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【レーシングチーム紹介】第8弾 SARD(サード)

国内のレーシングチームを紹介するこのコーナー、第8弾は愛知県豊田市に本拠を置くトヨタ系レーシングチーム、サードを紹介したいと思います。

スーパーGT GT500に参戦するレクサスのチームにあって、私は少々地味な存在(失礼な!)だと感じていますが、調べてみたらトヨタとともに長いモータースポーツの歴史を誇る名門チームでした。

サードの歴史

1997年のル・マン参戦マシン サードMC8R SUZUKA Sound of ENGINE 2017にて

それではまず、サードの歴史について書いていきたいと思います。

サードは代表の加藤眞氏が1972年に設立したシグマオートモーティブが母体です。

加藤眞氏の父親は、1960年代当時トヨタ自動車販売の社長を務めており、その関係からトヨタに入社し、トヨタのレースエンジンを開発していましたが、マスキー法でモータースポーツから手を引き始めたのを機にトヨタを退社し、自らレースコンストラクターのシグマオートモーティブを設立しました。

1973年のル・マンに出場するため、自社開発のシグマMC73にトヨタエンジンを搭載予定でしたが、突如入手できなくなり、マツダのワークスエンジンを載せて出場にこぎつけました。

ル・マンは1973年から1975年まで3回出場しましたが、大きな成果を上げることはできませんでした。

ル・マン撤退から10年後、加藤眞氏はサードを設立し、トヨタスープラで全日本ツーリングカー選手権とオリジナルシャシーMC86Xで全日本耐久選手権に出場します。

その後1989年からトヨタのワークスマシンを供給され、1990年にはトヨタワークスとして15年ぶりにル・マンに出場します。

同じく1994年からは、スーパーGTの前身にあたる全日本GT選手権にスープラで参戦し、以後現在のスーパーGTに至るまでトヨタ(レクサス)車両で参戦しています。

サード初のチャンピオンマシン レクサスRC F 2016年8月スーパーGT富士スピードウェイにて

2016年には元F1ドライバーのヘイキ・コバライネン選手と平手晃平選手のコンビで、悲願のスーパーGTチャンピオンをドライバーズとチームズで獲得しました。

社名(サード)の由来とカーナンバー

2019年サードのマシン#39レクサスLC500 2019年8月スーパーGT富士スピードウェイにて

社名『SARD(サード)』の由来は『Sigma Automotive Research & Development(シグマ オートモーティブ リサーチ アンド デベロップメント)』の頭文字からです。

サードの社名には、前身のシグマオートモーティブの名前が今なお頭文字として残っているんですね。

カーナンバーは古くから39を使っています。

このナンバーについての由来は・・・わかりません。

トヨタ系レーシングチームはクラフトが34・35、トムスが36・37、セルモが38、サードが39と、多くが30番代を使用していますが、何か因果関係があるのでしょうか?

どなたか知っている方がいたら、是非ともコメント欄で教えてください。

日本車初のル・マン24時間挑戦(1973-1975)

前述したとおり、サードの前身であるシグマオートモーティブはル・マン出場を目指し結成しました。

1973年のル・マンに出場するため、当初は代表の加藤眞氏が在籍していたトヨタからエンジンを供給してもらう予定でしたが、マシンの完成間近に断られてしまいました。

そこで当時の衆議院議員、石原慎太郎にマツダの社長を紹介してもらい、マツダのワークス用エンジンを供給してもらうことでル・マン出場にこぎつけました。

ちなみに日本車がル・マン24時間に出場したのは、このシグマオートモーティブが初めてでした。

翌1974年はマツダオート東京とのジョイントで、チーム運営はマツダオート東京の大橋孝至氏が務めました。

補足

大橋孝至氏は1998年にマツダスピードが解散した後に、監督としてサードに加入することになる。

ドライバーはトヨタの契約ドライバーだった高橋春邦氏、マツダの寺田陽次郎氏、岡本安弘氏の日本人トリオで出場しました。

ちなみにこのレースは、後にミスタール・マンと呼ばれることになる寺田陽次郎氏の、ル・マンデビューレースでした。

結果はペースも上がらずロータリーエンジンのトラブルもあり、最後まで走って最下位でゴールしましたが、周回数が足りず完走扱いにはなりませんでした。

1975年は新設計のシグマMC75に、当初の予定だったトヨタエンジンを搭載し、KKK製のターボを装着しての参戦でしたが、序盤でエンジンが破損しリタイヤに終わり、3年に及んだル・マン挑戦は資金難によりこの年を最後に終了しました。

