【1990年代】グッドイヤー独占からブリヂストンへ

2018年日本GPにて
ピレリ復帰後も、タイヤの性能差やチームの実力差でグッドイヤーの圧勝は続き、1991年を最後にピレリは撤退して、ふたたびグッドイヤーの独占状態になります。
グッドイヤーの独占供給は長く続きますが、1997年より日本のブリヂストンがF1に参入し、1991年以来、久々のタイヤ戦争が始まります。
当初ブリヂストンは中下位チームへの契約でしたが、安定した性能でプロストグランプリをはじめとした中断チームが、グッドイヤーを履く上位チームを脅かすパフォーマンスを披露します。
そして溝付きのグルーブドタイヤになった1998年より、トップチームの一角であるマクラーレンがブリヂストンと契約し、両メーカーの熾烈な開発競争の末、参戦2年目のブリヂストンが勝ち星でグッドイヤーを抜き、初の年間王者に輝きます。
すると、グッドイヤーはこの年を最後にF1を撤退。グッドイヤーとブリヂストンのタイヤ戦争は、2年間という短い期間で終焉を迎えることになりました。
1965年ホンダでの1勝目から、グッドイヤーの積み上げた勝利は368回。最後の勝利は、第14戦イタリアグランプリでのミハエル・シューマッハ(フェラーリ)によるものでした。
タイヤメーカー別優勝回数(1990-1999)
| 年 | P | G | B |
|---|---|---|---|
| 1990 | 0 | 16 | |
| 1991 | 1 | 15 | |
| 1992 | 16 | ||
| 1993 | 16 | ||
| 1994 | 16 | ||
| 1995 | 17 | ||
| 1996 | 16 | ||
| 1997 | 17 | 0 | |
| 1998 | 7 | 9 | |
| 1999 | 16 | ||
| 合計 | 1 | 136 | 25 |
【2000年代】ブリヂストンvs.ミシュランの熾烈なタイヤ戦争

1999年から2000年まではブリヂストンの独占供給でしたが、2001年にミシュランが1984年以来の復帰を果たします。
ミシュランは当時のトップチームの一角だったウィリアムズと契約(その他ベネトン・ジャガー・プロスト)し、本気でブリヂストンに対抗するも、時代はフェラーリ(ブリヂストン)の黄金時代で苦戦を強いられます。
それでもミシュランは徐々に供給チームを増やし、2002年にはウィリアムズとルノー(この年ベネトンから改名)、ジャガーに加えて、マクラーレンとミナルディ、そしてトヨタにも供給を開始。2005年にはフェラーリを除くトップチームはすべてミシュランタイヤになりました。
その2005年は予選、決勝レースを1セットのタイヤで走り抜くという変則レギュレーションになり、多くのデータが必要とされましたが、前述したとおりブリヂストンの上位チームへの供給がフェラーリだけということでデータが少なく、その結果ミシュランが19戦18勝と大勝しました。
しかしミシュランは、このシーズンの大勝利を喜ぶことができませんでした。
ミシュランが唯一勝利を上げられなかったのが、インディアナポリスでのアメリカグランプリだったのですが、このレースではミシュランタイヤの構造上の問題により、フリー走行からバーストが頻発し、決勝ではミシュランを履く7チーム14台がすべてフォーメーションラップ後にピットインしてレースを放棄してしまったのです。
ブリヂストンユーザーの3チーム6台によるレースにアメリカの観客は激怒し、レースに参加できないタイヤを製造したミシュランは大きなブーイングを浴びせられることになります。
その結果、ミシュランはこのレースのチケットを購入したファンに対して補填すると発表。また翌2006年アメリカグランプリのチケットを2万枚購入し、2005年のチケット購入者に配布しました。
それがミシュランのブランディング戦略に対して大きなダメージとなり、シーズン終了後にミシュランはチームとの契約が終了する2006年末でのF1からの撤退を発表しました。
そのブリヂストンvs.ミシュラン最後のシーズンは、タイヤ交換がふたたび許可され、両メーカーが9勝と分け合いましたが、ミシュランを履くルノーがチャンピオンを獲得しています。
2007年以降はブリヂストンのワンメイクとなり、その後F1はタイヤメーカーを1社のみとレギュレーションで定め、タイヤ戦争は終焉するのでした。
1998年から続いた溝付きのグルーブドタイヤでしたが、2009年からスリックタイヤに変更となっています。
タイヤメーカー別優勝回数(2000-2009)
| 年 | B | M |
|---|---|---|
| 2000 | 17 | |
| 2001 | 13 | 4 |
| 2002 | 15 | 2 |
| 2003 | 9 | 7 |
| 2004 | 15 | 3 |
| 2005 | 1 | 18 |
| 2006 | 9 | 9 |
| 2007 | 17 | |
| 2008 | 18 | |
| 2009 | 17 | |
| 合計 | 131 | 43 |
【2010年代以降】ピレリのワンメイクへ

2019年日本GPにて
ブリヂストンは2010年を最後にF1撤退。
その後継サプライヤーとして、韓国のクムホやハンコック、ネクセンや、かつてF1に供給したピレリなどの名が挙げられ、ミシュランも復帰を考えていると噂されました。
そしてFIAは2010年6月に、ピレリが2011年からF1のタイヤサプライヤーになることを発表。ピレリは1991年に撤退して以来、20年ぶりにF1復帰しました。
以来、2025年現在もF1タイヤサプライヤーとしてピレリが供給を続けています。
タイヤメーカー別優勝回数(2010-2025Rd.12)
| 年 | P | B |
|---|---|---|
| 2010 | 19 | |
| 2011-2025Rd.12 | 262 | |
| 合計 | 298 | 19 |
まとめ

