先日仕事で姫路城を訪れたら、
美しく雄大な姿に心を奪われて、
ちょっと城郭に興味を持ちました
ということで、
ライカM11を持って自宅から一番近くの天守閣、
掛川城に行ってきました

掛川の目抜通りを走ると目の前にでーんと現れました
まさに街の象徴といった佇まいです
ちなみに右手に見えるのは、
昨年夏の甲子園に出場したことでも知られる掛川西高校
高校時代(平成4年ごろ)ここで練習試合をしましたが、
同時は天守が無かったような・・・
調べてみると天守復元は平成6年
やっぱり

平成7年に復元された、
高さ12メートルの立派な大手門からおじゃまします

裏側には歴代城主の名前
歴史の授業をマジメに受けていない私が知っているのは、
右から3番目の山内一豊だけ
ヤマノウチカズトヨと認識していましたが、
どうやら最近ヤマウチカツトヨと読んでいたことが考えられているらしいです

大手門の目の前の趣のある建屋は大手門番所
江戸時代後期の安政6年(1859年)に建てられた当時のものらしい

逆川のほとりを歩き縁橋を渡り四足門へ

雄大な天守が姿を表しました

入り口には『ようこそ千代と一豊の掛川城へ』の看板
内助の功として知られている山内一豊の正室千代がメインで一豊はサブ?

こちらは時刻を知らせる大太鼓があった太鼓櫓(大太鼓は御殿に移設)
築170年の歴史の重みが感じられます

では天守に向けて丘を登っていきます

中腹まで登ってきました
小高い丘の上に立地するお城は、
仰ぎ見る様が非常に絵になってイイ感じ
先日見た姫路城とは大きさや風格、そして歴史がまったく違いますが、
日本のお城特有の優美さはしっかりとあります

登頂成功
平成6年に再建された掛川城の天守
素晴らしい佇まいです

不揃いの石積みがいい雰囲気を醸し出しています
これも新たに積み上げられたものなのでしょうか

中に入るとわかりますが、
掛川城はご覧の通り木造です
大阪城や名古屋城など、
再建された多くの天守は鉄筋コンクリートですが、
掛川城は日本初の木造再建天守として築城されました
本物思考の現代人にとっては木造天守が嬉しい
地震対策は大変だったでしょうが

内部は資料館になっています
再建時の写真や鯱鉾、石落としを見ながら先へ進みます

織田信長公は当時としては相当身長が高くスラリとした体型だったらしい
猿小さっ!
内部が広くて複雑な姫路城の違い、
掛川城は三層四階建ての単純構造なので、
すぐに一番上まで登れました

掛川城から望むは新幹線(写真右中央部)
時代背景の誤差が甚だしい・・・

続いては二の丸御殿へ
こちらは紛れもないホンモノ
城郭御殿が現存するのは全国で四箇所だけらしい

そんな貴重な建造物におじゃましていいのかと心配になります

太鼓櫓から移設された大太鼓

城主の部屋から天守を望む
山内一豊もこんな感じで眺めていたのでしょう

金さ〜ん!
じゃなくて杉良太郎さん

氏が寄贈した元城主の二体の甲冑
掛川城観覧の最後は、
先日購入した『日本100名城』に捺印をします

あっ・・・
二の丸御殿を出て順路に沿って歩いて行くと、

この和洋折衷の建物は・・・なんだっ??

表の門に回ってみると『道徳門』『経済門』の文字
こちらは全国の報徳社を統括する大日本報徳社の大講堂で、
明治36年に建築された国の指定重要文化財らしい

大日本報徳社はこの方の『報徳思想』を学ぶ団体
台座には『二宮先生』・・・二宮尊徳??
そう、小学校にある像で有名な、
歩きスマホの元祖として知られる(失礼っ!)二宮金次郎です
二宮尊徳の老齢期の像は稀です・・・

お隣には仰徳記念館や、

仰徳学寮があり、こちらも存在感があり、
いずれの建物も、
個人的にはお城や御殿よりもインパクトがありました
木造のお城、素敵ですね。二宮尊徳像の所作は何を表しているのでしょう。
asamoyosiさん、コメントありがとうございます。
農村復興に尽力した二宮尊徳。像が持っているのは鍬のようです。
ありがとうございました。でも、全国的に見れば珍しい形なんでしょうね。