【1990年代】グッドイヤー独占からブリヂストンへ
ピレリ復帰後も、性能差やチームの実力差でグッドイヤーの圧勝は続き、1991年を最後に撤退。
ふたたびグッドイヤーの独占状態となる。
1997年より日本のブリヂストンがF1に参入し、1991年以来のタイヤ戦争がはじまった。
当初ブリヂストンは中下位チームへの契約だったが、安定した性能でプロストグランプリをはじめとした中断チームが、グッドイヤーを履く上位チームを脅かすパフォーマンスを見せた。
そして、溝付きのグルーブドタイヤになった1998年より、トップチームの一角であるマクラーレンがブリヂストンと契約し、両メーカーの熾烈な開発競争の末、参戦2年目のブリヂストンが勝ち星でグッドイヤーを抜き、初の年間王者となる。
グッドイヤーはこの年を最後にF1を撤退した。
1965年ホンダでの1勝目から積み上げた勝利は368回。
最後の勝利は、第14戦イタリアグランプリでのミハエル・シューマッハ(フェラーリ)によるものだった。
タイヤメーカー別優勝回数(1990-1999)
年 | P | G | B |
---|---|---|---|
1990 | 0 | 16 | |
1991 | 1 | 15 | |
1992 | 16 | ||
1993 | 16 | ||
1994 | 16 | ||
1995 | 17 | ||
1996 | 16 | ||
1997 | 17 | 0 | |
1998 | 7 | 9 | |
1999 | 16 | ||
合計 | 1 | 136 | 25 |
【2000年代】ブリヂストンvs.ミシュラン
1999年から2000年まではブリヂストンの独占供給だったが、2001年にミシュランが1984年以来の復帰をする。
ミシュランはトップチームのウィリアムズと契約(その他ベネトン・ジャガー・プロスト)し、本気でブリヂストンに対抗するも、時代はフェラーリ(ブリヂストン)の黄金時代だった。
それでもミシュランは徐々に供給チームを増やし、2002年にはウィリアムズとルノー(この年ベネトンから改名)、ジャガーに加えて、マクラーレンとミナルディ、そしてトヨタにも供給。
2005年にはフェラーリを除くトップチームはすべてミシュランタイヤになった。
その2005年は予選、決勝レースを1セットのタイヤで走り抜くという変則レギュレーションになり、多くのデータが必要とされたが、前述したとおりブリヂストンの上位チームへの供給がフェラーリだけということでデータが少なく、その結果ミシュランが19戦18勝と大勝した。
しかしミシュランは、このシーズンの大勝利を喜ぶことができなかった。
ミシュランが唯一勝利を上げられなかったのが、インディアナポリスでのアメリカグランプリだった。
このレースではミシュランタイヤの構造上の問題により、フリー走行からバーストが頻発。
その結果ミシュランを履く7チーム14台が、すべてフォーメーションラップ後にピットインしてリタイヤを選択する。
ブリヂストンユーザーの3チーム6台によるレースに、アメリカの観客は激怒し、レースに参加できないタイヤを製造したミシュランは大きなブーイングを浴びせられることとなる。
その結果、ミシュランはこのレースのチケットを購入したファンに対し、補填すると発表。また翌2006年アメリカグランプリのチケットを2万枚購入し、2005年のチケット購入者に配布した。
そしてシーズン終了後にミシュランがF1からの撤退を発表したが、数チームの契約が翌年まで残っていたたため、2006年を最後にF1から撤退した。
そのブリヂストンvs.ミシュラン最後のシーズンは、タイヤ交換がふたたび許可され、両メーカーが9勝と分けあったが、ミシュランを履くルノーがチャンピオンを獲得した。
2007年以降はブリヂストンのワンメイクとなり、その後F1はタイヤメーカーを1社のみとレギュレーションで定め、タイヤ戦争は終焉した。
1998年から続いた溝付きのグルーブドタイヤだったが、2009年からスリックタイヤに変更となる。
タイヤメーカー別優勝回数(2000-2009)
年 | B | M |
---|---|---|
2000 | 17 | |
2001 | 13 | 4 |
2002 | 15 | 2 |
2003 | 9 | 7 |
2004 | 15 | 3 |
2005 | 1 | 18 |
2006 | 9 | 9 |
2007 | 17 | |
2008 | 18 | |
2009 | 17 | |
合計 | 131 | 43 |
【2010年代以降】ピレリのワンメイクへ
ブリヂストンは2010年を最後に撤退する。
その後継サプライヤーとして、韓国のクムホやハンコック、ネクセンや、かつてF1に供給したピレリなどの名が挙げられ、ミシュランも復帰を考えていると言われた。
そしてFIAは2010年6月に、ピレリが2011年からF1のタイヤサプライヤーになることを発表。
ピレリは1991年に撤退して以来、20年ぶりにF1復帰した。
以来、2024年現在もF1タイヤサプライヤーとして供給を続けている。
タイヤメーカー別優勝回数(2010-2023)
年 | P | B |
---|---|---|
2010 | 19 | |
2011-2023 | 262 | |
合計 | 262 | 19 |
まとめ
今回は、F1がはじまった1950年から現在に至るまでに参戦したタイヤメーカー9社の参戦時期と、タイヤ戦争について書いてみた。
市販タイヤと変わらなかった溝付きの細いタイヤだった頃は、ピレリやダンロップ、コンチネンタルやイングルベールが活躍した。
しかし、市販タイヤから脱却して太いタイヤとなった1960年代中盤から、徐々にグッドイヤーやファイアストンというアメリカ勢が台頭し、スリックタイヤになってからはグッドイヤーが覇権争いを制す。
