2000年代のモナコGP予選タイム
年 | 予選タイム | ドライバー | タイム差 (前年) | タイム差 (87年) |
---|---|---|---|---|
2000 | 1分19秒475 | M.シューマッハ | -1.072 | -3.564 |
2001 | 1分17秒430 | D.クルサード | -2.045 | -5.609 |
2002 | 1分16秒676 | J.P.モントーヤ | -0.754 | -6.363 |
2003 | 1分15秒259 | R.シューマッハ | -1.417 | -7.780 |
2004 | 1分13秒985 | J.トゥルーリ | -1.274 | -9.054 |
2005 | 1分13秒644※1 | K.ライコネン | -0.341 | -9.395 |
2006 | 1分13秒962※2 | F.アロンソ | 0.318 | -9.077 |
2007 | 1分15秒726※3 | F.アロンソ | 1.764 | -7.313 |
2008 | 1分15秒787※4 | F.マッサ | 0.061 | -7.252 |
2009 | 1分14秒902※5 | J.バトン | -0.885 | -8.137 |
※1.この年の予選は2日間の合計タイムだが1回目の最速タイムを記載
※2.最速はK.ライコネンがQ2で記録した1分13秒532
※3.最速はF.アロンソがQ2で記録した1分15秒431
※4.最速はF.マッサがQ2で記録した1分15秒110
※5.最速はK.ライコネンがQ2で記録した1分14秒514
主なレギュレーション変更
2003年
- 予選から決勝まで1基のエンジン
- 予選シングルカーアタック
2004年
- レースウィーク中1基のエンジン
2005年
- 2レース1基のエンジン
- 予選・決勝1セットのタイヤ
2006年
- エンジン形式と排気量変更 3L V10→2.4L V8
- タイヤ使用ルール変更 予選・決勝1セット→レースウィーク7セット(ドライタイヤ)
- 予選 シングルカーアタック→ノックアウト方式
- 予選Q3マシンはレーススタートの燃料を搭載
2007年
- 2006年日本GPで使用したエンジンを基準に2009年まで開発を凍結(一部除く)
2008年
- 2012年までエンジンの開発を完全凍結
2009年
- エンジン最大回転数 19000rpm→18000rpm
- エンジン使用ルール変更 シーズン8基
- KERS導入
- グルーブドタイヤ→スリックタイヤ
- ダウンフォースの大幅低減(フロントウイング、リアウイング、ディフューザーの大幅サイズ変更)
コース変更
2003年に、ピットエリア拡張に伴い、プールサイドシケイン出口からラスカスまでを海側に移動し、プールサイドシケイン出口の車速が上がっている。
全長は3.367kmから3.340kmに。
2000年代前半はレギュレーションが安定していたため順調にタイムを伸ばしている。
2003年には予選と決勝を1基のエンジンで戦うため少々馬力が落ちたが、予選でシングルカーアタックが導入されたため、遅いマシンに引っかかることがなくなったことと、コース後半部分がやや高速にレイアウト変更されたことで、この年もタイムアップをしている。
その後エンジンの耐久レギュレーションは厳しくなるも、2004年2005年と順調にタイムを伸ばしていく。
特に2005年は予選と決勝を1セットのタイヤで走り抜がなければならず、相当に硬いタイヤでの予選アタックとなったが、それでもタイムアップを果たしているのは、ブリヂストンとミシュランの激しいタイヤ戦争の賜物だ。
2006年は、エンジンが3L V10から2.4L V8になっちめパワーが減少し、さらに予選アタックで決勝スタート用の燃料を搭載しなければならず、対前年に比べるとタイムを伸ばすのには非常に厳しい予選レギュレーションになったのだが、それでも僅かなタイム減少にとどまる。
ちなみに前年に導入した予選と決勝を1セットのタイヤで走り抜くレギュレーションは無くなり、以前とほぼ同様になった。
2007年に大幅にタイムが落ちているのは、ミシュランがF1を撤退し、ブリヂストンのワンメイクになっり、性能を抑えたコントロールタイヤにしているため。
次のページは、2010年代前半のレッドブル時代、そして2010年代後半のメルセデス時代のモナコグランプリ予選タイムの推移です。
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