今回は、F1がはじまった1950年から現在に至るまでに参戦したタイヤメーカー9社の参戦時期と、タイヤ戦争について書いてみました。
市販タイヤと変わらなかった溝付きの細いタイヤだった頃は、ピレリやダンロップ、コンチネンタルやイングルベールが活躍します。
1960年代中盤から市販タイヤから大きく脱却して専用の太いタイヤになり、徐々にグッドイヤーやファイアストンというアメリカ勢が台頭し、スリックタイヤになってからはグッドイヤーが覇権争いを制します。
1970年代後半からはミシュランがラジアルタイヤを導入し、1980年代中盤までグッドイヤーと一進一退のバトルを繰り広げるも、突如ミシュランが撤退し、その後はグッドイヤーの1強時代が続きます。
1990年代後半にブリヂストンが参入すると、一気に形勢が逆転し、グッドイヤーが撤退。
2000年代に入るとミシュランが復帰し、ブリヂストンvs.ミシュランの熾烈なタイヤ戦争が勃発しますが、インディゲートによりミシュランが撤退。
2000年代後半にタイヤサプライヤーを1社のみにするというレギュレーションが制定され、タイヤ戦争は終焉し、そのタイヤサプライヤーがブリヂストンのみに。
そして2011年からピレリが独占サプライヤーになり現在に至ります。
タイヤメーカーが本気で開発し、メーカーごとにサーキットやコーナーで特性が変わるあの時代が懐かしい。
F1にタイヤ戦争が帰ってきてほしいと願うのは、私だけではないはず・・・です。
| 年 | P | D | E | F | C | A | G | B | M |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1950 | 6 | 0 | 0 | 1 | |||||
| 1951 | 7 | 0 | 0 | 1 | |||||
| 1952 | 7 | 0 | 0 | 1 | |||||
| 1953 | 8 | 0 | 0 | 1 | |||||
| 1954 | 4 | 0 | 0 | 1 | 4 | ||||
| 1955 | 1 | 0 | 0 | 1 | 5 | ||||
| 1956 | 2 | 0 | 5 | 1 | 0 | ||||
| 1957 | 7 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||||
| 1958 | 0 | 7 | 2 | 1 | 1 | 0 | |||
| 1959 | 8 | 1 | 0 | ||||||
| 1960 | 9 | 1 | |||||||
| 1961 | 8 | ||||||||
| 1962 | 9 | ||||||||
| 1963 | 10 | ||||||||
| 1964 | 10 | 0 | |||||||
| 1965 | 9 | 1 | |||||||
| 1966 | 2 | 3 | 4 | ||||||
| 1967 | 0 | 6 | 5 | ||||||
| 1968 | 2 | 6 | 3 | ||||||
| 1969 | 6 | 2 | 3 | ||||||
| 年 | P | D | E | F | C | A | G | B | M |
| 1970 | 2 | 10 | 1 | ||||||
| 1971 | 4 | 7 | |||||||
| 1972 | 7 | 5 | |||||||
| 1973 | 0 | 15 | |||||||
| 1974 | 0 | 15 | |||||||
| 1975 | 0 | 14 | |||||||
| 1976 | 0 | 16 | 0 | ||||||
| 1977 | 0 | 16 | 0 | 0 | |||||
| 1978 | 11 | 5 | |||||||
| 1979 | 8 | 7 | |||||||
| 1980 | 11 | 3 | |||||||
| 1981 | 0 | 0 | 2 | 13 | |||||
| 1982 | 0 | 0 | 9 | 7 | |||||
| 1983 | 0 | 6 | 9 | ||||||
| 1984 | 0 | 2 | 14 | ||||||
| 1985 | 1 | 15 | |||||||
| 1986 | 1 | 15 | |||||||
| 1987 | 16 | ||||||||
| 1988 | 16 | ||||||||
| 1989 | 0 | 16 | |||||||
| 年 | P | D | E | F | C | A | G | B | M |
| 1990 | 0 | 16 | |||||||
| 1991 | 1 | 15 | |||||||
| 1992 | 16 | ||||||||
| 1993 | 16 | ||||||||
| 1994 | 16 | ||||||||
| 1995 | 17 | ||||||||
| 1996 | 16 | ||||||||
| 1997 | 17 | 0 | |||||||
| 1998 | 7 | 9 | |||||||
| 1999 | 16 | ||||||||
| 2000 | 17 | ||||||||
| 2001 | 13 | 4 | |||||||
| 2002 | 15 | 2 | |||||||
| 2003 | 9 | 7 | |||||||
| 2004 | 15 | 3 | |||||||
| 2005 | 1 | 18 | |||||||
| 2006 | 9 | 9 | |||||||
| 2007 | 17 | ||||||||
| 2008 | 18 | ||||||||
| 2009 | 17 | ||||||||
| 年 | P | D | E | F | C | A | G | B | M |
| 2010 | 19 | ||||||||
| 2011 | 19 | ||||||||
| 2012 | 20 | ||||||||
| 2013 | 19 | ||||||||
| 2014 | 19 | ||||||||
| 2015 | 19 | ||||||||
| 2016 | 21 | ||||||||
| 2017 | 20 | ||||||||
| 2018 | 21 | ||||||||
| 2019 | 21 | ||||||||
| 2020 | 17 | ||||||||
| 2021 | 22 | ||||||||
| 2022 | 22 | ||||||||
| 2023 | 22 | ||||||||
| 2024 | 24 | ||||||||
| 2025 | 12 | ||||||||
| 合計 | 343 | 82 | 7 | 49 | 10 | 0 | 368 | 175 | 101 |
以上、最後までご覧いただきありがとうございました。











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