【レーシングチーム紹介】第2弾 Nakajima Racing(ナカジマレーシング)

モータースポーツ中毒者のぴぴと申します。

日本のレースチームを紹介する企画、第1弾はチームインパルを取り上げましたが、今回は中嶋悟率いるナカジマレーシングを特集してみたいと思います。

母体は中嶋企画 代表は日本F1のカリスマ中嶋悟

2019年4月撮影 御殿場市に本拠を構えるナカジマレーシング

ナカジマレーシングの母体は中嶋企画といい、日本人初のフルタイムF1ドライバーである中嶋悟が代表を務める会社で 1983年に設立しました。

2016年11月撮影 代表は元F1ドライバーの中嶋悟

私たちF1ブーム世代にとって中嶋悟はまさに神様のような存在であり、彼が興したレーシングチームは、他の国内チームとは別格の強い思い入れがある方も多いのではないでしょうか。

中嶋企画は1984年、当時の国内トップレーシングチームであるヒーローズレーシングとタイアップし『ヒーローズレーシングwithナカジマ』というカタチで、中嶋悟がF1に参戦する前年の1986年まで中嶋悟と全日本F2選手権を戦いその間3年連続してチャンピオンを獲得し、中嶋悟がF1に参戦している間も全日本F3000選手権となった1988年までつづけられました。

中嶋企画単独でのエントリーは1989年、この年よりナカジマプランニングという名前で全日本F3000選手権を戦い、1996年全日本選手権フォーミュラニッポン初年度に現在に至るナカジマレーシングというチーム名になりました。

高木虎之介とともにF1へ

その頃ナカジマレーシングは高木虎之介をエースに据え、日本トップフォーミュラの台風の目になり、1998年彼がティレルF1のレギュラーシートを獲得、中嶋悟がスポーティングディレクターに就任しました。

ちなみに中嶋企画は1998年、そのティレルから買収の打診があったといいますが、調整がつかず買収には至りませんでした。

日本トップフォーミュラでシーズン10戦9勝!

日本トップフォーミュラでは過去に7回ドライバーズタイトルを獲得(ヒーローズレーシングとの提携含む)していますが、最も私が印象に残っているのがフォーミュラニッポン時代の2000年シーズンでした。

F1から国内に戦いの場を移した高木虎之介は、師匠中嶋悟率いるPIAAカラーのナカジマレーシングに所属し全10戦中8勝、チームメイトの松田次生も1勝し、ナカジマレーシングは全10戦中9勝な勝利し、同じ年F1ではミハエル・シューマッハのフェラーリが独走していましたが、ナカジマレーシングはそれ以上の強さでシリーズタイトルを獲得しました。

ホンダとの結びつき

2018年5月撮影 スーパーGTはホンダNSX-GTで参戦

レーシングドライバーは当然自動車メーカーとの結びつきが強いのですが、トップドライバーともなればそれは顕著です。

2016年11月撮影 ミスタールマン寺田陽次郎

例を挙げてみると、日産ドライバーといえばその最たる方は星野一義や長谷見昌弘で現代では本山哲、トヨタは関谷正徳(元静岡マツダの社員ですが・・・)や脇阪寿一TGRアンバサダー(元スズキの営業マンですが・・・)、マツダといえばミスタールマン寺田陽次郎が思い出されます。

そしてホンダといえば間違いなくこの方、中嶋悟でしょう!

当然ナカジマレーシングが参戦した箱車のレースも全てホンダで、全日本ツーリングカー選手権にはシビック、N1耐久にはプレリュード、全日本GT選手権にはNSXで参戦し、現在のスーパーGTにもNSX-GTで参戦します。

フォーミュラは白地に黒のPIAAカラー

2018年7月撮影 現在PIAAはメインスポンサーではないが今なおサポートを続けている
2016年11月撮影 1990年中嶋悟のティレル019にPIAAの文字

中嶋悟のチームとといえば、必ずと言っていいほどマシンに『PIAA』のスポンサーがついており、中嶋=PIAAという印象が強くありますが、その関係は古く1986年までさかのぼります。

忘れもしない中嶋悟引退の1991年日本グランプリ、満員の鈴鹿サーキットで多くの観客が、『ありがとう中嶋悟』と書かれたPIAAの応援フラッグを振っていたことが思い起こされます。

国内トップフォーミュラでは、白地に黒のPIAAナカジマレーシングという名称で長年戦い、現在のSF19にもマシン側面に『PIAA』の文字が確認でき、ナカジマレーシングが長年安定した強さを発揮しているのは、PIAAをはじめとしたスポンサーと長く良い関係が構築できるチームであるからだと思われます。

スーパーGTはエプソンカラー

2018年3月撮影 2018年までのスーパーGTメインスポンサーはEPSON

トップフォーミュラが長年PIAAのサポートを受けていたのに対し、もう一つの国内トップカテゴリーであるスーパーGTは長くエプソンのサポートを受け走らせています。

エプソンと中嶋悟との結びつきはPIAAよりも古く、1983年エプソンは当時全日本F2のトップチームのひとつであったハラダレーシングのスポンサーとなり、そこに2年連続全日本F2チャンピオンの中嶋悟が加入しエプソンカラーのマシンを走らせました。

