1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はロータスが1986年のF1に参戦するために開発した、ロータス98Tを取り上げていこうと思う。
ザックリ見出し
マシンデータと戦績
まずはロータス98Tの主要諸元をチェック。
年式 | 1986年 |
カテゴリー | F1 |
コンストラクター | ロータス |
マシン名 | 98T |
デザイナー | ジュラール・ドゥカルージュ マーティン・オジルビー |
エンジン | ルノー・ゴルディーニEF15B |
つづいてロータス98Tの戦績を見てみる。
コンストラクター | ダンフリーズ | セナ | |
---|---|---|---|
シーズン順位 | 3位 | 13位 | 4位 |
シーズンポイント | 58P | 3P | 55P |
優勝 | 2回 | 0回 | 2回 |
表彰台 | 8回 | 0回 | 8回 |
ポールポジション | 8回 | 0回 | 8回 |
ファステストラップ | 0回 | 0回 | 0回 |
ロータス最後のJPSカラーマシン
フランスのマシンデザイナーであるジュラール・ドゥカルージュと古くからロータスに在籍しているマーティン・オジルビーにより設計されたロータス98Tは、前年のロータス97Tの改良版で、サスペンションなどはロータス97Tから基本的に変更はない。
フロントホイール後方に小型のサイドディフレクターが装着しているのが唯一の特徴で、これはのちにF1界で流行するバージボードの原型となった。
往年のファンならロータスといえばJPSカラーだろう。
そのJPSカブランドは、1972年からロータスをサポートし、途中1979年と1980年を除き、ロータスは漆黒とゴールドのカラーリングが施され、ロータスの定番カラーになった。
余談だが、2010年代にふたつのロータスブランドを掲げたチームがF1に復活したが、そのうち1台は黎明期のブリディッシュグリーン、もう1台はJPSカラーを模した漆黒とゴールドのカラーだった。
それだけロータスといえばこのカラーなのだ。
ちなみにその時に勃発したロータスブランド問題について、詳しくは下記のリンクを参考にされたい。
しかしこの年を最後にJPSブランドの契約を終了しているため、このロータス98Tは最後のJPSカラーロータスとなった。
1986年のロータスは前年のエースドライバーであるエリオ・デ・アンジェリスがチームを去り、若きアイルトン・セナがエースに昇格する。
セナのチームメイトはJPSの意向でイギリス人ドライバーを選ぶことになり、当初デレック・ワーウィックを予定していたが、セナが否定したために新人のジョニー・ダンフリーズに決定した。
このロータス98Tは4台が製造されたが、シャシーナンバー1はロータス内で『Qカー』と呼ばれ、年間を通してセナの予選用マシンとして使われた。
その『Qカー』で、セナはその類い希な才能を遺憾なく発揮し、シーズンの半分にあたる8回のポールポジションを獲得した。
しかし決勝ではライバルのホンダやTAGポルシェに比べて、ロータス98Tに搭載されるルノーエンジンは性能面や信頼性に乏しく、2回の優勝でドライバーズランキングは4位に留まった。
もう1台のマシンに乗った新人のダンフリーズは、完走6回中入賞2回と3ポイントしか稼げずにシーズンを終えた。
では、そのロータス98Tのミニカーを詳しく見ていこう。
ロータス98Tのミニカーを実車のように撮る!
それでは1/43のロータス98Tを撮影していこうと思う。
もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。
ロータス98Tのカーナンバー11は、この年唯一F1に参戦したジョニー・ダンフリーズのマシン。
コクピットサイドの月桂樹は、ロータスが獲得したコンストラクターズチャンピオンの数を表している。
しかしチームは1978年を最後にチャンピオンを獲得することなく、1994年を最後に消滅した。
ちなみに、2010年から2015年にかけてロータスの名称が復活しているが、この名前を掲げた2チームに関してはまったくの別物。
1986年のレギュレーション変更によりタンク容量が220Lから195Lに小さくなったため、前年のロータス97Tから全高がやや低くなり、エンジンカウルがスリムになっている。
ロータス98Tをスターティンググリッドに移動する。
奥に見えるのは同年のグランプリを戦ったブラバムBT55だ。
ブラバムもロータス同様F1の歴史に燦然と輝く名門チームだったが、ロータスより2年早い1992年を最後に消滅している。
ロータス98Tはジュラール・ドゥカルージュとマーティン・オジルビーがデザインした、1985年型ロータス97Tの改良型で、カーボンファイバーとケプラー+アルミハニカムのコンポジット素材のシャシー。
当初はカーボンファイバーの単一モノコックにすることを検討していたが、結局アルミ削り出しのバルクヘッドにコンポジットパネルをリベット留めする仕様に落ち着いた。
ミニカーのタバコ広告規制により、タバコブランドのJPSロゴが省略されているのが非常に残念だ。
このカーナンバー11のダンフリーズのマシン、最終戦のアデレードではオンボードカメラを搭載して走行している。
そして翌1987年、同じくロータスのセカンドドライバーとなった中嶋悟のマシンには全戦に渡りオンボード映像をFOCAに提供している。
以上、1/43のロータス98Tを実車のように撮影してみた。
今回登場したミニカー
今回撮影に登場したミニカーを紹介する。
【ixo製】ロータス98T
デアゴスティーニから発売しているF1マシンコレクションの112号で、製造がイタリアのixoが行なっている。
【ixo製】ブラバムBT55
デアゴスティーニから発売しているF1マシンコレクションの98号で、製造がイタリアのixoが行なっている。
今回の撮影機材
今回ミニカーを撮影したカメラ機材を紹介する。
カメラ | キヤノンEOS R5 |
レンズ | キヤノンRF35mm F1.8 IS STM |
スピードライト | キヤノン430EX Ⅱ |
三脚 | ベルボンEX-Macro |
最後に
最後は今回のロータス98Tをドライブしたジョニー・ダンフリーズについて、もう少し書いてみよう。
ロータス98Tといえば若きアイルトン・セナが活躍したマシンとして知られているが、今回のミニカーはジョニー・ダンフリーズ仕様になる。
セナがチャンピオンを獲得した1983年のイギリスF3に、ダンフリーズも同カテゴリーにデビューすると、翌1984年には10勝を挙げ、圧倒的な差でチャンピオンを獲得している。
その活躍で1985年にフェラーリF1のテストドライバーに抜擢され、1986年にこのロータスからF1デビューを果たす。
しかしロータスは1987年からホンダエンジンと契約をすると、それに伴って中嶋悟を迎え入れることになり、ダンフリーズは1年でF1を去ることになる。
F1引退後は世界スポーツプロトタイプカー選手権にジャガーから参戦し、伝統のスパ1,000kmでは総合優勝を記録しており、同年のル・マン24時間ではザウバーから参戦してファステストラップを記録した。
1988年はジャガーからル・マン24時間に参戦してヤン・ラマース、アンディ・ウォレスとのトリオで、見事総合優勝を果たしている。
1989年以降もトヨタやクラージュ・コンペティションからル・マン24時間に参戦したのち、1992年にレーシングドライバーを引退した。
このダンフリーズは、なんとF1界でも珍しいイギリスの貴族なのだ。
1993年に父の死去により第7代ビュート侯爵位を継承すると、日本円にして総資産1,800億円を引き継ぎ、スコットランドのビュート島などを住居としていた。
2021年3月に家族から死去が公表された。
以上、今回は1/43のロータス98Tを実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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