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ティレル011(1982年仕様)名機DFV搭載車最後の優勝マシン【ミニカー#87】

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はティレルが1982年のF1に参戦するために開発した、ティレル011(1982年仕様)を取り上げていきたいと思います。

マシンデータと戦績

まずはティレル011(1982年仕様)の主要諸元をチェック。

年式1982年
カテゴリーF1
コンストラクターティレル
マシン名011
デザイナーモーリス・フィリップ
エンジンフォードコスワースDFV
主要諸元表

つづいてティレル011(1982年仕様)の戦績を見てみる。

コンストラクターアルボレートヘントンボルグッド
シーズン順位6位8位-位-位
シーズンポイント25P25P0P0P
優勝1回1回0回0回
ポールポジション0回0回0回0回
ファステストラップ1回1回0回0回
戦績表(1982年)

名機DFV搭載車最後の優勝マシン

ティレル011は1981年のイギリスグランプリの予選から投入された010の後継マシン。

当時としては一般的なアルミモノコックのウイングカーで、フロントサスペンションが少数派のプルロット式を採用していたのが特徴だった。

デビューレースであるイギリスグランプリの予選ではエースのエディ・チーバーの1台のみの投入だったが、旧型の010に対して1.5秒も遅れた上にクラッシュしてしまったために決勝では出走できず、決勝でのデビューは翌ドイツグランプリからになる。

そのドイツグランプリではチーバーが5位に入賞するものの、その後のグランプリでは信頼性が不足してリタイヤや下位に沈むことが多かった。

そして今回の1982年仕様ではリヤサスペンションをプルロッド式に変更し、フロントパネルは当時F1で導入しはじめたカーボン製に変更し8kgの軽量化に成功する。

そしてCandyやDENIMなど、マシンに大きくスポンサーロゴが描かれたことからも分かるとおり、資金も安定し成績が上向くと、若きエースのアルボレートが最終戦のラスベガスグランプリで3位グリッドを獲得し決勝では優勝を遂げる。

ティレルは翌1983年もシリーズ後半まで011を使用。台頭したターボエンジン勢相手に劣勢だったがフォードコスワースもDFVを改良したDFYで対抗すると、第7戦のデトロイトグランプリでアルボレートが優勝。

この勝利は名機フォードコスワースDFVシリーズにとって、最後のグランプリ優勝となったのであった。

では、そのティレル011(1982年仕様)のミニカーを詳しく見ていこう。

ティレル011(1982年仕様)のミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のティレル011(1982年仕様)を撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

ティレル011は1981年から1983年まで長く使用されたが、今回はDENIMのロゴがあしらわれた1982年後半戦仕様。

今回取り上げるミニカーはカーナンバー3、若きイタリア人ミケーレ・アルボレートのマシン。

サイドポンツーン下のスカートがこの時代のマシンの特徴。

しかしコーナーリングスピードの上昇から多くの痛ましい事故が発生し、スピードを下げるために翌年からウイングカーが禁止され、フラットボトム規制がはじまる。

ティレル011の1982年シーズン前半のカラーリングはブルー基調のCandyカラーだったが、この最終戦ラスベガスグランプリではグリーンのDENIMカラーだった。

F1界の名門ティレルはスポンサーに恵まれないシーズンが多く、1981年シーズンはチームロゴをマシンに大きく掲げていたが、この年はメインスポンサーを獲得し、ある程度資金面で安定したシーズンを送っている。

エンジンは名機フォードコスワースDFV。

この頃からF1はターボエンジンを搭載するマシンが増えていったが、長くF1で活躍したフォードコスワースDFVで最後のグランプリ優勝を遂げたのはティレル011だった。

ティレルは多くのマシンがターボエンジンに切り替える中、発展型のDFYエンジン(NA)を1985年中盤まで搭載して参戦する。

スターティンググリッドにティレル011を移動。

奥に見えるのは、同年多くの話題をさらうことになるフェラーリの126C2。

グランドエフェクト構造のアルミハニカムモノコックマシンは皆独創的で、F1ブーム世代で当時をリアルタイムでは知らない私が見ても、非常にデザイン製が高いと思う。

しかし翌1983年からレギュレーションでウイングカーが禁止され、そしてティレルは1985年にデビューする012からカーボンモノコックを採用し、マシンは見慣れた現代風の形状になっていく。

