人気記事:『ミニカーで振り返るF1マシン』シリーズ

【其ノ壱】東海道五十三次を歩く(日本橋→品川宿)

今回から新たな企画を実行しようと思い、東京駅に来ています。

何をしようかというと、東京日本橋から京都三条大橋までの道のりを踏破する、という企画。

早朝ランニングを初めて3年が経過し、今年はフルマラソンを完走することが出来たので、次の目標として旧東海道総延長約500kmを歩いてみようと思い立ったわけです。

ただ、江戸時代のように半月で一気に京都まで歩くような体力もなければ、サラリーマンにとっては暇もない。

ということで、ゆる〜いやつ。一日歩いては一旦家に戻り、次の休みに前回歩き終わった場所から再開する、といった具合で進めてみます。

でも、ただ歩き続けるだけではつまらないので、沿道にある名所や旧跡などを撮影紹介しながら、長い道のりを楽しんで歩きます。

撮影は全編にわたりライカM11で撮っていきます。

ライカは懐かしくも印象深い描写が特徴で、旧東海道の風景を撮影するのにはぴったりなカメラだと思いますので、そんなライカM11で撮った写真もお楽しみいただけたら嬉しいです。

では、旧東海道の出発点、日本橋から旅が始まります。

日本橋

東京駅の日本橋口から10分ほど歩くと、東海道の出発点である日本橋に到着。

日本橋川に架かる日本橋は、1603年に木造橋が架けられましたが、その後何代にも渡りかけかえられました。

現在の橋は1911年に施工した石造りの2連アーチ橋で、国の重要文化財に指定されているらしいです。

日本国道路元標

江戸時代も現在の国道も日本橋が道の起点。日本橋の上を走る首都高の間に、道路元標の印が確認でき、ここが国道の基準点だと考えると、ちょっと感動的。

橋の北側には日本国道路元標の複製プレートが設置されていて、

その横には主要都市までの距離を表す里程標がありました。

目的地である京都市までの距離は五0三粁(503km)!果てしない道のりだぜ・・・。

ちなみに日本橋は中山道や日光道、奥州道の起点でもあり、2つの街道は北へ、そして東海道は南西に進みます。

ということで、2025年10月12日正午、江戸日本橋から500kmの彼方にある京都三条大橋に向けて、旅の始まりです!

日本橋を出発するとすぐに国道1号線は右折をしますが、旧東海道は真っ直ぐ国道15号線を直進。右折すると甲州道方面です。

歌川広重住居跡

東海道五十三次といえば、歌川広重の東海道浮世絵を思い出しますが、その広重が晩年の十年を過ごしたのが、東海道から一本入ったこの場所。

説明が書かれており、東海道五拾三次で風景画家として有名になり、江戸の景色も多く残したそうです。

住居は二階建ての独立家屋だったとのことですが、現在は戸田建設の本社ビルになっていました。

そういえば、広重さん、あんた東海道を旅してないらしいじゃない。

京橋

国道15号線(東海道)に戻り、しばらく歩くと高架橋に銀座京橋の文字があります。

ここは日本橋と同じ頃に架けられた京橋という橋でしたが、昭和三十年代に川が埋め立てられて京橋は消滅。

ただ、親柱のみ残っていて、在りし日の面影を少しだけ感じることができました。

京橋を過ぎると銀座通りへ。本日は3連休ということか歩行者天国になっていたので、広々した道を気持ちよく進みます。

中華系を中心とした外国人ばかりで、写真を撮ったり大声を出してはしゃいでいたりと、ここが日本であることを忘れそうな雰囲気。外国人にとっても銀座は特別な場所なのでしょう。

銀座役所(銀貨幣鋳造所)跡

銀座二丁目に銀座発祥の地を示す碑がありました。

説明書きによると、1612年、駿府(現静岡市)にあった銀貨幣鋳造所をここに移転し、新両替町(静岡市に両替町という地名があるけど、その新たな場所という意味?)という名称になり、通称銀座町と呼ばれたのが銀座の由来だそうです。

その銀座役所(銀貨幣鋳造所)はこの場所ですが、今はティファニーになっていました。

横にはブルガリがあり、近くには高級ブランドのおしゃれなビルが延々と続く銀座。大量のお金を作る場所から、莫大なお金を使う場所へと変化した銀座でした。

銀座和光

その中心、銀座四丁目交差点にあるのが通称銀座和光。

1932年竣工というから、九十年以上の歴史を誇る、銀座のランドマーク的な建造物です。

本日持ってきたライカM11は、いにしえの建物を撮影すると趣がさらに増す。なんか、昭和の時代にタイムスリップしたかのようでしょ??

