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ライカを持って東海道五十三次を歩く【第19回】(江尻宿→府中宿)

今回は旧東海道踏破の旅の続き。前回は興津宿から江尻宿までを歩き、今回はこの日の後半戦。府中宿を目指したいと思う。

2月下旬だが、この日は小春日和のぽかぽか陽気。よく知る地元を、のんびりと気ままに歩いて行く。

では江尻東交差点から、府中宿に向けて出発進行!

江浄寺

出発して少し歩くと江浄寺の参道。

この江浄寺は徳川家とゆかりのあるお寺で、徳川家康や朝鮮通信使が立ち寄った江尻宿の名所。

家康の長男 信康の遺髪を祀る供養塔があるようだ。

そしてこの交差点を右折して、

きれいに整備された商店街に入る。

江尻宿寺尾本陣跡碑

その商店街の左手に立派な石碑がある。ここが寺尾与右衛門が務めた江尻宿寺尾本陣の跡地。

寺尾家は元々今川氏の家臣だったが、今川没落後は武田氏に仕え、武田氏滅亡後に江尻に移住したそう。

その後は徳川家康により伝馬朱印状を与えられ、寺尾本陣の屋敷をここに建てた。

ボスが目まぐるしく変わって大変な世の中だ・・・と思うも、某自動車メーカー完全子会社の我が社も、ボスが数年おきに変わって大変。今もむかしも同じだね。

屋敷は昭和期まで残っていたが、第二次世界大戦の空襲により昭和二十年七月に焼失してしまったそうだ。

まあ、商店街のど真ん中だから、戦火を乗り切っても現在は存在しなかっただろう。

昭和の商店街の面影を残す哀愁ある建物がいい感じだが、この商店街もシャッターが目立つ。

インターネットの普及により、地方ではもう、昭和の活況に満ちた様は戻ってこないかと思うとちょっと寂しい気分に苛まれる。

そして魚町の交差点で左折して商店街とはお別れ。

巴川を渡る。

私が生まれる直前の昭和四十九年七月に発生した七夕豪雨で氾濫した巴川だが、本日は風がなく、水面は穏やか。

巴川の先のY字路を右に進む。

ちなみに左に進むと徳川家康を祀る久能山東照宮へ至る。

西木戸跡

その先に江尻宿の西木戸跡の石碑があり、ここで江尻宿は終了。

江尻宿は天然の良港である清水の湊により、大変に栄えた宿場だったらしいのだが、往時を感じる史跡が少なく残念だった。

ペットショップの軒先にある犬用のシャワーが可愛らしく、撮ってみた。

そして静岡市民には馴染み深い看板が見えてきた。

追分羊羹と追分道標

こちらは竹の皮に包まれた蒸し羊羹が名物の追分羊羹。静岡では非常に有名な、元禄八年(1695年)創業の老舗和菓子店だ。

店の向かって左側には、谷口法悦が建立した題目碑道標があり、『是より志三づ道』と刻まれていた。

静岡市出身の私だが、本店には一度も伺ったことがなく、良い機会なので入ってみた。

店員さんにご許可をいただき、店内を撮影。装飾が可愛らしく、非常に居心地が良かった。

『ちびまる子ちゃん』はこの辺りを舞台に描かれているため、パッケージにまる子と友蔵が描かれた商品もあり、そそられたが、やっぱり名物の蒸し羊羹を購入。

竹の皮の中から出てきた蒸し羊羹は、一般的な羊羹と違い水分はほぼ無く、私好みの甘さ控えめでグッド。

都田吉兵衛供養塔

追分羊羹の先には、都田吉兵衛の供養塔がある。

『清水港の名物はお茶の香りと男伊達』というフレーズは、この地を治めていたヤクザの清水次郎長一家を象徴する有名な一節。

そんな清水次郎長の子分だった森の石松を都田吉兵衛が騙し打ちにしたが、次郎長一家はここで仇を討ちにした。

里人がそんな吉兵衛を憐れみ、この最期の地に供養塔を建立したそうだ。

金屋橋を渡ると、早咲きの桜が綺麗な姿を見せていた。

・・・いや、桃の花か??