15年ぶりのル・マン24時間再挑戦 目前まで迫った総合優勝

1997年のル・マン参戦マシン サードMC8R SUZUKA Sound of ENGINE 2017にて

1975年のル・マン終了後はモータースポーツの表舞台から姿を消した加藤眞氏でしたが、1985年に国内レースで再びモータースポーツの世界に復帰します。

そして1990年、トヨタのワークスチームとして、トムスの2台とともに15年ぶりにサード(1台)がル・マン24時間に復帰を果たします。

補足

1994年のサンマリノグランプリで亡くなったローランド・ラッツェンバーガーは1990年から1993年にサードのドライバーとして活躍し、1994年も契約していたが、その直前のサンマリノグランプリで帰らぬ人となった。

1992年にはサテライトチームとしてトムスとの合同チームでC2クラスに参戦し、総合9位クラス2位、翌1993年には総合5位でクラス優勝しました。

1994年は残り38分までトップを走りサードトヨタの優勝は目前でしたが、トラブルが発生し総合2位(クラス優勝)、トヨタのル・マン24時間制覇は2018年まで待たなければなりませんでした。

1995年はスープラと完全オリジナルマシンの2台体制で挑むも、他のマシンにスピードで全くかなわずに予選30位と31位、決勝は14位とリタイヤでした。

1996年も2台体制で参戦するも、MC8Rが24位、スープラLMはリタイヤに終わりました。

その後サードのル・マン24時間への挑戦は1997年までで、それ以降は2019年現在に至るまで休止が続いています。

年度No.マシンドライバー総合結果
(クラス結果)
199038トヨタ
90C-V
P-H.ラファネル
R.ラッツェンバーガー
長坂尚樹
リタイヤ
199234トヨタ
92C-V
R.ラッツェンバーガー
E.エリジュ
E.アーバイン
9
(5)
199322トヨタ
93C-V
R.ラッツェンバーガー
長坂尚樹
M.マルティニ
5
(1)
1994トヨタ
94C-V
E.アーバイン
M.マルティニ
J.クロスノフ
2
(1)
199526トヨタ
スープラ
J.クロスノフ
M.マルティニ
M.アピチェラ
14
1995サード
MC8R
K.アチソン
A.フェルテ
吉川 とみ子
リタイヤ
199646サード
MC8R
M.マルティニ
A.フェルテ
P.ファブレ
24
199657トヨタ
スープラLM
関谷 正徳
影山 正美
光貞 秀俊
リタイヤ
199734サード
MC8R

トヨタ系チーム初の全日本GT選手権参戦

全日本GT選手権のサードスープラ 画像提供Mさん

全日本GT選手権参戦はトヨタ系レーシングチームの中ではいちばん早く、初年度の1994年の第4戦スポーツランドSUGO戦より参戦し、トヨタ系レーシングチームとしてマシンは一貫してスープラを使用しました。

補足

トムス・セルモは1995年、ルマンは1999年から参戦

全日本GT選手権からスーパーGTに至るまで、長くトヨタ系自動車部品メーカーである『デンソー』がメインスポンサーになっていることからも、トヨタと深い結びつきがあることが伺えますね。

