今回は旧東海道踏破の旅の続き。前回は興津宿から江尻宿までを歩きましたが、今回はこの日の後半の府中宿を目指します。
2月下旬ですが、この日は小春日和のぽかぽか陽気。よく知る地元をのんびりと気ままに歩いていきます。

では江尻東交差点から、府中宿に向けて出発進行!
江浄寺

出発して少し歩くと江浄寺の参道があります。

この江浄寺は徳川家とゆかりのあるお寺で、徳川家康や朝鮮通信使が立ち寄った江尻宿の名所。
家康の長男 信康の遺髪を祀る供養塔があるそうです。

そしてこの交差点を右折して、

きれいに整備された商店街に入ります。
江尻宿寺尾本陣跡碑

その商店街の左手に立派な石碑がありますが、ここが寺尾与右衛門が務めた江尻宿寺尾本陣の跡地になります。
寺尾家は元々今川氏の家臣でしたが今川没落後は武田氏に仕え、武田氏滅亡後に江尻に移住してきました。
その後は徳川家康により伝馬朱印状を与えられ、寺尾本陣の屋敷をここに建てました。
屋敷は昭和期まで残っていましたが、第二次世界大戦の空襲により昭和二十年七月に焼失してしまったそうです。

昭和の商店街の面影を残す哀愁ある建物がいい感じですが、この商店街もシャッターが目立ちます。
インターネットの普及により、地方ではもう、あの華やかな雰囲気は戻ってこないかと思うとちょっと寂しい気分に苛まれます。

そして魚町の交差点で商店街とはお別れ。

巴川を渡ります。
私が生まれる直前の昭和四十九年七月に発生した七夕豪雨で氾濫した巴川ですが、本日は風がなく、水面は穏やか。

巴川の先のY字路を右に進みます。
ちなみに左に進むと徳川家康を祀る久能山東照宮へ至ります。
西木戸跡

その先にあるのが江尻宿の西木戸跡の石碑。ここで江尻宿はおしまいです。

ペットショップの軒先にあるワンちゃんのシャワーが可愛らしく、撮ってみました。

そして静岡市民には見覚えのある看板が見えてきました。
追分羊羹と追分道標

こちらは竹の皮に包まれた蒸し羊羹が名物の、元禄八年(1695年)創業、追分羊羹。静岡ではとっても有名なお店です。
お店の向かって左側には、谷口法悦が建立した題目碑道標があり、『是より志三づ道』と刻まれていました。

静岡市出身の私ですが、本店には一度も伺ったことがなく、良い機会なので入ってみました。

店員さんにご許可をいただき、店内を撮影。装飾が可愛らしく、とっても居心地が良かったです。
『ちびまる子ちゃん』はこの辺りを舞台に描かれているため、パッケージにまる子と友蔵が描かれた商品もありそそられましたが、やっぱり名物の蒸し羊羹を購入。
竹の皮の中から出てきた蒸し羊羹は、一般的な羊羹と違い水分はほぼ無く、私好みの甘さ控えめで美味しかったです。
都田吉兵衛供養塔

追分羊羹の先には、都田吉兵衛の供養塔がありました。
『清水港の名物はお茶の香りと男伊達』というフレーズは、この地を治めていたヤクザの清水次郎長一家を象徴する有名な一節。
そんな清水次郎長の子分だった森の石松を都田吉兵衛が騙し打ちにしましたが、次郎長一家はここで仇を討ちました。

里人がそんな吉兵衛を憐れみ、この最期の地に供養塔を建立したそうです。

金屋橋を渡ると、早咲きの桜が綺麗な姿を見せていました。

その先の追分踏切は、静岡県では珍しい(唯一?)4本の線路を渡る踏切。手前は東海道本線で、奥が静岡鉄道の静岡清水線になります。
久能寺観音道道標

踏切から少し歩くと、古い石碑と説明板がありました。

こちらは久能寺観音道道標。
安永七年(1778年)に、妙音寺村の若者により建立されたもので、この平川地から久能寺に至る有度山麓を通る道を示しています。
尚、久能寺は明治十六年に山岡鉄舟が再興し、鉄舟寺と改称しています。

そして武田家滅亡のきっかけとなったという、上原子安地蔵堂を左手に見ながら、先を進みます。

民家の軒先に無人販売の野菜が並びます。これも徒歩の旅人が多く通る旧東海道ならではの光景。

そして地元ではカネボウ通りや南幹線と呼ばれる県道に合流します。
草薙の一里塚跡

そのカネボウ通りに合流してすぐの場所に、史跡東海道草薙一里塚と刻まれた石碑がありました。

ここが江戸日本橋から四十三里(約172km)の、草薙の一里塚があった場所。塚の脇には草薙の高札場があったそうです。

旧東海道はしばらくカネボウ通りを直進。前を歩くご夫婦は、追分の先から並走する同業者のようですが、今日はどこまで歩くのでしょうか。
草薙神社大鳥居跡

カネボウ通りを反対側に渡り、草薙神社の道路標識が見えてきました。

その交差点に草薙神社の大鳥居があるはず。手持ちのガイドブック(平成31年3月発行)にも、しっかりと草薙神社大鳥居の文字が書かれているのですが・・・。
実は昭和五十年頃に建てられた草薙神社大鳥居は、老朽化で令和二年に撤去されて、その際に所有者が不明だということで、地元のテレビや新聞で取り上げられ話題になりました。

おそらくこの歩道の継ぎ目が鳥居の土台だった場所でしょう。
大鳥居の横には大鳥居の横には元禄十二年(1699年)建立の『従是草薙大明神江有道』と刻まれた道標があったのですが・・・それも撤去しちゃったの!?