その先の追分踏切は、静岡県では珍しい2つの路線を渡る踏切。手前は東海道本線で、奥が静岡鉄道の静岡清水線。

久能寺観音道道標

踏切から少し歩くと、古い石碑と説明板がある。

いかにも古そうなこちらは、久能寺観音道道標。

安永七年(1778年)に、妙音寺村の若者により建立されたもので、この平川地から久能寺に至る有度山麓を通る道を示している。

尚、久能寺は明治十六年に山岡鉄舟が再興し、鉄舟寺と改称して現在に至る。

武田家滅亡のきっかけとなったという、上原子安地蔵堂を左手に見ながら先を進む。

民家の軒先に無人販売の野菜が並ぶ。これも徒歩の旅人が多く通る旧東海道ならではの光景だ。

そして地元ではカネボウ通りや南幹線と呼ばれる県道に合流する。

草薙の一里塚跡

そのカネボウ通りに合流してすぐの場所に、史跡東海道草薙一里塚と刻まれた石碑がある。

ここが江戸日本橋から四十三里(約172km)の、草薙の一里塚があった場所。塚の脇には草薙の高札場があったそうだ。

旧東海道はしばらくカネボウ通りを直進。

前を歩くご夫婦は、追分の先から並走する同業者のようだ。今日はどこまで歩くのだろうか。

草薙神社大鳥居跡

カネボウ通りを反対側に渡り進むと、草薙神社の道路標識が見えてきた。

その交差点に草薙神社の大鳥居があるはず。手持ちのガイドブック(平成31年3月発行)にも、しっかりと草薙神社大鳥居の文字が書かれているのだが・・・。

実は昭和五十年頃に建てられた草薙神社大鳥居は、ガイドブックが発行された翌年の令和二年に、老朽化のため撤去されている。

その際に所有者が草薙神社ではなく、誰が建てたのか不明だということで、我が静岡県のテレビや新聞で取り上げられ話題になった。

おそらくこの歩道の継ぎ目が鳥居の土台だった場所だろう。

大鳥居の横には大鳥居の横には元禄十二年(1699年)建立の『従是草薙大明神江有道』と刻まれた道標があったのだが・・・えっ!それも撤去しちゃったの!?

道標があったのは、この補修部分か。道標だけはそのまま残しておいてほしかったのだが・・・。

ちなみに、日本武尊はこの草薙神社の辺りで賊に襲われ火を放たれたが、剣で草を薙いで逃れたという伝説が残っており、草薙という地名になったとか。

今でも社の土はその時の影響で黒いそうだが・・・ホント??

旧東海道は草薙神社大鳥居跡地の次の交差点を左折し、

すぐを右折する。

道は緩やかな上りになり、向かい風が強くなってきて少々しんどい。

そして東光寺からは下りに転じ、

東名高速道路をくぐる。

その先の塀でしっかりとガードされた秋葉山常夜燈があり、それを見ながら足を進め、

この丁字路を右に曲がるのが旧東海道。

ちなみに左奥に見える大きな照明は、静岡県最大の運動公園の中にある静岡草薙球場のもの。

先ほどまで歩いていたカネボウ通りを横断して、

静岡鉄道静岡清水線の踏切手前を左折。

県総合運動場駅の駅ビルを右手に見ながら進むと、

JR東静岡駅の操車場が見えてきた。

旧東海道記念碑

旧東海道はここを真っ直ぐに行っていたのだが、昭和三十七年、この国鉄操車場の建設により分断されたため、それを偲ぶ記念碑が建てられた。

ということで、迂回路である記念碑の横の北村地下道を進む。

この地下道は、混雑する陸橋の迂回路として私もたまに通るのだが、とにかく狭い。

中程は一応すれ違えるが、

その先はまた窄まり、車もそうだが歩きだと尚更怖い。

ビビり散らかしながらなんとか通過し、歩行者は左手の階段を上る。

そして静岡鉄道静岡清水線のガードをくぐり、

この斜めの道が先ほどの分断された旧東海道の先になる。

旧東海道に復帰するとすぐに二体並んだ地蔵尊があった。

向かって左は残念ながら首が欠けているようだ。気の毒に思った地域の方が、となりに新たに建てたのだろうか。

兎餅跡地

地蔵尊から少し歩くと久々に国道1号線と合流するのだが、この辺りにはかつて、兎餅を商った吉田屋があったそうだ。

先ほど寄った追分羊羹と次回通る安倍川餅と並び、駿河三大名物の一つだった吉田屋だが、他の二店とは異なり、すでに店舗は現存しない。

薄皮の餅でこし餡を包み、満月の焼印を押した香ばしい大福の兎餅は、現在、静岡市の松木屋が製造し、静岡伊勢丹などで購入できるようだ。

広島東洋カープ!筋向いにははじめちゃちょー看板があった場所

次に備えて国道1号線を横断すると、広島東洋カープの印象的な看板目を引く。

『新井貴浩監督今年こそ!!』って書いてあるから、広告スペースを埋めるための一時凌ぎだと感じるかもしれないが、私の知る限り十数年前からデザインを変えてこの場所にある。

オーナーが熱狂的なカープファン??