新橋の親柱と銀座柳の碑

新橋といえば鉄道発祥の駅の名として有名ですが、元は汐留川に架けられた橋が由来だそうです。

汐留川は昭和三十八年に埋め立てられ、橋も無くなってしまいましたが、親柱は今も残っていました。

大正十四年に造られたとは思えない、鉄筋コンクリートの重厚な佇まいですね。

そのとなりにあるこれは、橋の橋脚でしょうか。

また、この場所には銀座柳の碑も。

銀座は明治七年に日本で初めて街路樹が植えられました。

街路樹といえば松や楓、桜や銀杏が主流ですが、埋立地の銀座は水分が多いため、湿っていても育つ柳の木にしたそうです。

こちらは街路樹として植えられた柳の二代目です。

東海道はまだ真っ直ぐ。国道15号線を進み、東海道新幹線のガードをくぐります。

そのガード下がこちら。趣があってイイですね。

古きと新しきが混在する道、それが東海道です。

その先の浜松町一丁目の交差点で道は緩やかに左に曲がりますが、東海道はそのまま道なり。

首都高速をくぐると、

下には川が残っていて、屋形船が夕方からの営業に備えて停泊していました。

徳川家康公は水路を整備して海運で発展した江戸ですが、クルマの時代になり、その水路の上に首都高速を建設したことが歩いてみるとよくわかります。

品川までは3km(品川宿はその先)で、川崎宿までは14km。東京は見どころが多すぎて寄り道しすぎ。今日は品川宿までかなあ。

道は芝四丁目交差点で右に大きく曲がりますが、東海道は道なりに右へ。

江戸開城會見之地碑

そしてスターバックスの手前にあるのが江戸開城會見之地碑。

幕末、江戸城総攻撃を目前にした慶応四年三月に西郷隆盛と勝海舟によって、この場所で会見が行われ、無血開城がなされたそうです。

元札の辻

その江戸開城の碑から少し歩くと札の辻の交差点に。

この地は江戸時代のはじめに高札場が設けられた場所らしいのですが、特に碑などはなく、交差点の名前として残っているだけでした。

当時は山や海が見渡せる素晴らしい景観の地だったらしいのですが、今は海岸線が遠くなり、見えるのは超高層ビル群のみです。

東京の歩道は幅が広く歩きやすい。

もちろん休日ということもあるだろうけど、行き交う人も少なく、気持ちよく足を進めます。

高輪大木戸跡

その後、高輪ゲートウェイ駅に近づくに連れて超高層ビルの建設ラッシュ地帯に入りますが、そこにポッコリと緑地帯が。

ここが高輪大木戸跡です。

宝永七年(1710年)に設置された高輪大木戸は、江戸内外の界。午前六時に開門して午後六時に閉門したこの門の周囲には、多くの茶屋で賑わったといいます。

立派な石垣は当時のものなのでしょう。

さあ、ここから江戸を出て、本格的な旅の始まりです。

高輪神社

高輪大木戸のすぐ先には高輪神社がありましたので、ここで旅の安全を願います。

高輪海岸の石垣石

その近くには高輪海岸の石垣石の説明がありましたが・・・どれかわからない。

しばらくキョロキョロと見渡しましたが、あっ、足元のコレね。

うーん、もう少し石垣が連なっていると思いましたが、申し訳程度でした(失礼っ!)。

その後も南に足を進め、

意外なほどショボい品川駅の外観を左手に見ていると、空気がひんやりとしてきました。

高山稲荷神社の森により涼しく感じたのでした。

そして谷ツ山橋の交差点で左に曲がって谷ツ山橋を渡るのですが、誤って直進してしまい新谷ツ山橋を渡ってしまい、

北品川駅まで来たところで、どうやらおかしいと思い、来た道を戻ります。

こちらが谷ツ山橋。この橋を渡ります。

渡り切ったら右に曲がり、

S字を道なりに進み、

この線路を渡ると品川宿に入ります。

品川宿は現在北品川本通り商店街になっています。

今回『ちゃんと歩ける東海道五十三次』という本を参考に旅をしていますが、写真左のカップル(夫婦?)も同じ本を片手に持っていたので、この後同じ場所で足を止めることになります。