全日本GT選手権のサードスープラ 画像提供Mさん

全日本GT選手権時代のトピックは1997年で、シーズン2勝を上げドライバーとチームで選手権2位の成績を残しました。

ちなみにこの1997年の第1戦と前年のオールスター戦では、F1ブーム世代には懐かしいオリビエ・グルイヤール選手がドライバーを務め、ファンを沸かしました。

また2004年シーズンもドライバーとチームで選手権2位を獲得しましたが、結局全日本GT選手権ではチャンピオンを獲得するに至りませんでした。

シーズン成績

年度ドライバーマシンタイヤドライバー
年間順位
チーム
年間順位
1994J.クロスノフトヨタ
スープラ
MI27位
1995J.クロスノフトヨタ
スープラ
DL8位6位
1996W.ガードナー
A.フェルテ
長坂 尚樹
トヨタ
スープラ
DL10位
9位
20位
6位
1997影山 正美
谷川 達也
O.グルイヤール
トヨタ
スープラ
YH2位
5位
14位
2位
1998土屋 圭市
谷川 達也
トヨタ
スープラ
YH6位
6位
7位
1999土屋 圭市
谷川 達也
トヨタ
スープラ
YH22位
22位
12位
2000影山 正彦
R.ファーマン
トヨタ
スープラ
YH12位
12位
7位
2001J.デュフォア
影山 正彦
R.デュマ
トヨタ
スープラ
YH14位
21位
17位
11位
2002J.デュフォア
織戸 学
トヨタ
スープラ
YH14位
14位
9位
2003織戸 学
D.シュワガー
トヨタ
スープラ
YH6位
6位
6位
2004J.デュフォア
A.クート
トヨタ
スープラ
BS2位
2位
2位

悲願のチャンピオン スーパーGT

2019年サードの最新マシン レクサスLC500 2019年8月SUGO公式テストにて

2005年、スーパーGTに名称が変わってからのサードは全日本GT選手権の頃以上に成績が低迷します。

2006年にはトヨタはスープラに代わりレクサスSC430を投入しますが、用意されたSC430はトムス・チームルマン・セルモ・クラフトの4台のみで、サードとつちやエンジニアリングの2チームは前年型のスープラでの戦いで、トヨタ陣営でのヒエラルキーも下位に沈んでいました。

2007年にはようやくSC430が与えられますが、2006年型にアップデートキットを組んだ仕様で、前年同様苦戦を強いられました。

2008年には元F1ドライバーの高木虎之介選手を起用し、他のレクサス陣営同様にマシンが最新になりましたが、この年から使用するダンロップタイヤの開発に手間取り、厳しいシーズンは続きます。

変化の兆しが見えたのは2011年、タイヤをダンロップからミシュランに変えると開幕戦でいきなりポールポジションを獲得し、結果この年は3度のポールポジションと2度の表彰台を獲得し、スーパーGTになってからの最上位のシーズン7位になります。

2012年マシン レクサスSC430 2012年11月JAF GP富士スピードウェイにて

2012年にはさらに成績が向上し、第2戦の富士スピードウェイではチームにとって8年ぶり、2004年の全日本GT選手権以来の優勝を飾り、その後も年間を通してポイントを獲得し、シリーズ3位の好成績で終えました。

2013年、好成績を収めたミシュランとのタッグは2年で終了し、この年から6年ぶりにブリヂストンに戻しますが、成績は以前のように低迷してしまいます。

2015年サードのマシンレクサスRC F 2015年5月スーパーGT富士スピードウェイにて

2015年はチーム体制を一新し、監督に元F1ドライバーの野田英樹氏、ドライバーには2013年チャンピオンの平手晃平選手と、F1で優勝を経験したことのあるヘイキ・コバライネン選手を迎え入れます。

ちなみにこの年は鈴鹿1000kmで元F1ドライバーのクリスチャン・クリエン選手を招聘し、ヘイキ・コバライネン選手との元F1ドライバー2名での戦いも話題になりました。

サード初のチャンピオンマシン レクサスRC F 2016年5月スーパーGT富士スピードウェイにて

そして翌2016年、ヘイキ・コバライネン選手と平手晃平選手のコンビは、全戦でポイントを稼ぎ、第2戦・第3戦(代替レース)・第4戦では2位表彰台を獲得し、迎えたツインリンクもてぎでの最終戦では優勝を飾り、チームにとって初のシリーズチャンピオンを獲得しました。