ちなみに、この看板の筋向いには、『はじめちゃちょーの家 ここから徒歩1分 勝手に家にこないでね』というあの有名な看板があった。

どうやら、この辺りは変わりダネ看板の名所なのかも・・・。

見切れているが、この長沼交差点の左側がはじめちゃちょー看板があった場所。この交差点を渡ったら、正面ビルの右側の道に向かうのが旧東海道。

往時は賑わった広い道幅の街道だが、現在はとなりに国道1号線が走っているので、私たち地元民はほぼ使わずちょっと寂しい雰囲気に。

長沼の一里塚跡

そんな無駄に広い道にポツリと『長沼一里塚趾』と刻まれた標石がある。

江戸日本橋から四十四里(約176km)。

長沼の一里塚の先のこの丁字路からは車通りが一気に増え賑やかになる。そして右手に有名な建物が見えてきた。

ガンプラを製造するバンダイの静岡工場(バンダイホビーセンター)だ。

私はハマらなかったが、ガンダムを愛する方にとっては聖地のような場所らしい。

そういえばこの近くの東静岡駅の目の前に、等身大のバカでかいガンダムが展示されていたが、それもこのバンダイにより製造展示されたのだろうか。

ここからしばし静岡鉄道静岡清水線と並走し、

道は左に曲がるのだが、旧東海道はそのまま直進。

マークイズを突っ切るのが旧東海道だが、しばし迂回のため国道1号線に合流する。

線路の先に見えるのは護国神社。

そしてこの柚木の大きな交差点を左方向に曲がる。

歩道橋の上から来た道を見ると、遠くに今日初めて富士山がうっすらと見えた。

東海道本線のガードをくぐり、

くぐった先を路面表示の通りに左に行き、階段を上り、

上がった先を右折して、旧東海道に復帰する。

すると街道はこんな雰囲気に。

そんな街道横の民家の庭に綺麗な桜が・・・梅の花じゃないよね?2月下旬なのでソメイヨシノはまだ早いか、河津桜かな??

いつもコメントをくれるasamoyosiさん、この品種は??

そして、旧東海道はこの変則の交差点を右斜に進むのですが、ここに次の目的地がある。

曲金観音

十一面観世音菩薩が安置されている曲金観音だ。

この辺りは鎌倉幕府を追われた梶原景時一族と地元武士団との古戦場だったそうだ。

いつも思うことだが、このような小さなお堂や地蔵尊には、どこも花が手向けられていてほっこり。見知らぬ地元の心優しき方に感謝。

曲金観音の目の前にある豊月堂は、地元で人気のパン屋さん。

旧東海道を歩く旅人の方、ぜひ、寄って美味しいパンをご賞味あれ。

その豊月堂の先の横田架道橋を右に入り、

東海道新幹線とJR東海道本線をくぐる。

高校時代の通学路を三十三年ぶりに通り、ちょっと懐かしい気分になった。

そして国道1号線を斜めに横断して、反対側の道に向かう。

延命地蔵尊・横田見附跡

すると民家?の窓に延命地蔵尊の文字。

中には地蔵尊が祀られていた。

そんなお地蔵さんの前には、府中宿の横田見附(江戸東口)が元禄五年(1692年)に設置され、枡形の石垣が築かれていたそうだ。

さあ、ここから駿府城の城下町として栄えた我が地元、府中宿に入る。

私が高校生だった三十年以上前から、酒屋さんの軒先でビールジョッキを片手に楽しそうに微笑むおじさん。おじさん、変わってないなあ。いや、ちょっと老けたか?

