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スーパーGT/JGTCに参戦した『ランボルギーニ』のマシン一覧

ガヤルド

2015年スーパーGT第5戦にて
  • 参戦期間・・・2007年-2015年
  • エンジン・・・5.0L V型10気筒 NA
  • クラス・・・GT300
  • ランキング最高位・・・GT300/8位(2011年、2012年)
  • ドライバー・・・古谷直弘、栗原宗之、黒澤翼、和田久、行方由之、松田秀士、坂本祐也、井入宏之、山西康司、関口雄飛、余郷敦、細川慎弥、黒澤翼、青木孝行、織戸学、加納政樹、坂口良平、山下潤一郎、山内英輝、澤圭太、坂本雄也、吉本大樹、平峰一貴、佐藤公哉、黒田吉隆

2007年からスーパーGTに参戦したのがガヤルドだ。

2007年から2009年までは前述のとおりムルシエラゴと同時参戦しており、大柄なボディにV型12気筒エンジンを搭載するフラッグシップのムルシエラゴに対し、それに比べるとやや小ぶり(それでも大きいのだが)でV型10気筒エンジンを搭載するガヤルドは、いかにも運動性能が高く見えた。

参戦当初のグレードはRG-3といい、FIA-GT3規定により製造されたLP520 GT3をベースにスーパーGTの規定に合わせて製造されたワンオフマシン。

富士スピードウェイで行われた2009年の第7戦ではポールポジションを獲得しており、2011年には3度の表彰台を獲得(すべて3位)してGT300クラスにおいてシリーズ8位(87号車)に入った。

2012年からは4台参戦するマシンのうち2台をFIA-GT3規定で製造されたLP600+GT3に変更し、2台のLP600+GT3が5度の表彰台を獲得(すべて3位)して88号車がシリーズ8位になっている。

2013年からは1台をLP600+GT3の後継であるGT3 FL2に変更し、2014年から完全移行。その年の第4戦スポーツランドSUGO戦では2006年以来久々にJLOCに勝利をもたらした。

そしてガヤルドは2015年を最後に参戦を終了し、ウラカンにバトンタッチした。

ウラカン

2021年スーパーGT最終戦にて
  • 参戦期間・・・2016年-
  • エンジン・・・5.2L V型10気筒 NA
  • クラス・・・GT300
  • ランキング最高位・・・GT300/7位(2019年)
  • ドライバー・・・細川慎弥、佐藤公哉、飯田太陽、織戸学、平峰一貴、元嶋佑哉、高橋翼、山西康司、マルコ・アペッリ、アンドレア・カルダレッリ、アンドレ・クート、藤波清斗、小暮卓史、山田真之亮、松浦孝亮、阪口夏月、エイドリアン・ザウグ、横溝直輝、峰尾恭輔、ケイ・コッツォリーノ、ジョノ・レスター、竹内浩典
    ※エイドリアン・ザウグ、横溝直輝、峰尾恭輔、ケイ・コッツォリーノ、ジョノ・レスター、竹内浩典はディレクションレーシングからそれ以外はJLOCから参戦

ガヤルドの後継としてスーパーGTに参戦したランボルギーニのマシンがウラカンだ。

ウラカンのレース用マシンはダラーラがFIA-GT3規定で製造したもので、2016年からスーパーGTに登場。ちなみにJLOCとともにディレクションレーシング(2016年シーズンのみ)でも使用された。

ウラカンの初優勝は2019年の第5戦の富士スピードウェイ戦で、87号車により達成。この勝利はJLOCにとって3度目の栄冠となった。

そして優勝した翌戦の第6戦オートポリス戦でGT3 Evoに変更し、結果この2019年シーズンはJLOCの最上位となるGT300クラスのシリーズ7位になった。

GT3 Evoでは2020年第4戦と2021年第3戦で2度2位になっているが、2022年7月現在優勝はまだない。

【番外編】ミラージュ・GT-1(RGSミラージュ)

2003年JGTC第2戦にて
  • 参戦期間・・・2000年、2003年
  • エンジン・・・5.7L V型8気筒 NA(シボレー製)
  • クラス・・・GT500、GT300
  • ドライバー・・・ディランタ・マラガムワ、玉本秀幸、OSAMU、倉嶋新一、水谷竜也、古谷直広
    ※ディランタ・マラガムワと玉本秀幸はチームスリランカから、それ以外はチームレイジュンから参戦

最後は番外編として、全日本GT選手権に参戦した1台のカウンタックらしき?マシンを紹介しよう。

2003年に私が全日本GT選手権を観戦した時、くさび形のマシンに目が止まった。

「うわーカウンタックが参戦してる!」

当時全日本GT選手権について詳しく知らなかった私は、このマシンが紛れもないあの伝説のスーパーカーであると確信しシャッターを切りまくった。

しかしこのマシン、じつはイギリスのミラージュレプリカという小規模コンストラクターが製造したカウンタックのレプリカマシンだった。

ハンドメイドによりロードカーが約100台、レースカーが1台のみ製造されたらしく、1997年にイギリスGT選手権に参戦した後にスリランカの国民的レーシングドライバーだったディランタ・マラガムワが所有し、2000年の全日本GT選手権にGT500クラスから参戦した。

しかし予選ではGT300クラス最後尾のマシンと同等のタイムしか残せず、1度もスターティンググリッドに並ぶことなく撤退。

その後2003年にチームレイジュンがGT300クラス用に改良し投入。

結局、第4戦での25位がベストリザルトという結果で第5戦の練習走行で大クラッシュを喫し、参戦を終了した。

まとめ

今回はスーパーGTとその前身である全日本GT選手権に参戦したランボルギーニのマシンを紹介したが、まとめると以下のとおり。

マシン参戦期間参戦クラスシリーズ最高位
カウンタック1994GT1GT1/21位(1994)
ディアブロ1995-2004GT1 GT500GT500/16位(1998)
ムルシエラゴ2004-2009GT500 GT300GT300/11位(2006 2007)
ガヤルド2007-2015GT300GT300/8位(2011 2012)
ウラカン2016-GT300GT300/7位(2019)

トヨタ、ホンダ、日産の日本三大自動車メーカーが鎬を削るスーパーGTだが、そんな三大メーカーよりも早くシリーズ参戦を全面的にサポートしたランボルギーニは、スーパーGTの歴史の大きな一部を担っている。

これからも最新のマシンで長くシリーズに参戦し、我々ファンにその勇姿を見せてもらいたい・・・。

以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。