今回は旧東海道踏破の旅の続き。由比宿から興津宿に向けて歩きます。
道中には東海道の難所と謳われた薩埵峠がありますが、まあ、最大の難所箱根八里を制覇したので大丈夫でしょう。

では、由比本陣から出発です。
脇本陣温飩屋跡

由比本陣の向かいにあるのが脇本陣温飩屋跡です。
脇本陣温飩屋は、江戸時代後期から幕末にかけて由比宿で脇本陣を務めた三軒のうちの一軒で、天保十二年(1841年)に書かれた東海道宿村大概帳によると、建坪九十坪、門構え、玄関付と記載があるそうです。
温飩(うんどん)とはうどんの古称らしいです。
明治の郵便局舎

そのとなりにあるこちらの建物は、明治三十九年に局長となった平野義命が明治四十一年に新築した西洋建築の郵便局舎です。
昭和二年まで郵便局として利用され、現在は平野氏の個人宅として使われているそうです。
加宿問屋場跡

明治の郵便局舎の前に、江戸時代加宿問屋場がありました。
加宿とは、規模が小さい宿場が公用旅行者の人足や馬を十分に手配できない場合に、隣接する村々を加えて人馬の供給や伝馬業務(問屋場の業務)を助けた仕組み。
由比宿は小規模な宿場だったため、周辺の十一の村が共同で問屋場業務を一ヶ月交代で行ったそうです。
脇本陣徳田屋跡

徳田屋という屋号の文房具屋がありましたが、こちらは江戸中期に脇本陣を務めた徳田屋があった場所になります。
軒先には脇本陣徳田屋の説明板がありました。
同じ徳田屋という屋号なので、現在は末裔が経営されているのでしょうか。

そして、往時には徳田屋の先のこの辺りに西枡形があり由比宿を出ます。

由比川を渡ると遠くに、これから登る薩埵山が見えてきました。
せがい造りと下り懸魚の家

こちらはせがい造りと下り懸魚の家。

せがい造りとは、軒先を長く出した屋根を支えるために、平軒桁へ腕木を付け足して出桁とし垂木を置いたもの。
この日は蒲原宿から歩いてきましたが、せがい造りの家を多く見ることができましたが、このお宅は特に美しかったです。
下り懸魚は、平軒桁の両端が風雨による腐食を防ぐための装置で装飾も兼ねています。

和瀬川を渡ります。
時より晴れ間も見えますが、この日は特に寒く、静岡では珍しい雪がチラホラ。まだ風花程度ですが、この後数年ぶりの本格的な降雪になるのでした。

そして右手にかまぼこの看板が見えてきました。
いちうろこ

こちらは老舗かまぼこ屋のいちうろこさん。
目の前にある由比漁港から水揚げされる魚を自社で加工する、いちうろこさんの創業はなんと文政元年(1818年)。
時刻は11時半ですが、せっかくなので寄ってみました。
間口は狭いが入ると奥行きのある土間の雰囲気の良い日本商家で、有名人のサインがぎっしり飾ってありました。

そしてはんぺんフライとさつま揚げ?を注文し、その場で揚げてもらいました。
土間に腰掛けがあったので、許可をいただき店内で食べさせていただいたところ、これがめちゃくちゃ美味い! これぞ200年超えの味です。
ということで、お土産でかまぼこやはんぺん(静岡では黒はんぺんのこと)を購入しました。
家から遠くないので、絶対にまた来ます。

