F1のパワーを路面に伝える唯一の接点タイヤは非常に重要な存在で、タイヤメーカーの競争、いわゆるタイヤ戦争により大きく進化を遂げてきました。
そんな重要なタイヤをF1に供給したタイヤメーカーは全部で5社あります。
ということで、今回はF1黎明期から現在に至るまでに参戦した9つのタイヤメーカーの参戦時期と、バチバチのタイヤ戦争の歴史について紹介したいと思います。
【1950年代】6社が参入する群雄割拠時代

F1黎明期の1950年代は、まだ市販タイヤとほぼ変わらない溝付きの細いタイヤでした。
そんな1950年代前半にタイヤを供給していたのが、ピレリとダンロップ、そしてイングルベールでしたが、その中で、当時最強だったアルファロメオやフェラーリに供給したピレリが、勝ち星を重ねていきました。
そして1954年からメルセデスがF1に参戦すると、同じドイツのコンチネンタルのタイヤを履き勝ちまくりますが、1955年にメルセデスがル・マン24時間で観客を巻き込む大事故を起こすと、同年でF1を含むモータースポーツ活動をすべて撤退し、程なくしてコンチネンタルも参戦を取りやめます(1958年の数戦にクーパーに供給し1勝)。
メルセデス撤退後は、フェラーリのイングルベール、マセラティやヴァンウォールのピレリ、ヴァンウォールやクーパーのダンロップが勝利数を伸ばしていきます。
旧型F1のデモランイベントでお馴染みのエイボンは1954年からF1に参入しましたが、勝利を手にすることは叶いませんでした。
尚、ファイアストンは毎シーズンコンスタントに1勝を記録していますが、これは当時F1シリーズに組み込まれていたインディ500によるものです。
1950年代は6社のタイヤメーカーが鎬を削った、まさに群雄割拠の時代でしたが、1950年代前半はピレリ時代で、中盤はコンチネンタル、終盤はダンロップの時代でした。
タイヤメーカー別優勝回数(1950-1959)
| 年 | P | D | E | F | C | A |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1950 | 6 | 0 | 0 | 1 | ||
| 1951 | 7 | 0 | 0 | 1 | ||
| 1952 | 7 | 0 | 0 | 1 | ||
| 1953 | 8 | 0 | 0 | 1 | ||
| 1954 | 4 | 0 | 0 | 1 | 4 | |
| 1955 | 1 | 0 | 0 | 1 | 5 | |
| 1956 | 2 | 0 | 5 | 1 | 0 | |
| 1957 | 7 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
| 1958 | 0 | 7 | 2 | 1 | 1 | 0 |
| 1959 | 8 | 1 | 0 | |||
| 合計 | 42 | 15 | 7 | 10 | 10 | 0 |
【1960年代】ダンロップからアメリカ勢に

富士モータースポーツミュージアムにて
1950年代後半から台頭したダンロップですが、1960年代に入るとダンロップの独占状態になります。
その後、1964年最終戦にデシントンフランシスレーシングなるチームがアメリカのグッドイヤーを履いてエントリーすると、グッドイヤーは1965年からブラバムとホンダに供給をして、本格参戦を開始します。
そして、その年の最終戦にホンダが勝利し、後に368勝するグッドイヤーの記念すべき1勝目を記録します。
翌1966年からF1は排気量が1.5Lから3.0Lに倍増し、その大パワーを路面に伝えるためにタイヤは大幅に太くなりますが、このタイミングでアメリカのファイアストンも参戦を開始(それまではF1に組み込まれていたインディのみ)。
こうして1960年代後半はダンロップ、ファイアストン、グッドイヤーの三つ巴の戦いになりました。
タイヤメーカー別優勝回数(1960-1969)
| 年 | D | F | G |
|---|---|---|---|
| 1960 | 9 | 1 | |
| 1961 | 8 | ||
| 1962 | 9 | ||
| 1963 | 10 | ||
| 1964 | 10 | 0 | |
| 1965 | 9 | 1 | |
| 1966 | 2 | 3 | 4 |
| 1967 | 0 | 6 | 5 |
| 1968 | 2 | 6 | 3 |
| 1969 | 6 | 2 | 3 |
| 合計 | 65 | 18 | 16 |
【1970年代】王者グッドイヤーに挑むミシュラン