東海道五十三次を歩こうと思っている方にとっては一番参考になる本だと思うので、下にリンクを貼っておきます。

問答河岸跡

問答河岸は北品川の海岸にあった波止場の名前で、この場所にあったそうです。

問答河岸とは変な名前ですが、徳川家光公が東海寺に訪れた際、そこの和尚と問答をしたのが由来だそうです。

家光公「海近くして東(遠)海寺とはこれ何故に」

和尚「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」

たぶん、ねずっちの方が上手かも。

北品川の商店街は古き良き建物も並び、なかなか味があってよかったです。

こりゃ、いつの時代の建物なのか、とっても見応えがあります。

そして、善福寺を通り過ぎると、本陣まではもう少し。

品川宿本陣跡

ということで、日本橋から二里(8km弱)を歩き、品川宿本陣に到着。本陣は現在聖蹟公園になっていました。

歩みの記録(日本橋→品川宿)

今回の企画は、出発する宿場から次の宿場までをApple Watchのフィットネスアプリで記録を取っています。

ということで、まずは地図から。

日本橋から品川宿まではほぼ南下し、品川駅を過ぎる場所まで国道15号線を歩みます。

その先の谷ツ山橋を渡り、国道15号線と別れるのですが、文中でも書いた通り、誤ってその先に新谷ツ山橋まで行ってしまい、引き返していることが地図からもわかります。

ただ、品川宿までの道のりはそこだけを気を付ければ、特に難しくありません。

また、地図の赤い部分が速度の遅い場所ですが、前半部分の銀座通り付近で特に赤い部分が目立ちます。

この場所は見どころが多く、ペースが遅くなりがち。

なので、この部分は時間に余裕を持った旅の計画が必要だと思いました。

詳細記録がこちら。

正午に日本橋を出発して、品川宿に着いたのがなんと15時54分と、実に4時間もかかってしまいました。

そして走行距離は11.68km!

真っ直ぐに歩くと8.7kmとのことですが、途中で脇道に入って名所旧跡に立ち寄ったり、道を間違えて大きく戻ったりして、想定よりも走行距離が大幅に増えてしまいました。

上昇した高度は23mとありますが、この区間は海岸近くで登り下りもほぼ感じませんでした。

あと、事前に調べておいた名所や碑を探すのにGoogleマップを多用したのですが、品川宿に着いた時にはすでにiPhoneのバッテリーが一桁台になってしまっていました。Googleマップは便利ですが、電池の消費が激しいため、次回はモバイルバッテリーを持参した方がよさそうです。

ということで、iPhoneバッテリー終了のため、本日の東海道五十三次の旅はここでおしまい。

次回は品川宿から川崎宿を目指してみたいと思いますので、興味のある方は下のバナーからお付き合いください。

いやー、このペースだと、三条大橋が何年後になるのやら・・・。

面倒ですがポチッとお願いします

人気ブログランキング
人気ブログランキング

関連記事

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

193人の購読者に加わりましょう
よかったらSNSでシェアお願いします!



サーキットでの興奮をあなたに伝えたい
MOTORSPORT観戦記

サーキットは非日常を味わえる特別な空間です。そんな素晴らしいモータースポーツの世界を、ひとりでも多くの方に伝えたい・・・。そんな思いでMOTORSPORT観戦記と題し、記事に認めました。




2件のコメント

asamoyosiさん、ありがとうございます。

ゆっくり楽しんで旅を進めてまいりますので、どうか長ーい目でご覧くださいw

コメントを残す

ABOUT US
大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。