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サードの歴代GT500マシン ドライバー タイトルスポンサー タイヤ 成績一覧(1994-2024)

今回はサードのGTに於ける歴史を見ていきたいと思います。

サードといえばトヨタ系の中では現在は少々地味なイメージもありますが、過去を紐解くと元F1ドライバーや国内でも屈指の人気を誇るドライバーが所属したとっても華やかなチームでした。

またブリヂストン、ミシュラン、ヨコハマ、ダンロップと、2023年現在GT500クラスに供給するすべてのタイヤメーカーと契約したことがある唯一のチームでもあります。

そんなサードがGTに参戦を開始したのが1994年。現在も参戦するトヨタ系GT500チームの中ではもっとも早い参戦だったのですね。

では、サードのGT参戦の歴史を見てみましょう。

敬称について

現役選手の敬称については〇〇選手と表記すれば失礼がないと思いますが、引退選手の敬称についてはどのように表記すればいいのか・・・いつも悩んでしまいます。

〇〇元選手?それとも〇〇氏?いやちょっと硬いですね。では〇〇さん?うーん、チカラが抜けてしまいます。

色々考えましたが、現役時代のことについて書くため引退選手に関しても〇〇選手と表記します。

ちょっと違和感があるかもしれませんがあしからず。

1994年

39号車
出典:https://www.as-web.jp/
  • ドライバー:ジェフ・クロスノフ
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:
  • タイヤ:ミシュラン
  • ドライバーズランキング:27位
  • チームズランキング:

サードの全日本GT選手権への初参戦は、シリーズ初年度の1994年第4戦から。現在スーパーGTに参戦するトヨタ系GT500チームの中では最も早い参戦でした。

ドライバーはジェフ・クロスノフ選手。クロスノフ選手は1988年に来日して全日本F3000や全日本ツーリングカー選手権で活躍していたアメリカ人ドライバーです。

マシンは80型スープラ。現在のGT500マシンは一見市販車に似ていますが、よく見るとまったくの別物。しかし当時は市販車のスープラから多くの部品が流用されており、写真の通り見た目も市販車から大きくかけ離れていませんね。

タイヤはミシュラン。ミシュランタイヤはこのサードへの供給が全日本GT選手権初でした。

この年は終盤2戦の参戦のみで、最終戦ではチーム初のポイントを獲得しています。

1995年

39号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:ジェフ・クロスノフ
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:
  • タイヤ:ダンロップ
  • ドライバーズランキング:8位
  • チームズランキング:6位

参戦2年目となる1995年のサードは前年と同様にドライバーはジェフ・クロスノフ選手が勤めました。当時は1人のドライバーでの参戦も可能でしたね。

マシンを見るとトヨタ車体や日本電装(現デンソー)のロゴが入っていますが、マシン名に名を連ねるタイトルスポンサーはありませんでした。

タイヤは前年のミシュランからダンロップにスイッチしています。

この年は開幕戦と第6戦の2度3位表彰台を獲得し、ドライバーズランキングが8位、チームズランキングが6位になっています。

参戦以来サードのステアリングを握っていたクロスノフ選手はこの年を最後に日本での参戦を終了し、翌年からアメリカ最高峰のCARTに参戦するも、第11戦で事故に遭い他界してしまいました。

1996年

39号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:ワイン・ガードナー→長坂尚樹/アラン・フェルテ→ジャンピエロ・シモーニ
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:
  • タイヤ:ダンロップ
  • ドライバーズランキング:9位
  • チームズランキング:6位

1996年シーズンからワイン・ガードナー選手とアラン・フェルテ選手の2人体制で参戦。ガードナー選手は1992年まで2輪の最高峰世界GPに参戦してチャンピオンも獲得した名ライダーです。

またセントラルサーキットで行われたオールスター戦では元F1ドライバーのオリビエ・グルイヤール選手が参戦しています。

この年は第2戦の富士で唯一の表彰台(3位)を獲得。ドライバーズランキングは9位でした。

1997年

39号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:オリビエ・グルイヤール→谷川達也/影山正美
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:デンソー
  • タイヤ:ヨコハマ
  • ドライバーズランキング:2位
  • チームズランキング:2位

1997年シーズンは前年のオールスター戦から引き続きオリビエ・グルイヤール選手が参戦し、この年から加入した影山正美選手とコンビを組むも、第2戦からはグルイヤール選手に代わり谷川達也選手が加入しています。

この年からデンソーがスポンサーフィーを増額してマシン名に名を連ねました。

タイヤはダンロップからヨコハマにスイッチ。

この年はサード飛躍の年でした。

まず開幕戦の鈴鹿でチーム最上位となる2位に入ると、第2戦の富士でチーム初優勝を果たします。

さらに第4戦のシーズン2度目の富士でも優勝。しかし終盤2戦で失速し、サードの影山正美選手はトムスの2人と同ポイントになり、優勝2回と2位1回も同数。結局トムスの2人が3位の回数で影山正美選手は惜しくもタイトル獲得はなりませんでした。

1998年

39号車
  • ドライバー:土屋圭市/谷川達也
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:デンソー
  • タイヤ:ヨコハマ
  • ドライバーズランキング:6位
  • チームズランキング:7位

1998年は絶大な人気を誇る土屋圭市選手がタイサンからサードに移籍し、谷川達也選手とコンビを組みます。

この年は2度の表彰台(いずれも3位)を獲得しますが、前年ほどの活躍はできずにドライバーズランキングは6位に終わりました。

1999年

39号車
  • ドライバー:土屋圭市/影山正彦
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:デンソー
  • タイヤ:ヨコハマ
  • ドライバーズランキング:22位
  • チームズランキング:12位

1999年は谷川達也選手に代わり影山正彦選手が日産系のニスモから移籍加入し、土屋圭市選手とタッグを組みます。

そんな体制で挑んだシーズンでしたが、この年は入賞2回 最上位フィニッシュ7位と全くいいところが無く、ドライバーズランキングは参戦以来最も悪い22位という結果でした。

2000年

39号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:影山正彦/ラルフ・ファーマン
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:デンソー
  • タイヤ:ヨコハマ
  • ドライバーズランキング:12位
  • チームズランキング:7位

2000年のサードは土屋圭市選手からラルフ・ファーマン選手にドライバー変更。チーム2年目の影山正彦選手とコンビを組みます。

この年もタイトルスポンサーを務めますが、当時のサードのマシンには大きく大塚家具のロゴも入っていましたね。

現在はお家騒動の末にヤマダグループの傘下になっていますが、この時点ではまだあの騒動の前(大塚久美子さんが社長に就任したのは2009年)で、当時は事業を大きく拡大していた最中でサードにも多額のスポンサーフィーを支払っていたことがマシンからわかります。

さて成績はこの年も表彰台は獲得できず、最高位は第3戦SUGOの6位でした。ただノンタイトルレースのセパンで2位を獲得しています。

次のページでは2001年から2006年のサードを紹介します

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。