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日本人トップレーシングドライバー5人の電撃メーカー間移籍

現在活躍する日本人のトップレーシングドライバーは、幼少期にメーカーの育成プログラムからスカラシップを得て、系列のチームと契約をして活躍をしているのがほとんどだ。

では、そのメーカーを移籍した日本人ドライバーは過去にいたのか?

そこで今回は、過去にメーカー間を移籍した日本人トップレーシングドライバーを5人紹介してみよう。

脇阪寿一【ホンダ→トヨタ】

左から2番目が脇阪寿一
2005年富士スピードウェイリニューアルカーニバルにて

脇阪寿一は1995年にホンダと繋がりの深い戸田レーシングで全日本F3選手権に参戦すると、翌1996年に同じくホンダと深い関係の童夢で全日本F3でチャンピオンを獲得し、2シーズンともにエンジンはホンダ系の無限エンジンを搭載している。

ちなみに当時はスズキ系のディーラーに就職し、アルトやセルボモードなどを販売していたという。

1997年からフォーミュラニッポンにステップアップするが、参戦は無限と童夢がタイアップしたホンダ系のチームで、全日本GT選手権にも同チームからNSXで出場する。

転機は2001年で、トヨタ系のチームルマンから参戦し、マシンはスープラを使用。

以来全日本GT選手権からスーパーGTまで、トムス・クラフト・サード・レーシングプロジェクトバンドウとトヨタ系のチームを渡り歩き、現在はトヨタモータースポーツアンバサダーまで任されるほどのトヨタモータースポーツの顔として現在に至る。

  • 〜2000年 ホンダ系
  • 2001年〜 トヨタ系

高木虎之介【トヨタ→ホンダ→トヨタ】

高木虎之介最後のスーパーGT参戦シーズン
2008年スーパーGT第2戦にて(Mさん提供)

高木虎之介はカートで活躍したのち、1992年にかつてトヨタが主催していたフォーミュラトヨタに参戦し、翌1993年にトヨタ系のトムスから全日本F3にステップアップして2シーズンを戦う。

転機は1994年。

完全なホンダ系チームである元F1ドライバー中嶋悟のチームから全日本F3000にスポット参戦すると、フォーミュラニッポンにシリーズ名称が変わった1997年までナカジマレーシングで戦い、翌1998年からは中嶋悟の大きなサポートを受けてF1に参戦した。

ちなみに当時ホンダはF1にエンジンを供給しておらず、当時高木虎之介がF1で所属していたティレルではフォードエンジンを、アロウズではブライアン・ハートによる自社製のアロウズV10を使用していた。

F1活動を終えた翌年の2000年にはフォーミュラニッポンに戻り、ナカジマレーシングからホンダエンジンで参戦し、10戦8勝の圧倒的な強さでシリーズタイトルを獲得した。

そして2001年に、高木虎之介はアメリカンオープンホイールのトップシリーズであるCART参戦にあたり、ふたたびトヨタの所属となる。

トヨタエンジンを搭載するウォーカーモータースポーツで2シーズンを戦い、2003年にはトヨタの供給先が同じくアメリカのトップシリーズであるインディカーシリーズに変更したため、高木虎之介も同シリーズからトヨタ系のモーナンレーシングから2年間参戦した。

2005年からは戦いの舞台を日本のフォーミュラニッポンとスーパーGTに変更し、フォーミュラニッポンではトヨタエンジンを搭載する自チームのタカギプランニングとチームルマン で、スーパーGTではトヨタ系のセルモとサードで参戦している。

  • 〜1994年 トヨタ系
  • 1994年〜2000年 ホンダ系
  • 2001年〜 トヨタ系

伊藤大輔【ホンダ→トヨタ】

伊藤大輔最後のスーパーGT
2017年スーパーGT第2戦にて

伊藤大輔は1995年にホンダ系の鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラクラス(SRS-F)の1期生として入校し、1996年にフォーミュラトヨタでデビューし、その年に1戦のみスポットで全日本F3をトヨタエンジンで参戦する。

そして1997年から全日本F3にホンダ系の無限エンジンを搭載するスキルスピードで本格参戦し、3シーズンを同チームで戦う。

2000年からは全日本GT選手権のGT500クラスに、ホンダ系のナカジマレーシング・チームクニミツ・無限・童夢・ARTAで参戦。

そして転機は2008年。

長年所属したホンダからトヨタ系のチームルマンに移籍し、2013年からはトヨタ系のエースチームであるトムスに所属してレーシングドライバーを引退した。

そして現在は長年所属したトムスで、36号車の監督を務めている。

  • 〜2007年 ホンダ系
  • 2008年〜 トヨタ系

平手晃平【トヨタ→日産】

中央が平手晃平
2017年スーパーGT第2戦にて

2001年に15歳でフォーミュラトヨタレーシングスクールを受講しスカラシップを獲得した平手晃平は、2002年に史上最年少でフォーミュラトヨタに参戦を果たす。

そして2003年から2004年まで、トヨタヤングドライバーズプログラム(TDP)から支援を受けてフォーミュラルノー2000イタリア選手権に参戦し、2005年はF3ユーロシリーズにステップアップし2006年まで戦う。