1970年代後半からはミシュランがラジアルタイヤを導入し、1980年代中盤まで一進一退のバトルを繰り広げるも、突如ミシュランが撤退し、その後はグッドイヤーの1強時代になる。
しかし1990年代後半にブリヂストンが参入すると、一気に形勢が逆転し、グッドイヤーが撤退。
2000年代に入るとミシュランが復帰し、ブリヂストンvs.ミシュランの熾烈なタイヤ戦争が勃発する。
しかしインディゲートによりミシュランが撤退。
2000年代後半にタイヤサプライヤーを1社のみにするというレギュレーションが制定され、タイヤ戦争は終焉し、そのタイヤサプライヤーがブリヂストンのみに。
そして2011年からピレリが独占サプライヤーになり現在に至る。
タイヤメーカーが本気で開発し、メーカーごとにサーキットやコーナーで特性が変わるあの時代が懐かしい。
F1にタイヤ戦争が帰ってきてほしいと願うのは、私だけではないはずだ・・・。
年 | P | D | E | F | C | A | G | B | M |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1950 | 6 | 0 | 0 | 1 | |||||
1951 | 7 | 0 | 0 | 1 | |||||
1952 | 7 | 0 | 0 | 1 | |||||
1953 | 8 | 0 | 0 | 1 | |||||
1954 | 4 | 0 | 0 | 1 | 4 | ||||
1955 | 1 | 0 | 0 | 1 | 5 | ||||
1956 | 2 | 0 | 5 | 1 | 0 | ||||
1957 | 7 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||||
1958 | 0 | 7 | 2 | 1 | 1 | 0 | |||
1959 | 8 | 1 | 0 | ||||||
1960 | 9 | 1 | |||||||
1961 | 8 | ||||||||
1962 | 9 | ||||||||
1963 | 10 | ||||||||
1964 | 10 | 0 | |||||||
1965 | 9 | 1 | |||||||
1966 | 2 | 3 | 4 | ||||||
1967 | 0 | 6 | 5 | ||||||
1968 | 2 | 6 | 3 | ||||||
1969 | 6 | 2 | 3 | ||||||
年 | P | D | E | F | C | A | G | B | M |
1970 | 2 | 10 | 1 | ||||||
1971 | 4 | 7 | |||||||
1972 | 7 | 5 | |||||||
1973 | 0 | 15 | |||||||
1974 | 0 | 15 | |||||||
1975 | 0 | 14 | |||||||
1976 | 0 | 16 | 0 | ||||||
1977 | 0 | 16 | 0 | 0 | |||||
1978 | 11 | 5 | |||||||
1979 | 8 | 7 | |||||||
1980 | 11 | 3 | |||||||
1981 | 0 | 0 | 2 | 13 | |||||
1982 | 0 | 0 | 9 | 7 | |||||
1983 | 0 | 6 | 9 | ||||||
1984 | 0 | 2 | 14 | ||||||
1985 | 1 | 15 | |||||||
1986 | 1 | 15 | |||||||
1987 | 16 | ||||||||
1988 | 16 | ||||||||
1989 | 0 | 16 | |||||||
年 | P | D | E | F | C | A | G | B | M |
1990 | 0 | 16 | |||||||
1991 | 1 | 15 | |||||||
1992 | 16 | ||||||||
1993 | 16 | ||||||||
1994 | 16 | ||||||||
1995 | 17 | ||||||||
1996 | 16 | ||||||||
1997 | 17 | 0 | |||||||
1998 | 7 | 9 | |||||||
1999 | 16 | ||||||||
2000 | 17 | ||||||||
2001 | 13 | 4 | |||||||
2002 | 15 | 2 | |||||||
2003 | 9 | 7 | |||||||
2004 | 15 | 3 | |||||||
2005 | 1 | 18 | |||||||
2006 | 9 | 9 | |||||||
2007 | 17 | ||||||||
2008 | 18 | ||||||||
2009 | 17 | ||||||||
年 | P | D | E | F | C | A | G | B | M |
2010 | 19 | ||||||||
2011 | 19 | ||||||||
2012 | 20 | ||||||||
2013 | 19 | ||||||||
2014 | 19 | ||||||||
2015 | 19 | ||||||||
2016 | 21 | ||||||||
2017 | 20 | ||||||||
2018 | 21 | ||||||||
2019 | 21 | ||||||||
2020 | 17 | ||||||||
2021 | 22 | ||||||||
2022 | 22 | ||||||||
2023 | 22 | ||||||||
合計 | 307 | 82 | 7 | 49 | 10 | 0 | 368 | 175 | 101 |
以上、最後までご覧いただきありがとうございました。
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