この年はウイングカー最終年で、マシン下で強力なダウンフォースを発生させるため、グランプリによってはフロントウイングを装着しなかった。

非力なティレル011も1982年はウイングレス仕様だったが、1983年にフラットボトム規制が導入されるとダウンフォースが足りなくなり、011に大きなフロントウイングが装着されることになる。

以上、1/43のティレル011(1982年仕様)を実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【ixo製】ティレル011(1982年仕様)

デアゴスティーニのF1マシンコレクションの第51号で、イタリアのixoが製造を担当している。

【ミニチャンプス製】フェラーリ126C2

2000年ごろに近所のミニカーショップで購入したもの。

1999年以降フェラーリのミニカーはマテルの独占契約下だったので、それ以前に製造されたものだと思われる。

ミニチャンプスブランドでこの歴史的名車を現在入手できるのは困難で、おそらくプレミア価格になっているだろう。

【ixo製】フェラーリ126C2

ティレル011と同じくデアゴスティーニのF1マシンコレクション第15号で、製造はイタリアのixoが担当している。

最後に

最後にこのティレル011で最後に勝利をあげた、名機フォードコスワースDFVについて少しだけ書いてみよう。

フォードコスワースDFVは1967年のオランダグランプリで、ロータス49に搭載しF1にデビューする。

当時はフェラーリやホンダなどのV型12気筒エンジンに比べるとパワー面では劣っていたが、トルクバンドが広く小型で少燃費が特徴だった。

そして当初からエンジンをシャシーの一部(ストレスメンバー)として開発していたことから、かなりの高剛性だった。

初戦からポールポジションを獲得するとレースでも優勝を納めると、喜んだフォードは翌1968年から市販化を開始することになる。

それまでF1に参戦するためにはエンジンメーカーとの契約が必要だったが、フォードコスワースDFVが市販化したことにより、低予算のコンストラクターがF1に参戦できるようになる。

コンパクトなV型8気筒でメンテナンス製にも優れるフォードコスワースDFVは、マクラーレンやティレル、ウィリアムズなど、フェラーリを除くほぼすべてのコンストラクターに搭載されると、1968年から1974年まで7年連続でドライバーズとコンストラクターズのタイトルを独占した。

1970年代中盤からフェラーリが180度V型12気筒の開発に成功し復調すると、そのフェラーリが1975年にタイトルを奪還。

これに対抗するためにフォードコスワースDFVは、マグネシウム鋳造パーツの採用や細部の仕様変更を施し、その後はフェラーリエンジンとタイトルを分け合うことになる。

しかし次第にF1界はターボエンジンが台頭しフォードコスワースDFVの戦闘力が相対的に低下し、前述の1983年デトロイトグランプリでのティレル011の勝利(DFVの改良型であるDFY)を最後に1985年シーズンでその役割を終えた。

1960年代後半から1985年まで長きにわたりF1界で活躍したフォードコスワースDFVが積み上げた勝利は155回。

単一形式でこれほどまでに優勝を遂げたエンジンは他に類を見ない。

形式V型8気筒/DOHC4バルブ/NA2993cc
バンク角90度
内径×行程85.6×64.8mm
最大出力408馬力(初期)/510馬力(後期)
最大トルク33.8kg.m(初期)/37.3kg.m(後期)
重量161kg(初期)/154kg(後期)
優勝回数155回
初優勝1967年オランダGP
(ジム・クラーク/ロータス49)
最終優勝1983年アメリカ東GP
(アルボレート/ティレル011)
ドライバーズチャンピオン12回
(1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1976,1978,1980,1981,1982)
コンストラクターズチャンピオン10回
(1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1978,1980,1981)
※改良型のDFY

以上、今回は1/43のティレル011(1982年仕様)を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。