2007年には、同じくトヨタヤングドライバーズプログラム(TDP)の支援を受けて、F1直下のGP2に参戦を果たす。

2008年からは戦いの舞台を日本に移し、フォーミュラニッポン→スーパーフォーミュラではトヨタ系のチームインパルやセルモインギングで参戦し、スーパーGTには同じくトヨタ系のapr・サード・セルモで参戦をして、2度のチャンピオンを獲得する。

しかし同メーカーとの接触が相次ぎ、2018年にはトヨタ系のGT300チームであるaprに降格する。

すると2019年、長年所属していたトヨタから日産系チームのNDDPレーシングwith B-MAXに電撃移籍をして現在に至る。

  • 〜2018年 トヨタ系
  • 2019年〜 日産系

松下信治【ホンダ→日産→ホンダ】

本山哲のチームなどからカートに参戦していた松下信治は、2011年にホンダ系の鈴鹿レーシングスクール(SRS-F)に入校すると書籍で卒業をしスカラシップを得る。

2012年にはフェラーリドライバーアカデミー(FDA)に日本人としてはじめて参加し、フェラーリのテストコースであるフィオラノサーキットでF3マシンを走らせている。

2013年にはホンダ系のHFDPレーシング×無限から全日本F3に参戦をして翌2014年にはチャンピオンを獲得すると、シリーズ終了後にはGP2のテストにも参加した。

2015年からはホンダの支援を得てF1直下のGP2に参戦し、この年からF1にパワーユニットを供給するホンダの次期日本人F1ドライバー候補の筆頭にも挙げられていた。

F1直下のカテゴリーにはGP2から名称を変更したFIA-F2に2017年まで参戦をし、2018年は日本に戻りホンダの支援のもとスーパーフォーミュラに参戦すると、2019年にはふたたびFIA-F2に参戦し日本人初のレース1優勝という快挙を達成した。

しかし2020年、FIA-F2にさらにチャレンジしたいと、ホンダの契約を離れ自らF2チームのMPと契約したが、志半ばでチームを離脱してシーズン途中で日本に帰国し、スーパーGTにホンダ系チームからスポットで参戦し、スーパーフォーミュラにはホンダエンジンをリースで借りていると言われる日産系のB-MAXから終盤の4戦に参戦した。

2021年は長年支援を受けていたホンダを完全に離れ、日産系のチームインパルからスーパーGTのGT500クラスに参戦をする。

同じく国内のスーパーフォーミュラにも前年スポットで参戦したB-MAXからの参戦が期待されたが、エンジンを供給するホンダ側のNGがあったのか参戦は厳しい模様だ。

  • 〜2019年 ホンダ系
  • 2021年 日産系
  • 2022年〜 ホンダ系

しかし、オートサロンでのホンダ陣営2022年スーパーGT体制発表の席において、松下信治のホンダへの出戻り遺跡が発表された。

日産陣営に移籍してGT500初優勝も飾り、次期日産のエースドライバーとしてニスモへの移籍も噂されていただけに、この出戻りは衝撃的だった。

最後に

左から2番目が脇阪寿一で一番右が平手晃平
2017年スーパーGT第2戦にて

今回は日本人レーシングトップドライバーのメーカー間移籍についてまとめてみたが、脇阪寿一、高木虎之介、伊藤大輔、松下信治など、ホンダ系ドライバーから他メーカーへの流出が多いことがわかる。

これはホンダのヤングドライバーへのプログラムがトヨタや日産よりも優れており、レーシングドライバーとしての最高峰であるF1を目指すドライバーが多く門を叩くからだと推測する。

面白かったのが日産で、2021年にホンダから日産へ移籍した松下信治は以下のように日産陣営の印象について語っている。

「ニスモに関しては、長年レースを見てきた人たちがモータースポーツを統括しているので、本当に“レース屋”さんという印象はありますね。ですのでドライバー経験がないエンジニアやスタッフの方でも具体的なクルマの話が通じるし、そういう部分で意気投合、意思疎通ができるのが、違いかなと思います」

auto sport Webより引用

ホンダは数年毎にモータースポーツ部門の幹部が交代するのに対して、日産はニスモという日産の100%子会社がモータースポーツ部門を統括しており、同じスタッフが長年レースをしているため、思想がブレないのだとこのインタビューであらためてわかった。
※松下信治は2022年からホンダ陣営に戻っている

さあ、今後も日本人のトップドライバーのメーカー間移籍があるのか、ドライバーの動向にも注目していきたい。

以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

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3件のコメント

セナとプロストの頃は、よくテレビでみてましたが、モ-タ- スポーツの事は、全くわかりませんが、いろいろ、教えて下さい、

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。