おそらくこの補修部分が怪しい。道標だけはそのまま残しておいてほしかったのですが・・・。
ちなみに、日本武尊はこの草薙神社の辺りで賊に襲われ火を放たれましたが、剣で草を薙いで逃れたという伝説が残っています。
今でも社の土はその時の影響で黒いそうです。ホント??

旧東海道は草薙神社大鳥居跡地の次の交差点を左折し、

すぐを右折します。

道は緩やかな上りになり、向かい風が強くなってきました。

そして東光寺からは下りに転じ、

東名高速道路をくぐります。

その先の塀にしっかりとガードされた秋葉山常夜燈を見ながら足を進め、

この丁字路を右に曲がるのが旧東海道です。
ちなみに左奥に見える大きな照明は静岡草薙球場のもの。静岡県最大の運動公園になります。

先ほどまで歩いていたカネボウ通りを横断して、

静岡鉄道静岡清水線の踏切手前を左折。

県総合運動場駅の駅ビルを右手に見ながら進むと、

JR東静岡駅の操車場が見えてきました。
旧東海道記念碑

旧東海道はここを真っ直ぐに行っていたのですが、昭和三十七年のこの国鉄操車場の建設により分断されたため、それを偲ぶ記念碑が建てられました。

ということで、記念碑の横の地下道を進みます。
この北村地下道は、混雑する陸橋の迂回路として私もたまに通るのですが、とにかく狭い。

中程は一応すれ違えますが、

その先はまた窄まり、車もそうですが歩きだと尚更怖い。

ビビり散らかしながらなんとか通過し、歩行者は左手の階段を上ります。

そして静岡鉄道静岡清水線のガードをくぐり、

この斜めの道が先ほどの分断された旧東海道の先になります。

旧東海道に復帰するとすぐに二体並んだ地蔵尊がありました。
向かって左は残念ながら首が欠けています。気の毒に思った地域の方が、となりに新たに建てたのでしょうか。
兎餅跡地

地蔵尊から少し歩くと久々に国道1号線と合流するのですが、この辺りにはかつて、兎餅を商った吉田屋がありました。
先ほど寄った追分羊羹と次回通る安倍川餅と並び、駿河三大名物の一つだった吉田屋ですが、他の二店とは異なり、すでに店舗は現存していません。
地元民としては食べてみたかったなあ。
広島東洋カープ!筋向いにははじめちゃちょー看板があった場所

次に備えて国道1号線を横断すると、広島東洋カープの印象的な看板があります。
『新井貴浩監督今年こそ!!』って書いてあるから、広告スペースを埋めるための一時凌ぎだと感じるかもしれませんが、私の知る限り十数年前からデザインを変えてこの場所にあります。
オーナーが熱狂的なカープファン??
ちなみに、この看板の筋向いには、『はじめちゃちょーの家 ここから徒歩1分 勝手に家にこないでね』というあの有名な看板がありました。
どうやらこの辺りは変わりダネ看板の名所なのかも・・・。

見切れていますが、この長沼交差点の左側がはじめちゃちょー看板があった場所。この交差点を渡ったら、旧東海道は右に見えるあの方向に向かいます。

往時は賑わった広い道幅の街道ですが、現在はとなりに国道1号線が走っているので、私たち地元民はほぼ使わずちょっと寂しい雰囲気です。
長沼の一里塚跡

そんな無駄に広い道にポツリと『長沼一里塚趾』と刻まれた標石がありました。
江戸日本橋から四十四里(約176km)。

そんな長沼の一里塚の先から道が賑やかになり、右手に有名な建物が見えてきました。

ガンプラを製造するバンダイの静岡工場(バンダイホビーセンター)です。

ここからしばし静岡鉄道静岡清水線と並走し、

道は左に曲がるのですが、旧東海道はそのまま直進。

マークイズを突っ切るのが旧東海道ですが、しばし国道1号線に合流して迂回します。

線路の先に見えるのは護国神社。

そしてこの柚木の大きな交差点を左方向に曲がります。

歩道橋の上から来た道を見ると、遠くに今日初めて富士山がうっすらと見えていました。

東海道本線のガードをくぐり、

くぐった先を路面表示の通りに左に行き、階段を上り、

上がった先を右折します。

すると旧東海道はこんな雰囲気になりました。

そんな街道横の民家の庭に綺麗な桜が・・・梅の花じゃないよね?2月下旬なのでソメイヨシノはまだ早いか、河津桜かな??
いつもコメントをくれるasamoyosiさん、この品種は??