2016年11月撮影 ティレル019のサイドにはEPSON

翌1984年、中嶋悟が移籍したヒーローズレーシングwithナカジマにスポンサーとしてエプソンが加入、中嶋企画とのタイアップが成立し、その後中嶋悟はエプソンとともにF1の世界に羽ばたきました。

中嶋悟引退後は、主にスーパーGTのメインスポンサーとしてナカジマレーシングをサポートしました。

エプソンは精密機器メーカーのブランドで、自動車産業とはあまり所縁がありませんが、長年のサポートからナカジマレーシングとの深い信頼関係が伺い知れますね。

2016年11月撮影 父中嶋悟のマシンを息子中嶋大祐が走らせる PIAAとEPSONのスポンサーが誇らしい

カーナンバー64の由来

2017年5月撮影 カーナンバーは64

ナカジマレーシングのカーナンバーは、スーパーGT『64』スーパーフォーミュラ『64』『65』ですが由来は?

時は1989年、アデレード市街地コースで行われたオーストラリアグランプリ。

雨の降りしきる最悪のコンディションの中、予選23番手からファステストラップを連発しながら追い上げ、終盤3位のウィリアムズを駆る鉄人リカルド・パトレーゼを強烈に攻め立てるもジャッドエンジンがミスファイアし、惜しくも4位で終わった中嶋悟ベストレースのひとつですが、このオーストラリアグランプリで記録した中嶋悟のファステストラップが64ラップ目だったことから、ナカジマレーシングのカーナンバーは『64』になりました。

雑誌やプログラムでカーナンバー順を採用されることが多く、比較的番号の大きい『64』だと後方で紹介されることを嫌い、2004年から2014年までは『31』『32』を使った時期もありましたが、2015年より伝統の『64』に戻し現在に至ります。

私たちF1ブーム世代にとって、この番号は特別な意味があるのです。

スーパーGTの戦績低迷で人気に陰りが!?

2019年3月撮影 2019年からメインスポンサーはModuloに

上記のように、F1ブーム世代のモータースポーツファンにとって中嶋悟率いるナカジマレーシングは特別な存在なのですが、特に新しい層が多いスーパーGTでは戦績の低迷からか人気に陰りが出ているようです。

ツイッターでこんなアンケートをとってみました。

ホンダ系GT500チーム、最も応援するチームは?

私としてはチーム国光に次ぐ人気だと思っていましたが、大ファンの中嶋悟率いるチームが13%の得票しか得られず正直ショックでした。

やはり戦績が影響しているのでしょう・・・。

GT500チーム中唯一のダンロップタイヤで孤軍奮闘していますが、少々厳しいのでは・・・。

全日本GT選手権時代、ブリヂストンタイヤを履いてトップ争いをしていた強いナカジマレーシングがもう一度見たい・・・。

中嶋悟に酔いしれたF1ブーム世代のおじさんたちは、皆そう思っていることでしょう。

現在の参戦カテゴリー

2017年7月撮影 ナカジマレーシングのスーパーフォーミュラマシン

スーパーGT GT500 データベース【2019年終了時点】

2019年1月5日

日本トップフォーミュラ データベース 【全日本F2000・全日本F2・全日本F3000・フォーミュラニッポン・スーパーフォーミュラ】

2018年11月11日

過去の参戦カテゴリー

全日本GT選手権時代のナカジマレーシング Mさん提供

全日本GT選手権 GT500(GT1) データベース

2019年3月20日

最後に

2019年4月撮影 スーパーフォーミュラ開幕戦を週末に控えトランスポーターにマシンを積み込む ナカジマレーシングのファクトリーにて

2019年、スーパーフォーミュラは5年ぶりにマシンがモデルチェンジし、ダラーラ製SF19になり、鈴鹿サーキットで行われた開幕戦でナカジマレーシングの2台のマシンは10年ぶりに予選でフロントロウを独占しました。

決勝ではトラブルからリタイヤしてしまいましたが、2019年シーズンを占う上で非常に期待が持てる結果でした。

日本のモータースポーツは、中嶋悟率いるナカジマレーシングと星野一義率いるチームインパルが、ガチンコで競い合うシーズンが一番盛り上がるんです。

今年こそは古豪復活を大いに期待します!

2019年3月撮影 スーパーGT開幕前富士公式テストにて

最後までお読みいただきありがとうございました。

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モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。 一眼レフデビューは2001年頃、CANON EOS7(フィルム機)。腕に覚えは全くないが、年数だけはそこそこ長い。 【一眼レフ遍歴】 CANON EOS 7 → CANON EOS kiss N → CANON EOS 60D → CANON EOS 7D MarkⅡ → CANON EOS 5D MarkⅣ & SONY α7R Ⅲ 【所有カメラ】 CANON EOS 5D MarkⅣ SONY α7R Ⅲ SONYサイバーショット DSC-RX1R 【所有レンズ】 CANON EF100mm-400mm f/4.5-5.6L IS Ⅱ USM CANON EF70-200mm f/2.8L IS Ⅱ USM CANON EF24mm-70mm f/4L IS USM CANON EF50mm f/1.2L USM CANON EF85mm f/1.4L IS USM SONY FE24-105mm F4 G OSS