1960年代に65勝と一時代を築いたダンロップでしたが、F1タイヤがスリックタイヤになる前年の1970年を最後に撤退(1976・1977年の日本開催のみ日本人が装着)します。
スリックタイヤになるとグッドイヤーが徐々に優勢になり、1973年からはグッドイヤーが連勝を伸ばして行き、1977年まですべてのグランプリで勝利します。
そのグッドイヤーの連勝を止めたのがミシュランで、1977年にルノーとともにF1にデビューすると、1978年にはルノーに加えてフェラーリにも供給して5勝を上げました。
尚、ミシュランは今では当たり前となっているラジアル構造のタイヤを、F1にはじめて導入しています。
1979年もルノーとフェラーリのみの供給だったミシュランですが、供給チームで圧倒的に勝るグッドイヤーの8勝に迫る7勝を上げています。
タイヤメーカー別優勝回数(1970-1979)
| 年 | D | F | G | B | M |
|---|---|---|---|---|---|
| 1970 | 2 | 10 | 1 | ||
| 1971 | 4 | 7 | |||
| 1972 | 7 | 5 | |||
| 1973 | 0 | 15 | |||
| 1974 | 0 | 15 | |||
| 1975 | 0 | 14 | |||
| 1976 | 0 | 16 | 0 | ||
| 1977 | 0 | 16 | 0 | 0 | |
| 1978 | 11 | 5 | |||
| 1979 | 8 | 7 | |||
| 合計 | 2 | 21 | 108 | 0 | 12 |
【1980年代】グッドイヤーvs.ミシュランからグッドイヤー1強に

ホンダコレクションホールにて
1980年代に入ってもグッドイヤーとミシュランのバチバチのタイヤ戦争は続きます。
1980年はミシュランの2チームの供給先のひとつであるフェラーリの極度の不振で勝利数を伸ばせませんでしたが、1981年にグッドイヤーが撤退(第8戦フランスグランプリから復帰)を発表すると、上位チームはミシュランに急遽変更し、ミシュランは勝ち星を稼ぎます。
ちなみに、この年グッドイヤーの急な撤退でミシュランの供給枠から漏れた下位チームは、ピレリやエイボンに急遽スイッチしています。
1982年はグッドイヤーが持ち直すも、1983年、1984年と、上位チームに供給していたミシュランが徐々にグッドイヤーを引き離します。
しかし1984年を最後にミシュランが撤退すると、ミシュラン勢はグッドイヤーにスイッチし、ピレリを圧勝。1986年を最後にピレリが撤退して、グッドイヤーの独占状態になりました。
1989年にピレリが復帰し、1991年までの3年間は予選用Qタイヤが登場。
ピレリは1度使用したQタイヤを皮剥きしてもう一度使う戦法を編み出しましたが、それでもグッドイヤーに勝利することはありませんでした。
タイヤメーカー別優勝回数(1980-1989)
| 年 | P | A | G | M |
|---|---|---|---|---|
| 1980 | 11 | 3 | ||
| 1981 | 0 | 0 | 2 | 13 |
| 1982 | 0 | 0 | 9 | 7 |
| 1983 | 0 | 6 | 9 | |
| 1984 | 0 | 2 | 14 | |
| 1985 | 1 | 15 | ||
| 1986 | 1 | 15 | ||
| 1987 | 16 | |||
| 1988 | 16 | |||
| 1989 | 0 | 16 | ||
| 合計 | 2 | 0 | 108 | 46 |
次のページでは、ブリヂストンが参入した1990年代から現在に至るまでを見ていきます!











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