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ナカジマレーシングの歴代GT500マシン ドライバー タイトルスポンサー タイヤ 成績一覧(1998-2024)

今回はナカジマレーシングのスーパーGTとその前身である全日本GT選手権の歴史を見ていきます。

ナカジマレーシングといえば日本人初のF1レギュラードライバーの中嶋悟さんがオーナーのレーシングチームで、レース関係者からは中企(ナカキ=中嶋企画)という愛称で呼ばれています。

そんな中嶋悟さんが自らのレーシングチームを設立したのは現役時代の1983年。本場のヨーロッパでレースに参戦するために人を頼っては実現しない、と思い、設立を決意しました。

中嶋悟さんは1991年を最後にF1を引退すると、1992年からはナカジマレーシングの監督に就任。その後は国内レースのトップカテゴリーを中心により積極的に参戦。全日本GT選手権にも1998年から参戦を開始しています。

ではそんなナカジマレーシングのGTの歴史を、1998年から順に見ていきましょう。

敬称について

現役選手の敬称については〇〇選手と表記すれば失礼がないと思いますが、引退選手の敬称についてはどのように表記すればいいのか・・・いつも悩んでしまいます。

〇〇元選手?それとも〇〇氏?いやちょっと硬いですね。では〇〇さん?うーん、チカラが抜けてしまいます。

色々考えましたが、現役時代のことについて書くため引退選手に関しても〇〇選手と表記します。

ちょっと違和感があるかもしれませんがあしからず。

1998年

64号車
  • ドライバー:山西康司(佐藤浩二)/トム・コロネル
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:Mobil 1
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:2位
  • チームズランキング:2位

ナカジマレーシングが全日本GT選手権に参戦を開始したのが1998年。

ドライバーはフォーミュラニッポンでもナカジマレーシングのステアリングを握る山西康司選手とトム・コロネル選手のコンビでした。

中嶋悟監督はF1参戦以前からホンダと深い関わりがあったため、全日本GT選手権でもマシンはもちろんホンダNSX-GT。

現在はダンロップタイヤを履くナカジマレーシングですが、参戦当初はブリヂストンタイヤでした。

タイトルスポンサーはアメリカのオイル関連企業であるエクソンモービルのブランド、Mobil 1。シンプルなホワイトのカラーリングにMobil 1のロゴが特徴的でしたね。

ナカジマレーシングが選んだカーナンバーはフォーミュラニッポンと同じ64。この番号は中嶋悟監督がF1に参戦していた1989年オーストラリアグランプリで、日本人初のファステストラップを記録した際のラップ数(64周目)から取られた数字です。

そんなカーナンバー64を付けたナカジマレーシングの初年度は、開幕戦の鈴鹿でいきなり2位表彰台を獲得。さらに第4戦富士では早くもチーム初優勝を記録。第6戦MINEでも2位に入り、シーズンランキングは2位と、初参戦とは思えないほどの素晴らしいシーズンデビューでした。

1999年

64号車
  • ドライバー:トム・コロネル/山西康司→光貞秀俊
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:Mobil 1
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:5位
  • チームズランキング:4位

ナカジマレーシングのGT参戦2年目もドライバーはトム・コロネル選手と山西康司選手のコンビでした。しかし第4戦を最後に山西康司選手がチームを去り、この年からフォーミュラニッポンでナカジマレーシングに所属する光貞秀俊選手が第5戦からGTのステアリングも任されることになります。

この年はシーズン前半に苦戦をしますが、第6戦TIサーキット英田(現:岡山国際サーキット)でポールトゥウィンを達成。ちなみにこのレースではファステストラップも記録しハットトリックを達成しています。

しかし表彰台はこの1度にとどまり、前年を下回るドライバーズランキング5位でシーズンを終えました。

2000年

64号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:伊藤大輔/ドミニク・シュワガー
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:Mobil 1
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:4位
  • チームズランキング:4位

2000年のナカジマレーシングはドライバーラインナップを刷新。GT500初挑戦の若手伊藤大輔選手とチームタイサンから移籍してきたドミニク・シュワガー選手のコンビになります。

この年は開幕戦のもてぎで3位表彰台を獲得すると、第3戦SUGOと最終戦鈴鹿のシーズン2勝を記録。しかしシーズン未勝利ながらも着実にポイントを積み上げたチーム無限の道上龍選手の前に敗れ、ドライバーズランキングは4位でした。

2001年

64号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:ドミニク・シュワガー/松田次生
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:Mobil 1
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:8位
  • チームズランキング:7位

2001年のナカジマレーシングのドライバーラインナップは、ドミニク・シュワガー選手と松田次生選手のコンビ。前年まで所属していた伊藤大輔選手はチームクニミツに移籍し、代わりに前年チームテイクワンでマクラーレンを走らせていた松田次生選手が加入しました。

この年は開幕戦のTIサーキット英田(現:岡山国際サーキット)で幸先よく3位表彰台を獲得すると、第5戦もてぎで優勝。しかし終盤2戦で連続リタイヤを喫したこともあり、参戦以来ワーストのドライバーズランキング8位でシーズンを終えました。

2002年

64号車
  • ドライバー:松田次生/ラルフ・ファーマン
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:Mobil 1
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:2位
  • チームズランキング:3位

2002年のドライバーはドミニク・シュワガー選手がチーム無限に移籍し、代わりにサードからラルフ・ファーマン選手が加入。チーム在籍2年目の松田次生選手とチームメイトになります。

この年は開幕戦のTIサーキット英田(現:岡山国際サーキット)で優勝とともにハットリックも達成し素晴らしいシーズンスタートを切ります。

さらに第4戦セパンでも開幕戦同様にハットトリック。

そして最終戦の鈴鹿でも優勝を記録します。

2002年シーズンは優勝3回、ポールポジション3回、ファステストラップ3回と、ウエイト加算があるGTでは考えられないほどの好成績を上げるも、4度のポイント圏外フィニッシュが響き、シーズン1勝ながら着実にポイントを稼いだチームルマンの前に、1ポイント差で惜しくもドライバーズタイトルを獲得するには至りませんでした。

2003年

64号車
2003年JGTC第2戦にて
  • ドライバー:松田次生/小暮卓史→アンドレ・ロッテラー
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:Mobil 1
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:11位
  • チームズランキング:8位

2003年のドライバーは、チーム在籍3年目の松田次生選手と、全日本GT選手権初挑戦の新鋭小暮卓史選手のコンビでした。

この年はホンダNSX-GTに対して前面投影面積規制によるプラス補正と、エンジン搭載位置の横置きから縦置きへの変更で、ホンダ陣営が特に序盤戦で苦戦を強いられます。同じくナカジマレーシングも厳しいレースが続きます。

そんな中、第3戦終了後に小暮卓史選手がチームを離脱。代わりにGT初挑戦のアンドレ・ロッテラー選手が第4戦からチームに加入します。

その後第7戦オートポリスで2位に入りますが、シーズンを通して表彰台はその1回のみ。

結局1999年シーズン以来、4年ぶりに年間未勝利に終わり、ドライバーズランキングは参戦以来最も低い11位でした。

次のページでは2004年から2009年のナカジマレーシングを紹介します

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。