2017年はチャンピオンナンバー”1″を付ける 2017年5月スーパーGT富士スピードウェイにて

翌2017年は、ディフェンディングチャンピオンとしてナンバー”1″で出場しました。

2018年コバライネンと可夢偉の元F1コンビ 2018年5月スーパーGT富士スピードウェイにて

2018年、サードのドライバーはヘイキ・コバライネン選手と、この年スーパーGTに初出場する日本人レーシングドライバーでNo.1の人気を誇る小林可夢偉選手がコンビを組み、スーパーGT初の元F1ドライバーコンビで戦い、スポーツランドSUGOで行われた第4戦で優勝するも、年間9位の成績でシーズンを終えました。

年度ドライバーマシンタイヤドライバー
年間順位
チーム
年間順位
2005A.クート
R.クインタレッリ
トヨタ
スープラ
BS16位
16位
12位
2006A.クート
平中 克幸
S.アヤリ
トヨタ
スープラ
BS23位
23位
27位
15位
2007A.クート
平中 克幸
レクサス
SC430
BS15位
15位
15位
2008A.クート
高木 虎之介
嵯峨 宏紀
レクサス
SC430
DL21位
21位
16位
2009A.クート
平中 克幸
レクサス
SC430
DL14位
14位
13位
2010A.クート
平中 克幸
C.ヴァン・ダム
レクサス
SC430
DL12位
12位
12位
2011石浦 宏明
井口 卓人
レクサス
SC430
MI7位
7位
7位
2012脇阪 寿一
石浦 宏明
レクサス
SC430
MI3位
3位
3位
2013脇阪 寿一
石浦 宏明
レクサス
SC430
BS7位
7位
7位
2014石浦 宏明
O.ジャービス
レクサス
RC F
BS13位
13位
10位
2015平手 晃平
H.コバライネン
C.クリエン
レクサス
RC F
BS13位
13位
13位
2016H.コバライネン
平手 晃平
レクサス
RC F
BS1位
1位
1位
2017H.コバライネン
平手 晃平
レクサス
LC500
BS8位
8位
6位
2018H.コバライネン
小林 可夢偉
坪井 翔
レクサス
LC500
BS9位
13位
16位
9位
2019H.コバライネン
中山 雄一
レクサス
LC500
BS

人気はいまいち!?玄人好みのいぶし銀チーム

ツイッターでこんなアンケートをとってみました。

Q.
スーパーGT GT500クラスにエントリーするレクサス系チームのうち、最も応援しているのはどこ?

A.
1位 トムス 35%
2位 ルマン 24%
3位 セルモ 21%
4位 サードもしくはバンドウ 20%

解答欄が4つしか無いため、サードとバンドウは同じ欄に入れましたが、両チームを足しても20%で、トムス・ルマン・セルモに及びません・・・。

ちょっと悲しい結果でしたが、ここまで読んでいただいたかたならわかると思いますが、ル・マン24時間で夢を追いかけ長年トヨタとともに戦ってきたいぶし銀の玄人好みチームです。

このチームに魅力を感じる方は、モータースポーツ通だと思います。

現在の参戦カテゴリー

2019年サードの最新マシン レクサスLC500 2019年8月SUGO公式テストにて
  • スーパーGT

過去の参戦カテゴリー

全日本GT選手権のサードスープラ 画像提供Mさん
  • ル・マン24時間
  • 全日本耐久選手権
  • 全日本GT選手権(1994-2004)
  • 全日本ツーリングカー選手権
  • 十勝24時間

最後に

2019年8月SUGO公式テストにて

今回はトヨタ系レーシングチームサードについて調べてみましたが、いかがでしたでしょうか。

チーム結成初期の日本車初のル・マンへの挑戦といい、1990年代のル・マン総合優勝あと一歩の活躍といい、世界に轟く素晴らしい活躍をしていたチームだと知りました。

近年のスーパーGTを見ているとトヨタ系チームの中では地味な存在だと思っていたサードは、実は栄光の歴史を持ったチームだったのですね。

派手さは無いが、モータースポーツの歴史に詳しい玄人ファンが、好きなレーシングチームの筆頭に上がるのがサードかもしれません。

私も今後、いぶし銀のサードの活躍に注目していきたいと思いました。

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。

2019年8月スーパーGT 富士スピードウェイにて

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ABOUT US
大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。