そして彼はいつ、このビールを口にするのだろうか・・・。

久能山東照宮道碑

ビールおじさんの先には、久能山東照宮道碑がある。

これは、徳川家康公ゆかりの久能山東照宮への参詣道の起点を示す石碑で、参勤交代の大名は、参詣を常としていたそうだ。

またこの道筋は、久能海岸の塩や海産物の運搬路でもあったそう。

久能山東照宮道碑の先から静岡市中心部の繁華街に。街灯には『ここは東海道府中宿』の文字が掲げれている。

下伝馬本陣・脇本陣跡

そして中心街の歩道に、下伝馬本陣と脇本陣跡の標石がある。

駿遠最大の宿場である府中宿には本陣と脇本陣が二軒づつあったそうで、そのうちここ下伝馬本陣はは小倉家が、脇本陣は平尾家が務めていた。

その場所は現在、ご覧の通りビルが立ち並び、往時とはまったく違う景色になっている。

上伝馬本陣・脇本陣跡

その少し先にはもう一つの本陣、上伝馬本陣と脇本陣跡の標石がある。

こちらの本陣は望月家、脇本陣は松崎家が務めていたそうだ。

その跡地は、全国展開する眼鏡店、眼鏡市場の本店ビルが聳え立っている。

その先、静岡市で一番人通りの多いこのY字路を右に進む。

西郷山岡会見碑

すると西郷山岡会見碑がある。

ここは、慶応四年(1868年)、東征軍参謀西郷隆盛と勝海舟から書簡を携えた幕臣の山岡鉄舟が、下交渉を行ったとされる場所。

これにより、西郷隆盛と勝海舟の会見が実現し、徳川慶喜の処遇と江戸城の無血開城が実現したそうだ。

その会見の碑が、東海道五十三次を歩くの第一弾で行った、元札の辻の近くにあった。気になる方は下記のバナーからどうぞ。

歩みの記録

本日は西郷山岡会見碑の先の江川町交差点で終了。

私の地元、静岡市(府中宿)に戻ってきた!

いやー、東京から自分の足だけで静岡に帰ってきたなんて、到底信じられない。

ということで、一つの目標を完遂!

これからは二つ目の目標、西の果て、京都三条大橋を目指す!

尚、再来週は静岡マラソン2026に出場するのだが、コースではここ江川町交差点が第一コーナーで清水駅がゴール。

要するに、この日歩いた道のりを、途方もなく遠回りしながら(42.195Km)戻るのだ。

せっかく歩いたのにもったいない!?

では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで歩みの記録を見ていく。

まずは地図から。

この日の午後は静岡市清水区の清水駅近くから西南西に進み、静岡市葵区の新静岡駅付近までを歩いた。

続いて旅の詳細。

江尻宿と府中宿は二里二十五町。現在の道での実測は12.2kmとなっているが、今回私が歩いた距離は13.2km。特に脇道にまで入っていないのだが、今回も実測値よりだいぶ歩いたようだ。

上昇した高度は意外にも342mもあった。追分踏切の先で多少の登りがあったと記憶しているが、だらだら上がっただけなので、数値ほど登った感覚はない。

ということで、次回はここ府中宿から丸子宿までを歩くが、まずはフルマラソン完走が大命題(追記:完走できました!)なので、旧東海道歩きの旅は少しだけお待ちを。

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サーキットは非日常を味わえる特別な空間です。そんな素晴らしいモータースポーツの世界を、ひとりでも多くの方に伝えたい・・・。そんな思いでMOTORSPORT観戦記と題し、記事に認めました。




2件のコメント

完走された静岡マラソンを前にしての今回の紀行文だったのですね。日本武尊の古代から明治維新に至るまで、いろいろ見所のあるコース、いいですね。徳川信康を祀るお寺もあるのですね。戦国期の一つの悲劇とも言える彼が祀られているのを知り、少し心が安らぐような⋯。森の石松の墓にはお参りしたことがあります。遥か昔のことですが⋯。あのピンクの花、桃の花ではないでしょうか。当地では梅と桜の間に咲いて楽しませてくれています。今はもう終わって桜の開花を待っている時です。間違っていたらごめんなさいです。それと「はじめちゃちょー」って???

ピンクの花・・・突然の質問にお答えいただきありがとうございます。そうか、桃の花なんですね。ブログを見て、お花にお詳しいと知ってはいましたが、聞いてよかったです。ありがとうございます。

はじめしゃちょーは、学生を中心に超人気のYouTuberです。我が静岡市在住の方なので、おじさんの私でも名前くらいは知っていまして・・・。

asamoyosiさん、いつもありがとうございます。

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ABOUT US
大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。