニカムモノコックで、カーボンファイバーモノコックが全盛になった1989年からF1を見始めた私にとって、このアルミハニカムの角張ったデザインはかなり古典的な印象を受けます。

この当時はまだ、今ほどエアロダイナミクスを重要視されていなく、冷却のためにエンジンが剥き出しのデザインが印象的ですね。

コクピットサイドに『POWERED by HONDA』の文字が、復帰初年度からすでに書かれていますね。

ウィリアムズ・FW09

1983年最終戦から投入され、1984年最終戦まで戦ったウィリアムズのマシンで、のちに黄金期を迎えるホンダ第2期の最初の1勝を飾ったマシンです。

ノーズデカくない?

モノコック太くない?

というより全体的にボテ〜としてない?

当時のF1ってこんなカッコ悪かった??

1982年のジル・ビルヌーブの事故で安全基準が高まり、アルミハニカムモノコックで強度を出すためにこのデザインになったと思いますが・・・んーーー。

横からフロントノーズを見ると一瞬ハイノーズかと思いきや、下にもギッチリ詰まってます。

ホンダのロゴはこのマシンから1992年の撤退まで、おなじみのHマークに『POWERED by HONDA』の表記になりました。

第4期は『HONDA HYBRID』の表記ですが、私としては『POWERED by HONDA』表記復活を強く望みます!

参戦期別HONDA表記(参考)

参戦期フロントサイド
第1期赤いHマークHONDA
第2期HマークHマーク+POWERED by HONDA
第3期赤いHマークHONDA(アースカラーには表記無し)
第4期HマークHONDA HYBRID

ウィリアムズ・FW10

前年のFW09と比べると随分スマートに見えません?

それもそのはず、ウィリアムズ初のカーボン製モノコックを採用したのがこのFW10で、1985年のF1に参戦したマシンです。

レッド5がナイジェル・マンセルのマシンだと確認できます。

裏側を見るとしっかりカーボンケプラーだとわかりますね。

それにしてもこのステアリング、ボタンが一つも無い。

無線ボタンすらも・・・無い。

あと気になったこと、バックミラー小さすぎません?

強さとともに、年々大きくなるホンダロゴ。

ウィリアムズ・FW11

ホンダ製エンジン搭載マシン初のコンストラクターズチャンピオンを獲得したのがこのFW11です。

平べったいノーズの造形(ロータスが前にいて正面から撮影できなかった!)といいカラーリングといい、私が好きなF1マシンのひとつです。

子供の頃タミヤのプラモデルを作ったなあ。

F1史上最大馬力を誇った1986年のマシンは、その爆発的な馬力を路面に伝えるべく、バカでかいリヤウイングが装着されています。

ネルソン・ピケのマシンではなく、人気のレッド5、ナイジェル・マンセルのマシンが展示してあるところが嬉しい。

レッドゾーンは9600rpm。

ロータス・99T

1987年より名門ロータスにもエンジン供給を開始したホンダエンジン。

このロータス99Tは中嶋悟選手が日本人初のF1フルタイムドライバーとしてデビューしたマシンとして、日本でも馴染みのあるマシンですね。

タバコロゴもしっかり描かれているところが嬉しいですね。

2018年日本GPでデモ走行を行ったロータス100Tにキャメルロゴが無い

2018年の日本グランプリでは、同カラーリングのロータス100Tがタバコロゴを剥がしてデモ走行しましたが、全身がキャメルのため、無いと本当にかわいそうな姿でした。

国際映像に映し出されるため、その配慮からだと思いますが、できれば当時のままのカラーリングで走行してもらかったものです。

マクラーレン・MP4/4

マクラーレンMP4/4は1988年のF1グランプリを戦ったマシンで、ホンダエンジンはこの年ウィリアムズからマクラーレンに供給先を変更しました。

そして、当時最強ドライバーだったアイルトン・セナとアラン・プロストが、当時最強エンジンであるホンダエンジンを手に入れた鬼才ゴードン・マレーが設計したMP4/4は、16戦15勝という2019年現在も破られていない大記録を達成しました。

後ろに写るウィリアムズFW11やロータス99Tと比べると、全高が低くノーズもシャープで、ゴードン・マレーのデザインだとすぐにわかります。

このマシンは、自身初のワールドチャンピオンに輝いたアイルトン・セナがドライブしたものですね。

マールボロマークもしっかり描かれています。

今回はホンダの第2期F1活動の搭載マシンを見てきましたが、いかがだったでしょうか。

展示車両はターボ時代の1983年から1988年までのもので、1989年からF1を見始めた私としてはNA時代のマクラーレンMP4/5〜MP4/7やティレル020なども見てみたかったのですが、出張中なのか所蔵していないのかはわかりません。

とは言うものの、ホンダエンジンが年々強さを増し、果てはその頂点に輝き、それとともに日本にF1がやってきてF1ブームが沸き起こる、そんな時代のマシンを見ることができて、本当に幸せな時間でした。

次回はホンダF1活動第3期のマシンを紹介します。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。