本日、20年ぶりに大谷ゴルフ場ショートコースに行ってきました。
寄せの練習が目的ですが、もうひとつ調べたいことがありまして。サーキットの痕跡確認・・・です。
「静岡市にサーキット?そんな計画ないでしょ!?あそこはむかしからゴルフ場です!」
私と同じ静岡市民からそんな声が聞こえてきそうですが、元来この地はゴルフ場ではなく、サーキットとして開業する予定だったのです。
名前は日本平スピードウェイ。
「静岡市の走り屋の名所、日本平パークウェイの間違いじゃない?」
いやいや、ここ大谷にサーキットが建設され、オープン寸前までいったのです。
まずは、オートスポーツの1971年3月号を紹介。147ページにこんな記事が掲載されています。
日本平サーキットが建設中
静岡県の日本平に、現在、サーキットが建設されている。サーキット名は”日本平サーキット”といい、久能山のとなりの山の上なので、静岡市街、駿河湾などが一望のもとに見下ろせる風光の素晴らしいところ。
コースの1周は1600mで、外周だけだと約800mのおむすび型。幅はピット前の直線部が12mで、あとは8m。もっとも、直線部がピット、パドックと一体になった平面舗装になるため、ここでジムカーナもおこなえる。オーナーがある建設会社なので、3月末までに完成させ、4月初旬のオープンを目指している。当面は、ミニカー、F-J、カートなどのレースほほか、ジムカーナなどを開催していく予定だが、東名高速道路の静岡インターから10分という至近距離にあり、今後の発展が見込まれている。
出典:オートスポーツ1971年3月号より引用
そう、記事にある通り、現在大谷ゴルフ場がある位置にサーキット建設が計画され、実際、着工されていたのです。
記事にはサーキットの完成予想図も掲載されていて、前年の1970年6月に開業した筑波サーキットのような形状。全長は1,600mなので、鈴鹿や富士のような本格的サーキットではなく、ミニサーキットだったようです。

本日あらためて訪れましたが、山の高台を開墾した場所なので、ご覧の通り本格サーキットを建設するほどの広さはありません。
ただ背後の山は高くはなく、拡張は可能。
当初ミニサーキットとして開業し、のちに開墾して現在の姿になった山岳サーキットのSUGO同様、日本平のこのサーキットもオープンしていれば、その後拡張を行ったかもしれませんね。
立地は東名高速道路の静岡インターから10分とありますが、正直30分ほどかかります(交通量が今ほどではない当時でも20分はかかったはず)が、近年日本平久能山スマートインターが設置されたため、現在は東名高速から10分でアクセス可能です。
そして、オートスポーツの1971年4月号に続報が掲載されています。
先月号のスポーツ短信欄で”日本平サーキット”とおつたえしましたが、その後、コース内容が全面バンクつきのアメリカン・タイプに変更されたため、名称も”スピードウェイ”とあらたまった。これにより、完成時期もいくぶんずれ、4月初旬のオープン予定が4月18日に順延された。
コースの外周は、デイトナ・タイプのおむすび型で、1周は850m。ここには8°から12°のカントがついており、まったく新しいタイプのストックカー・レースなどが期待されている。インフィールドは、フラットなヨーロッパ・タイプのテクニカル・コース。こちらまでを含めると1.3kmのコースになる。コース幅は、外周部が15mで、インフィールド部が10m。
なお、カント部の外側には3m m内側には10mの待避ゾーンが設けられ、3mの、ノーンの外側にはコンクリートのウォール(外壁)がつくられるところなどもデイトナにそっくり。段のついたメインスタンドはその外側にコースをかこむようなかっこうでつくられるわけだから、まさにスリバチ型になる感じだ。スタンドの収容人数は1万2000人が予定され、駐車場も1700台まで駐車可能。
4月18日のオープンにはストックカーのトロフィーダッシュ・レース(日本オートクラブ)とカート・レース(静岡カーターズ)が予定されているが、5月1日-2日には呼びもののストックカー日本平300マイル(日本オートクラブ)が開催される。もちろん1日が予選で2日が決勝となるが、これにはミニ・セダン・レースも組まれている。
場所は東名高速道路・静岡インターチェンジの出口から左-左と曲がっていった山の上で、山ののぼりくだりは2本の道路による一歩通行路にすることが考えられている。
(※ただし、インフィールド・コースはまだ設計が変更される可能性が大きい。また、天候によってはオープンが延期されることもありうる)
出典:オートスポーツ1971年4月号より引用
ここでサーキットの形状が大きく変わり、全長850m全面バンクつきのアメリカン・タイプに。
アメリカンタイプという文字に時代を感じますが、すなわち、オーバルトラックのこと。850mの長さなのでショートオーバルですね。
オーバル化に伴い、名称は日本平サーキットから日本平スピードウェイに変更されます。
ちなみに、富士スピードウェイも当初の計画ではオーバルトラックにする予定だったため、スピードウェイの名称が残っているんです。
最大バンク角は12°なので、ちょうどモビリティリゾートもてぎのオーバルと同じ。
そしてオーバルの内側には全長1,300mのインフィールドセクションが設置される予定とのこと。
インフィールドのコース幅は当時のサーキットとしては標準レベル10mですが、クネクネした形状はまるでカートコース。他に類を見ない超低速のテクニカルコースなので、完成した姿が見たかったです。
収容人数は12,000人とかなりの規模ですが、段のついたメインスタンドとの記載から、コンクリートの階段状のメインスタンドと、その他は土手からの観戦といったところでしょうか。

そんな日本平スピードウェイですが、オープン目前、あとはアスファルトを敷くだけ、というところで、1Kmも離れている静岡大学の寮から反対運動が勃発。その運動は日に日に大きくなり、新聞に掲載されると、市役所から指導が入り、日本平サーキットのオープンは白紙に・・・。
今回参考にさせていただいた『そらまめスピードウェイ』さんのブログによると、この場所はもともと土砂の採取場。土砂流出防止のために木を植える、静岡県と約束をして採取場を許可されていました。
その後、交通公園を造るという話を自治体としていたらしいのですが、雑誌でサーキットを建設していることが発覚して、地域の住民から県や市、そして建設会社に対して抗議運動が起きたとのことらしいです。
交通公園・・・まあ、サーキットも交通公園のような気もしますが・・・。
とにかく日本初のオーバルトラックはこれにて中止になり、その後、交通公園ではなく大谷ゴルフ場という18ホールのショートコースと練習場が1974年ごろに完成して現在に至ります。
日本初のオーバルはこれから26年後の1997年、ツインリンクもてぎ(現モビリティリゾートもてぎ)まで待たなければなりませんでした。
今回、サーキット建設の過去を知ってからは初めて大谷ゴルフ場のショートコースでプレイしましたが、サーキットの痕跡はありませんでした。まあ、半世紀以上前なのでさすがに残っていませんよね。
最後に蛇足ですが、我が母校は日本平スピードウェイのすぐお隣。数十mの距離にありました。
開校は1984年とサーキットオープン予定の13年後。もしサーキットが完成していれば先の静岡大学の寮以上に騒音が酷くなり、到底高校の建設などなかったはず。
母校が完成してくれてよかった・・・あっ、すでに廃校していました・・・。
今回この記事を書くにあたり『そらまめスピードウェイ』さんのブログを参考にさせていただきました。日本平スピードウェイに関してさらに詳しくお知りになりたい方は、下記リンクからお読みください。
↓『そらまめスピードウェイ』さんのブログ
https://soramame-race-circuit.blogspot.com/2013/02/nihondaira.html
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