いちうろこさんを出たら100mほど先のこの交差点を右折します。
この交差点は目印がなくわかりづらいため、私はこの先の由比駅まで歩いてしまいました。

そして一本目を左折します。

するととても旧東海道だとは思えない細い路地裏を150mほど歩き、

突き当たりの丁字路を右折。

そしてすぐの丁字路を左折して、

県道に出ます。

そして反対車線に渡り少し歩くと歩道橋があるので、その交差点を右に入ります。

旧東海道はこのような歴史深い木造建築が多くある、良い雰囲気の街道に。

古い時計付きの掲示板も趣がありました。

無論、時計は新しいものに変えられているとお思いますが、いつの時代のものなのか。

そんなことを思い、側面を見ると昭和五年の刻印がありました。
百年近い間、この街道を見守っているのか・・・。
名主の館小池邸

その先にあったのが、武田家に仕えた旧家小池邸。代々文右衛門を襲名し、東寺尾村の名主を務めました。
この建物は明治時代の建立ですが、大戸、くぐり戸、海鼠壁、石垣などに江戸時代の名主宅の面影を残していて、平成十年に国の登録有形文化財に登録されています。

大澤橋を渡り、

Y字路を右に進むと、薩埵峠に向けて緩やかに登り始め、民家が少なくなってきました。

道の横には法界万霊供養塔があり、

その先のベンチで一休み。

手前には東海道本線、国道1号線、東名高速道路と、日本の大動脈が通っていて、その奥にうっすら見えるのは、先日歩いた沼津の千本松原でしょうか。
休憩もほどほどに、薩埵峠に向けて足を進めます。

こちらは、地元由比名物の桜えびづくしの料理が味わえる、磯料理くらさわやさん。
寄ってみたいところですが、今日はすでにいちうろこさんで美味しいものを食べてきたので通過します。


その先に集落があるのですが、この辺りは古く趣のある建物ばかりで、タイムスリップしたかのような気持ちになります。
八阪神社

こちらは宗像三女神の神父を祀っているという八阪神社。
見てみたいのですが、すでに20km以上を歩いた私にこの坂を登るのは勇気が入ります。薩埵峠を登るために体力を温存します。


先ほども書いた通り、東海道本線、国道1号線、東名高速道路と並行している場所なのに、完全に時代に取り残されたこの辺り。
茶屋脇本陣柏屋跡

難所薩埵峠を前にして間の宿があったのですが、ここで茶屋脇本陣を営んでいたのがこの柏屋。
ここは明治元年および明治十一年、明治天皇が東幸の際に小休所された由緒正しい茶屋でした。

柏屋のすぐ先に、とんでもない坂道が見えてきました。
ここを右方向に登ったら、東海道の難所と謳われた薩埵峠の始まりです。
西倉沢の一里塚跡

その急坂の直前に一里塚跡の石碑。この場所にあったのが西倉沢の一里塚です。

江戸日本橋から数えて四十番目(約160km)の西倉沢の一里塚は、薩埵峠の東登り口に位置し、塚には榎が植えられていたそうです。
薩埵峠に向けて登山開始

それでは薩埵峠に向けて登山開始。
画面ではわかりずらいが、序盤の坂はかなり厳しい。

その坂はさらに続き、

ここでやっとなだらかに。箱根でもこれほどの急坂はなかったです。

その後は特に見どころのない中を緩やかに登ります。

頭頂部までは1.1kmと、箱根に比べれば距離は短いようです。

ここから急坂の第二章になりますが、最初の坂ほどのキツさはない。

途中に開けた場所があったので、眼下を見下ろすと、日本の大動脈を走る車が小さくなりました。だいぶ登ってきました。

静岡名物みかん畑を抜けて、

振り返るとなかなかの景色。
そして由比宿を出発していた頃に降っていた雪は止み、厳しい寒さはかなり和らぎました。標高が上がったのに何故なのか。
薩埵山合戦場跡と薩埵地蔵道道標

厳しい山登りも終盤に差し掛かると、道端に説明板がありました。
説明板によると、ここは過去に二度の大合戦があった薩埵山合戦場。
一度目は観応二年(1351年)の足利尊氏 対 足利直義。二度目は永禄十一年(1558年)から翌年にかけての武田信玄 対 今川氏真です。

