1990年、日本のいすゞがF1エンジンを製作し、実際にF1マシンに搭載してシルバーストンサーキットでテスト走行を行った事実を知っているだろうか?
今回はYouTubeでその貴重な映像を発見したので、いすゞF1エンジン製作のプロジェクトを解説しながら、いすゞF1エンジンの走行映像を紹介してみようと思う。
いすゞのF1エンジン製作プロジェクト
F1ブームに沸いていた1990年に、ホンダが活躍しヤマハが1年の休止を強いられていた時代、いすゞがF1エンジンを製作したことを知っているだろうか?
「知ってるよ、弱小コローニに搭載して予備予選すらも通過できなかったあのメーカーでしょ」ってあなた、それはスバル、いすゞはあのトラックやバスの製造で知られる国産メーカーです。
だけど、いすゞがF1に参戦した経歴は・・・もちろん無い。
そう、F1エンジン製作は参戦が目的ではなく、自社技術陣による腕試しのためだった。
いすゞは1990年当時のレギュレーションに則り、当時フェラーリやランボルギーニのみが使用した(翌年はホンダ、ヤマハ)最大気筒数の12気筒を洗濯し3.5LのNAエンジンの製作を決断。
1990年1月に4名だけのプロジェクトとして製作が開始すると、多くの部品製造は神戸製鋼などに依頼し、ピストンはレーシングエンジン製造で有名なマーレに委託している。
その年の12月に部品が揃い12月24日に第1号機が完成すると、そのエンジンはいすゞP799WEと命名された。
翌1991年2月にベンチテストを開始すると、最初のテストで12,000回転で約646馬力を記録し、F1に参戦する他のエンジンメーカーと遜色のないポテンシャルを発揮する。その後も改良が加えられ、最終的にいすゞP799WEは13,500回転で約765馬力を発生させたと言われている。
ロータスいすゞがシルバーストンでテスト走行
本来このベンチテストでプロジェクトは終了する予定だったが、あまりにも出来が良かったため実際にF1マシンに搭載してみようということになり、当時市販車部門で提携していたロータスカーズに仲人を依頼する。
そうそう、現在国内で乗用車を市販していないいすゞだが、当時はまだジェミニやピアッツァなどが売られており、その上級グレードには『ハンドリングバイロータス』と書かれていたね。
そのロータスカーズの仲介で、F1チームのロータスにエンジンを搭載することが決定する。
当時のロータスのマシンであるロータス102Bは、ジャッド製のV8エンジンを搭載していた。
小さなV8エンジンを搭載するマシンにデカイV12を搭載するのは無理でしょ?と思う方もいるだろうが、じつは当時のロータスは極度の財政難で、ロータス102Bは前年のロータス102の使い回し(もちろん改良はしているが)で、その前年型はランボルギーニ製のV12を搭載してたため、いわばV12を搭載するために設計されていたマシンなのだ。
そのためいすゞ製V12エンジンを搭載するために大きな改造は要さなかったというが、エンジンマウントやベルハウジング、エンジンカウル、ラジエターなどは改造して搭載しおり、マシンはロータス102Cと命名されている。
いすゞP799WEを搭載したロータス102Cは、1991年7月31日と8月2日にロータスカーズのテストコースでシェイクダウンが行われ、1991年8月6日、F1イギリスグランプリの舞台であるシルバーストンサーキットでついにテスト走行が開始された。まずは南コースで120kmを走行すると8月7日にはフルコースでトータル150kmを走破した。
そのテストを実施した時の貴重な映像がYouTubeにあるので紹介しよう。
V12エンジンの甲高い音色は現役のF1エンジンと遜色なく、同時にテストを行っていたマクラーレンに搭載されるホンダ製V12エンジンにも引けを取らないほどだということが映像からも伺える。
この日記録したロータスいすゞのラップタイムは1分30秒で、マクラーレンホンダが記録したタイムの約6秒遅れだったというが、急造のマシンとオルタネーターを搭載していなく、その代わりに数個のバッテリーを搭載していたことから車重が約40kg増だったことを考えると素晴らしい結果だったと言われている。
実際にチーム関係者からは「少なくてもランボルギーニV12エンジンと同程度の性能は出ていた」と証言している。
いすゞP799WEのスペック
全長×全幅×全高 | 690mm×580mm×495mm |
気筒数・角度 | V型12気筒・75度 |
排気量 | 3,493cc |
最大馬力 | 765馬力/13,500回転 |
ボア×ストローク | 85mm×51.3mm |
圧縮比 | 13.0:1 |
重量 | 158kg |
最後に
いすゞ製F1エンジンP799WEは当初の目標であるテスト走行を行ったことでプロジェクトを終了し、その後一切活動の記録はない。
いすゞP799WEは部品として10機が製作され、1997年現在で完成状態として7機、部品として2機の存在が確認されていたが、現在存在が確認されているのはタミヤ本社に展示してある1機のみで、そのほかのエンジンについての所在は不明だという。
私は高校生の頃(1990-1993)帰り道によくタミヤ本社に立ち寄っていたが、いつの頃からかいすゞP799WEとロータス102Cが展示され、穴があくほど見物したことを思い出す。
このタミヤ本社にあるいすゞP799WEとロータス102Cが、いすゞがF1エンジンを製造し、実際にテスト走行まで行ったことを物語る動かぬ証拠である。
以上、最後までご覧いただきありがとうございました。
余談だが、ロータスは翌1992年もロータス102の改良型であるロータス102Dを使用し、驚くべきことに3年もの間ほぼ同マシンを使ったことになり、エンジンはテストも含めると4メーカーが搭載されているのだ!