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【其ノ十八】東海道五十三次を歩く(興津宿→江尻宿)

今回は旧東海道踏破の旅の続き。

2026年2月26日に興津宿から江尻宿を経て府中宿までを歩きましたが、今回はその前半の興津宿から江尻宿までの、五里二町の道のりを書いていきます。

前日、二週間後に控えた静岡マラソンに向けて12Kmを走ったので少し足が痛いのですが、前回の降雪から一転のぽかぽか陽気の中、ゆるーく楽しみます。

では、前回歩いた興津宿内の興津駅前交差点から出発です。

東本陣跡

国道1号線を歩いて行くと、右の歩道脇に石碑が見えてきました(黒い車の手前)。

こちらは市川新右衛門が務めた本陣があった場所。

興津宿には東と西2つの本陣があり、こちらは東本陣と呼ばれていたそうです。

潮屋

東本陣の筋向いにあるのが、明治三十年創業の老舗潮屋。

米糀の甘酒を用いた鮭饅頭『宮様まんぢう』が有名だそうです。

脇本陣水口屋跡

潮屋の並びに水口屋の看板が見えますが、こちらが武田信玄の家臣だった望月氏が務めた脇本陣水口屋。

明治以降は旅館一碧楼水口屋として繁盛しています。

西本陣跡

興津宿のもう一つの本陣の西本陣は、水口屋のすぐ先にありました。

こちらは手塚十右衛門が務めたそうです。

清見寺

西本陣跡から少し歩くと右手にあるのが、清見関の鎮護寺だった清見寺。

YouTuberスーツくんが動画内で、明治時代に東海道本線を敷く際に清見寺の境内がかかってしまい、住職に持ちかけると、日本の一大プロジェクトに貢献するために快く敷地を献上し、保証金のすべてを寄付したというエピソードを何度も紹介しているあの清見寺です。

ということで、今日も境内の真ん中を列車が頻繁に行き交っていました。

2月下旬ということで、境内には梅の花が綺麗に咲いていました。今川氏の人質になった竹千代(家康)が手習いの合間に接木した梅の木はこちらでしょうか・・・。

坐漁荘

清見寺の先に立派な和風建築が見えてきました。

道路看板にもある通り、こちらが伊藤博文の腹心だった西園寺公望の晩年の別荘だった興津坐漁荘です。

当時は総理や大臣が訪れ、西園寺詣でや興津詣でと言われたそうです。

尚、当時の建物は愛知の明治村に移築されています。

国道1号線を進むと国1バイパスのガードをくぐるのですが、

ガード下にあるY字の歩道を左に進み、

住宅街の中を歩きます。

そして突き当たりを右折し、

東海道本線の横砂踏切を横断。

そして先ほどまで歩いてきた国道1号線に合流します。

横砂の延命地蔵堂

その合流地点に延命寺地蔵堂があります。

病は治せるが寿命は延ばせない、との無理な願いを叶えてくれるのが横砂の延命地蔵さん。

堂の中には、大宝珠を両手に持つ石造延命地蔵尊坐像が安置されているそうで、堂前には常夜燈がありました。

となりの蔵もなかなか趣がありますね。

東光寺

横砂の延命地蔵堂の先にあるのが、天文年間(1532-1554年)創建の東光寺。

立派な格子門は、勅使下向の際に興津川の渡が川止めになり、東光寺に泊まることになった際に急遽造られた門だそうですが・・・見た感じそんな古くないですよね。建て替えられたのかな。

そして庵原川を渡り、

名残の一本松を見ながら江尻宿を目指します。

興津宿までを歩いた先週は静岡では珍しい雪の降る日でとっても寒い一日でしたが、本日はトレーナー一枚でも背中に汗をかくほどのポカポカ陽気で、気分良く足を進めます。

静岡市では珍しい複雑な袖師交差点の歩道橋上から駿河湾方向を望む。遠くに見えるコンビナートは清水港です。

旧東海道の静岡県内区間に設置されている夢舞台東海道の道標。江尻宿までは0.7kmと後少しです。

ここまで国道1号線を歩いてきましたが、辻町の交差点のY字路を右に進むのが旧東海道。

細井の松原跡

その辻町の交差点の辺りは、一本の松があります。

ここはかつて二百六本の松並木だったのですが、昭和十九年に松根油採取のために伐採されてしまったそうです。

戦況が厳しくなっていた中で、松の油を燃料として採取していたとは・・・。平和な時代でぬくぬくと育った私たちにとってはちょっと考えられないですね。

その伐採の際に、東海道で倒れた旅人のものとみられる多くの人骨が出土し、一本松の傍らには供養の碑が建てられていました。

辻の一里塚跡

そして細井の松原跡から少し歩くと、立て看板がありますが、ここは辻の一里塚(江尻の一里塚)があった場所になります。

すでに塚は撤去されていて面影を残すものは何もなく、ちょっと残念。

江戸日本橋から四十二里(約168km)になります。

辻の一里塚跡の向かいには辻村の高札場跡を示す立て看板がありました。

その先に『ファミリーファッションタクトン』というお店がありました。

『タクトン』といえば、午後に行く府中宿の近くの北街道にもかつて出店されおり、短ランやボンタンなど、いわゆる変形学ランを扱うお店で、四十年近く前の学生時代にはお世話になりました。

看板の色味からおそらくあの店の系列店。

清水といえばビーバップハイスクールの舞台にもなったヤンキーの聖地ですが、今じゃ、あんな学ランを着る学生などはいなくなり、形態を変えたのでしょうが、おしゃれファッションとは・・・。

そのタクトンの辺りにあるはずの東木戸跡の立て看板は発見できませんでしたが、ご覧の趣のある木造建築があり、すでに江尻宿に入ったはず。

江尻宿の看板があり確信。

歩みの記録

そして、国道1号線と交差する江尻東交差点で終了です。

では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで、歩みの記録を見ていきましょう。

まずは地図から。本日は東海道本線の興津駅から清水駅近くまでの1区間を、ほぼ国道1号線に沿って南西方向に歩きました。

道中左手には静岡県最大の港である清水港がありますが、海岸線から少しだけ内陸だったため、見られなかったのがちょっと残念。

続いては旅の詳細です。

興津宿から江尻宿までの距離は一里二町、現在の道での実測が5kmと短く、今回は寄り道もしなかったので、ほぼ実測値と同じ距離を1時間30分ほどかけて歩きました。

前回の由比宿や蒲原宿の周辺は、歴史的建造物や古い町家を多く見ることができましたが、今回の道中は開発が進み、残念ながら江戸時代の遺恨がほぼ残っていませんでした。

ということで、この日の前半の部は終了。次回はここ江尻宿から駿府城の城下町として栄えた府中宿までの道のりを書いていきますので、興味のある方はお付き合いください。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。