また、この場所には薩埵地蔵道道標もありました。
右側の小さな道標は延享元年(1744年)建立で、『さったぢぞうみち これより四丁』と刻まれていました。
一丁は110mほどなので、残り440mほどになります。

そして少し歩くと、車で何度か来たことのある薩埵峠展望台の駐車場の入り口が見えてきました。

ここを左に曲がり、

駐車場に向かいます。
週末は人気のスポットですが、今日は天気がイマイチなので、車の台数は少ないようです。

そして駐車場の右側にある薩埵峠山之神遺跡碑の手前の、

この階段を降りて行きます。

そしてモノラック(みかん運搬用モノレール)を跨いだら右に進み、

土道を歩きます。
薩埵峠展望台

少し歩くと木製の展望台がありました。
ここが歌川広重の東海道五十三次で描かれた、あの有名な浮き絵の舞台です。
今日は天気がイマイチですが、富士山は見られるでしょうか。

切り立つ薩埵峠と、一方には駿河湾。そして遠く彼方に富士の山は・・・心の目で見えたことにしましょう。

ただ、東海道随一の絶景と謳われた名所は、東海道本線と国道1号線を東名高速道路が跨ぐ、まさに近代交通が集中する場所なので、主題の富士山が見えずとも絵になる一枚になりました。

薩埵峠展望台の先も、旧東海道は当時の面影を残す土道になっています。
薩埵峠


そして牛房坂と呼ばれる緩い坂を登ると、

坂を登り切った場所が旧東海道の薩埵峠最高地点。ちょっと洒落ているも薄汚れた薩埵峠碑がありました。

いや、こちらの石碑が本命か。
往時は崖下の波打ち際を通行しており、親知らず子知らずと呼ばれていましたが、その後朝鮮通信使の通行に際しこの峠道が開削されたそうです。
ということで、これで東海道の難所と言われた薩埵峠を無事制覇しました!
とはいえ、長く険しかった箱根峠に比べると標高は圧倒的に低く、歩きづらかった石畳もこちらにはないので、正直そんなに大変ではなかったです。
まあ、江戸時代は道も整備されていなく、左は断崖絶壁。今とは大違いの道だったのでしょうね。

箱根峠碑の先から下り坂に転じ、細い道を一気に下ります。
このY字路は左へ。目指す興津宿はJR興津駅の場所にあったので、ここから先はこのJR興津駅を示す看板に沿って歩いて行きます。

この階段は特に急でした。
私は下りなので大した負担はありませんでしたが、江戸に向かう旅人にとってはかなりキツい階段でしょう。

そして旧東海道は切通しになり、

墓地の真ん中を抜けて行きます。

墓地の先も下り坂は続きます。

坂の中間地点に石碑がありました。往還坂という名前らしいです。

往還坂を下り切ったら、道標のJR興津駅に沿って右折。

すると登りに。あれだけ下らせたのだからまた登らせるなよ・・・。
秋葉山常夜燈

すると左に秋葉山常夜燈がありました。

こちらは文政二年(1818年)の建立。蒲原宿までの道すがらにたくさん設置してあった常夜燈ですが、久々の登場です。

となりにある可愛らしいこちらは長山平碑。
旧東海道は緩やかに弧を描く線形が多いのですが、墓地を出てからずっと直線なので、近年整備された道だと思いました。
しかし古い常夜燈などが街道沿いにあるので、この辺りは古くから真っ直ぐだったのでしょうか。

秋葉山常夜燈のすぐ先の丁字路を左折。縁石の段差をアスファルトで埋めている、急拵えのような道ですが、

曲がった先の足元に東海道の目印があり、この道が間違いなく旧東海道だとわかります。
ちなみに市町村で旧東海道を示す道標は違いますが、静岡市ではこれがその目印。

すぐに道は右に直角に曲がり、

久々の住宅街に入ります。

薩埵峠の道沿いにみかん畑があったように、この辺りの名産はみかんということで、旧東海道を歩く旅人に向けて数箇所の無人販売がありました。
向こうの籠に入ったみかんは無料? 一瞬手を伸ばしそうになりましたが、買わずに貰うのは悪いと思い我慢。

