私がF1にどハマりした1990年、F1チームのマシンにはほぼタバコブランドのロゴか描かれていました。
そのカラーリングはすべてにおいて美しく、『あのブランドのタバコを吸ってみたい』と当時の若者はそう思ったものでした。
その後、タバコは健康被害を助長するとして、各国でスポーツイベントでのタバコ広告を規制され、F1も例に漏れず2006年までにマールボロを除く全てのタバコメーカーが撤退をする事になり、現在のF1マシンにはタバコブランドは見られません。
しかし1970年代から2000年代までのF1マシンに描かれていたタバコブランドのカラーリングを見ると、当時を思い起こし、つい魅了されてしまいますよね。
そこで今回は、F1チームをスポンサードしたタバコブランドを紹介してみたいと思います。
Marlboro(マールボロ)

2025年ホンダレーシングギャラリーにて
期間 | 1970年代初頭〜2006年 |
チーム | マクラーレン・フェラーリ・アルファロメオ・BRM他 |
マールボロといえばマクラーレンやフェラーリ、古くはBRMやアルファロメオのメインスポンサーとして、長年にわたりF1スポンサーの代表的存在として君臨していました。

2017年11月SUZUKA Sound of ENGINEにて
特にマクラーレンは1976年のM23から始まり、1996年のMP4/11まで20年以上の長きにわたりマールボロがメインスポンサーを務めていました。

2018年11月SUZUKA Sound of ENGINEにて
また1980年代のアルファロメオもマールボロのサポートを受けており、そのマクラーレンに似たカラーリングから一部で偽マクラーレンと言われていました。
そういえば1990年前後は、多くのF1ドライバーのレーシングスーツに大きくマールボロのロゴが貼られ、彼らはマールボロドライバーと呼ばれておりモナコグランプリではマールボロドライバーだけが参加できる、超華やかなパーティーが催されていました。

2019年10月日本GPにて
マールボロブランドを持つフィリップモリスは現在もフェラーリに多額のスポンサー資金を投入しており、2019年のフェラーリSF90にはフィリップモリスのプロジェクトである『MISSION WINNOW』というロゴがマシンに大きく書かれていました。
だけど『MISSION WINNOW』って何??
CAMEL(キャメル)

2019年8月ホンダコレクションホールにて
期間 | 1987年〜1993年 |
チーム | ロータス・ベネトン・ウィリアムズ |

2018年11月SUZUKA Sound of ENGINEにて
私たちF1ブーム世代にとって、キャメルと言えば中嶋悟選手のロータスです。
キャメルは中嶋悟選手がF1にフル参戦し、フジテレビのF1中継が始まった1987年にロータスのタイトルスポンサーとしてF1に進出しました。
前年までブラックのJPSカラーが定番だったロータスをイエローに染め上げましたね。
そのロータスには1990年までスポンサード。1991年からベネトンとウィリアムズをサポートし、1993年終了後F1チームのスポンサーを降りました。
John Player Special(ジョンプレーヤースペシャル)

2018年11月SUZUKA Sound of ENGINEにて
期間 | 1972年〜1978年・1981〜1986年 |
チーム | ラルース・ティレル |
往年のF1ファンは、ロータスと言えば黒にゴールドラインのJPSカラーですよね。

JPSが撤退した後、1989年からF1を見始めた私でも、黒いロータスの印象は色濃く残っています。
JPSは1972年よりロータスをスポンサードし、1979年・1980年を除き、1986年までロータス一筋で支援しました。
2011年、グループロータスがF1ルノーを買い取りロータスルノーGPとしてエントリーしたマシンのカラーリングは、黒地にゴールドライン(無論タバコ広告は無い)の塗装がされていました。
やはりロータスと言えばこのカラーなのです。
WEST(ウエスト)

2018年10月日本GPにて
期間 | 1985年〜1989年・1997年〜2005年 |
チーム | マクラーレン・ザクスピード |
ウエストと言えばミカ・ハッキネン選手が、2年連続でチャンピオンを獲得したマクラーレンを連想しますね。
しかしF1への進出はもっと早く、1985年から1989年までザクスピードのメインスポンサーを務めていました。
あの鈴木亜久里選手が全戦予備予選落ちした、日本人にとってあまり印象の良くないチームのスポンサーでしたね・・・。
1989年のザクスピード消滅とともにF1を撤退しますが、1997年にマクラーレンが長年パートナーを務めたマールボロと別れウエストがタイトルスポンサーを務めます。
その後タバコ広告規制が厳しくなり、2005年ハンガリーグランプリをもって撤退しました。
LUCKY STRIKE(ラッキーストライク)

2019年8月ホンダコレクションホールにて
期間 | 1999年〜2006年 |
チーム | B・A・R・ホンダ |
F1をスポンサードするタバコメーカーは多くありましたが、タバコメーカーがF1チームを買収したのはブリディッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)ただ一社です。

1999年にブリティッシュ・アメリカン・レーシング(後のB・A・R)の筆頭株主とメインスポンサーになり、マシンの半分をラッキーストライクカラー、もう半分を555カラーにして走らせ、翌2000年より全面ラッキーストライクカラーで参戦しました。
その後チームをホンダに売却した2006年までスポンサードし、タバコ広告規制とともにF1を去りました。
2004年F1日本グランプリで、佐藤琢磨選手を応援するあまりラッキーストライクを1カートン購入し、その後、私のタバコ銘柄はラッキーストライクに変わりました。
555(スリーファイブ)
期間 | 1999年〜2006年 |
チーム | B・A・R・ホンダ |

2019年8月ホンダコレクションホールにて
ラッキーストライクの項で書きましたが、555は1999年のブリティッシュ・アメリカン・レーシング(後のB・A・R)のマシン右半分に描かれました。
その後2000年より同チームは、全面がラッキーストライクカラーになり、555のロゴはノーズやサイドに小さく貼られました。
MILD SEVEN(マイルドセブン)

期間 | 1994年〜2006年 |
チーム | ベネトン・ルノー・ティレル・ミナルディ |
マイルドセブンと言えば、若き日のミハエル・シューマッハ選手がチャンピオンを奪取したベネトンや、ベネトンを受け継いだルノーでチャンピオンを獲得したフェルナンド・アロンソ選手のマシンを思い出す人も多いでしょう。
JTのブランドとしてはキャビンが片山右京選手が在籍していた1992年にラルース、翌年はティレルをスポンサードしており、マイルドセブンはそのキャビンを受け継ぐカタチで1994年よりティレルをスポンサードしました。
それと同時にトップチームの一角であるベネトンにタイトルスポンサーとして大々的にF1に進出しました。
その後、ベネトンを買収したルノーへも引き続きサポートし、タバコ広告規制が行われる直前の2006年までタイトルスポンサーでした。
片山右京選手の移籍に伴い、ミナルディのスポンサーも行なっていましたね。
次のページでは、ロスマンズやジタンなどあの名車を彩ったタバコブランドが登場します。
ミッションウィノウは、「勝つために、今すべきこと」「今すべきことは、勝つ事」みたいな意味と記憶しております。当時のフェラーリ本当に勝てて無かったですからね。と思ったら、モトgpでドゥカティにもミッションウィノウが表示されてました。こちらの戦績は存じ上げておりません。
楽しく読ませていただきました!!
よっぺいさん、返信ありがとうございます
なるほどミッションウィノウとは「勝つために、今すべきこと」ですか!
フェラーリ首脳陣は、現在も今すべきことがわからないようですが
ただしフェラーリは常勝軍団ではなく、たまに勝つほうが、ティフォシが大いに盛り上がれるので良いのかもしれませんね!