そして、旧東海道はこの変則の交差点を右斜に進むのですが、ここに次の目的地があります。
曲金観音

十一面観世音菩薩が安置されている曲金観音です。
この辺りは鎌倉幕府を追われた梶原景時一族と地元武士団との古戦場だったそうです。
いつも思うことですが、このような小さなお堂や地蔵尊には、どこも花が手向けられていてほっこり。見知らぬ地元の心優しき方に感謝です。

曲金観音の目の前にある豊月堂は、地元で人気のパン屋さん。
旧東海道を歩く旅人の方、ぜひ、寄って美味しいパンをご賞味あれ。

その豊月堂の先の横田架道橋を右に入り、

東海道新幹線とJR東海道本線をくぐります。
高校時代の通学路を三十三年ぶりに通り、ちょっと懐かしい気分になりました。

そして国道1号線を斜めに横断して、反対側の道に向かいます。
延命地蔵尊・横田見附跡

すると民家?の窓に延命地蔵尊の文字。

中には地蔵尊が祀られていました。

そんなお地蔵さんの前には、府中宿の横田見附(江戸東口)が元禄五年(1692年)に設置されたそうで、枡形の石垣が築かれていました。
さあ、ここから駿府城の城下町として栄えた我が地元、府中宿です。

私が高校生だった三十年以上前から、酒屋さんの軒先でビールジョッキを片手に楽しそうに微笑むおじさん。おじさん、変わってないなあ。
彼はいつ、このビールを口にするのでしょうか・・・。
久能山東照宮道碑

ビールおじさんの先には、久能山東照宮道碑がありました。
これは、徳川家康公ゆかりの久能山東照宮への参詣道の起点を示す石碑で、参勤交代の大名は、参詣を常としていたそうです。
またこの道筋は、久能海岸の塩や海産物の運搬路でもあったそうです。

久能山東照宮道碑の先から静岡市中心部の繁華街に。街灯には『ここは東海道府中宿』の文字が掲げれています。
下伝馬本陣・脇本陣跡

そして中心街の歩道に、下伝馬本陣と脇本陣跡の標石があります。
駿遠最大の宿場である府中宿には本陣と脇本陣が二軒づつあったそうで、そのうちここ下伝馬本陣はは小倉家が、脇本陣は平尾家が務めていたそうです。

その場所は現在、ご覧の通りビルが立ち並んでいました。
上伝馬本陣・脇本陣跡

その少し先にはもう一つの本陣、上伝馬本陣と脇本陣跡の標石があります。
こちらの本陣は望月家、脇本陣は松崎家が務めました。

その跡地は、全国展開する眼鏡店、眼鏡市場の本店ビルが聳え立っていました。

その先、静岡市で一番人通りの多いこのY字路を右に進みます。
西郷山岡会見碑

すると西郷山岡会見碑があります。
ここは、慶応四年(1868年)に、東征軍参謀西郷隆盛と、勝海舟から書簡を携えた幕臣の山岡鉄舟が、下交渉を行ったとされる場所。
これにより、西郷隆盛と勝海舟の会見が実現し、徳川慶喜の処遇と江戸城の無血開城が実現したそうです。
その会見の碑が、東海道五十三次を歩くの第一弾で行った、元札の辻の近くにありました。
気になる方は下記のバナーからどうぞ。
歩みの記録

本日は西郷山岡会見碑の先の、江川町交差点で終了。私の地元、静岡市(府中宿)に戻ってきました!
いやー、東京から自分の足だけで静岡に帰ってきたなんて、到底信じられません。
ということで、一つの目標を達成できました!
これからは西に向けて、京都三条大橋までの二つ目の目標を完遂します。
尚、再来週は静岡マラソン2026に出場するのですが、コースではここ江川町交差点が第一コーナーで清水駅がゴール。
要するに、この日歩いた道のりを、途方もなく遠回りしながら(42.195Km)戻るんです。
せっかく歩いたのにもったいない!?
では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで歩みの記録を見てみます。

まずは地図から。
この日の午後は静岡市清水区の清水駅近くから西南西に進み、静岡市葵区の新静岡駅付近までを歩きました。

続いて旅の詳細です。
江尻宿と府中宿は二里二十五町。現在の道での実測は12.2kmとなっていますが、今回私が歩いた距離は13.2km。特に脇道にまで入っていないのですが、今回も実測値よりだいぶ歩いたようです。
上昇した高度は意外にも342mもありました。追分踏切の先で多少の登りがあったと記憶していますが、だらだら上がっただけなので、数値ほど登った感覚はありません。
ということで、次回はここ府中宿から丸子宿までを歩きますが、まずはフルマラソン完走が大命題(追記:完走できました!)なので、旧東海道歩きの旅は少しだけお待ちを。











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