道沿いに設置された石垣で、ここが古い街道ということがわかります。

そしてこの丁字路を左折。

先ほど往還坂を下った先で右に曲がってから、道が大きく弧を描いています。
往還坂をまっすぐ行けばいいのに、と思いましたが、どうやらこの左手には小高い山があるようです。

そしてこの突き当たりを左折して、

興津川に並行しながら駿河湾の方向に進みます。

あーあ、車が壁を突き破っちゃってます。
川越遺跡

この先で興津川を渡るのですが、その袂に川越遺跡の説明板がありました。
説明によると旅人は両岸にあった川会所で越し札(一札十六文=400円から700円)を購入し、蓮台または人足の肩車で川を越しました。
越し札はその日の水深によって値が違い、蓮台越しの場合は札四枚を要し、深さが四尺五寸を超すと川止めになったそうです。

東海道本線の線路をくぐり、

その交差点を右折して、

私も興津川の川越。ちなみに越し札を購入することなく、無料で川越ができました。
と、アホなことを考えていると、薩埵峠を越えている間に止んでいた雪が、ふたたび降り始めてきました。

そんな寒さに凍えながら興津川を渡り、すぐの階段を降ります。

そして階段を降りたら右手前方向へ。

突き当たりを左、

また左に曲がり、

東海道本線の側道へ。

道は緩やかに曲がりながらそのまま進み、

突き当たりの丁字路を右折して国道1号線に合流します。

国道52号線との交差点を過ぎると、雪はさらに強まり、ご覧の光景に。
半世紀以上静岡市で暮らしている私ですが、こんな光景は見たことない。本当に静岡なの??
いや、北国ではこんな光景は日常でしょうが、温暖な静岡市はほぼ雪が降らないんです。
なのに、これなんなんだ!?
興津の一里塚跡

静岡人にとってはとんでもなく厳しい寒さの中、なんとか最後の目的地を発見。興津の一里塚跡です。

すでに塚は撤去されていて、石碑だけがありました。
江戸日本橋より四十一里(約164km)。
歩みの記録

東木戸の跡など、特に目印はありませんが、興津駅前交差点が今回の目的地。
静岡市では私の記憶にないほどの降雪でしたが、なんとか興津宿まで歩いて来ることができました。
いやー、寒かった!
興津駅から東海道本線に乗車し、次の清水駅に着くと、
「大雪の影響で列車が遅れています」
と、構内アナウンスが流れます。雪が積もってもいない状況ですが、雪にまったく慣れていない静岡では大騒ぎでした。
では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで、旅の記録を見てみます。

まずは地図から。
今回は国道1号線、東海道本線と並行しながら、南南西の方角に向けて山肌を歩きました。
現代ならば国道1号線を歩いていけば、薩埵峠を登らずに平坦な道で興津まで行けるのですが、当然往時は現国道1号線の場所は整備されておらず、親知らず子知らずと呼ばれる危険な場所でした。
そして興津川手前の場所で、大きくコの字型に迂回していることが、地図を見るとよくわかります。
ここは小高い丘(山)があるようなのですが、薩埵峠に比べると標高は大したことがなく、なぜ真っ直ぐに進めなかったのか・・・。ご存知の方がいたら、ぜひ下のコメント欄でご教授ください。

続いては旅の詳細。
今回は10km余りの道のりを約4時間掛けて歩きました。薩埵峠も何のその、平坦路とほぼ同様のペース。
上昇した高度はちょうど箱根峠の1/3の333mで、驚くような急坂も少なく、何より道がしっかり整備されていたので歩きやすかったから、このペースを維持できたのでしょう。
さて、次回はいよいよ江尻宿を経由して我が家の近く府中宿まで歩きます。ご興味のある方は次回もお付き合いください。










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