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【まとめ】全日本GT選手権GT500全優勝記録(1994-2004)

1994年から2004年まで行われた全日本GT選手権は、日本最大の人気モータースポーツスーパーGTの礎となったカテゴリーです。

1994年から2004年までの11年間行われ、現スーパーGTの監督の多くが現役時代に熾烈なバトルを繰り広げ、私たち多くのファンを魅力しました。

ただ当時はインターネット黎明期ということで、記録があまり残っていないんです。

ということで、今回は全日本GT選手権全優勝記録を簡単なレース展開とともに紹介します。

1994年 全日本GT選手権 全優勝記録

Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
1富士影山正彦インパル
(ホシノレーシング)
日産
GT-R
B
2仙台長谷見昌弘ハセミ日産
GT-R
B
3富士A.リード
近藤真彦
タイサンポルシェ
962C
Y
4SUGO土屋圭市
高橋国光
クニミツポルシェ
911RSR-T
Y
5MINEO.ララウリ
太田哲也
タイサンフェラーリ
F40
Y

開幕戦

1994年5月1日に富士スピードウェイで開幕した全日本GT選手権。

記念すべき開幕戦は1号車ホシノレーシング(インパル)の影山正彦選手が、スカイラインGT-R(R32)同士の対決を制し優勝。

第2戦

仙台ハイランドで行われた第2戦は、3号車ハセミモータースポーツの長谷見昌弘選手が、ピットイン中に1号車ホシノレーシングを追い抜き優勝します。

第3戦

第3戦は再び富士。50号車チームタイサンのポルシェ962Cはポールポジションからのスタートでしたが、マシン特性によりスタートで出遅れる(当時はスタンディングスタート)も、みるみる順位を上げてトップチェッカー。近藤真彦選手が自身初にして唯一のGT1クラス(現GT500)優勝レースでした。でもポルシェ962CなんてGTじゃないでしょ??

第4戦

第4戦スポーツランドSUGOは、ポルシェ911RSR-Tを駆る高橋国光選手と土屋圭市選手の師弟コンビ(100号車チームクニミツ)が、2号車ニスモ(GT-R)の鈴木利男選手を逆転して優勝。現在ホンダ勢のエースチームのチームクニミツは当時ポルシェで参戦していました。

最終戦

最終戦MINEサーキットのレースは、チームタイサンの50号車ポルシェ962Cが同じくタイサンの40号車フェラーリF40を追い抜きトップに立つも、ピットイン中に40号車フェラーリF40が逆転してそのままフィニッシュ。この勝利は2025年現在、フェラーリ唯一のGT総合優勝です。

シーズン成績

1994年チャンピオン
  • ドライバーズタイトル:影山正彦
  • チームズタイトル:ホシノレーシング

全日本GT選手権初年度のシリーズチャンピオンはドライバーズタイトルが影山正彦選手、チームズタイトルがホシノレーシング(インパル)でした。

1995年 全日本GT選手権 全優勝記録

ドライバーズタイトルを獲得した影山正彦
写真提供:Mさん
Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
1鈴鹿影山正彦インパル
(ホシノレーシング)
日産
GT-R
B
2富士松田秀士
飯田薫
タイサンポルシェ
911GT2
Y
3仙台M.クルム
関谷正徳
トムストヨタ
スープラ
B
4富士長谷見昌弘ハセミ日産
GT-R
Y
5SUGOA.リードタイサンポルシェ
911GT2
Y
6MINE松田秀士タイサンポルシェ
911GT2
B

開幕戦

1995年シーズンの開幕戦鈴鹿は、3番手スタートの1号車ホシノレーシング影山正彦選手が一時順位を落とすも徐々に順位を上げ、最後は3号車ハセミモータースポーツを追い抜き優勝。なお、多くのGT-R勢がR33型に変更する中、このレースのホシノレーシングはまだR32型でした。

第2戦

第2戦富士スピードウェイは、セーフティカーの導入やスープラ2台のトラブルなど荒れたレースでしたが、33号車チームタイサンのポルシェ911GT2(松田秀士選手・飯田薫選手組)が制します。

第3戦

仙台ハイランドの第3戦は、予選で5番手と低迷した36号車トムスのスープラでしたが、ペースが良く、順調にポジションをアップ。最後はトップ快走の38号車セルモのスープラと接触し、生き残った36号車トムスが優勝。この勝利はトムスとスープラのGT初優勝でした。

第4戦

第4戦富士は序盤チームタイサンのフェラーリF40が後続を大きく離してトップを走行するも、ピットストップでロス。トップは同じくタイサンのポルシェ911GT2に変わりますが、終盤に3号車ハセミモータースポーツの長谷見昌弘選手がオーバーテイクして優勝します。

第5戦

GT初のウエットレースとなった第5戦スポーツランドSUGO戦では、オープニングラップで首位に出たホシノレーシングの1号車スカイラインGT-Rでしたが、そのGT-Rを序盤で35号車タイサンのポルシェ911GT2が追い抜き、そのまま安定したペースでチェッカーを受けました。

最終戦

最終戦MINEは、34号車タイサンのポルシェ911GT2が3号車ハセミモータースポーツとの首位争いで先行しますが、チームテイクワンのポルシェがタイサンをオーバーテイク。しかしピットワークで逆転をした34号車タイサンのポルシェ911GT2が首位の座を取り戻し、そのまま逃げ切り優勝します。

シーズン成績

1995年チャンピオン
  • ドライバーズタイトル:影山正彦
  • チームズタイトル:チームタイサン

シリーズチャンピオンは、ホシノレーシングの影山正彦選手が2年連続のドライバーズチャンピオンに。そしてこの年シリーズを席巻したチームタイサンがチームズタイトルを獲得しました。

1996年 全日本GT選手権 全優勝記録

この年JGTCを席巻したマクラーレンF1 GTR
写真提供:Mさん
Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
1鈴鹿R.シューマッハ
服部尚貴
ラークマクラーレンマクラーレン
F1 GTR
B
2富士D.ブラバム
J.ニールセン
ラークマクラーレンマクラーレン
F1 GTR
B
3仙台E.コマス
竹内浩典
セルモ
(トヨタカストロールチーム)
トヨタ
スープラ
B
4富士星野一義
影山正彦
インパル日産
GT-R
B
5SUGOR.シューマッハ
服部尚貴
ラークマクラーレンマクラーレン
F1 GTR
B
6MINER.シューマッハ
服部尚貴
ラークマクラーレンマクラーレン
F1 GTR
B

開幕戦

この年の全日本GT選手権を席巻したのがマクラーレンF1 GTR。開幕戦鈴鹿でポールポジションからスタートしたマクラーレンの60号車は、序盤に37号車セルモのスープラに先行されるも、中盤にそのセルモを追い抜き、60号車マクラーレンはデビューレースで勝利します。

第2戦

第2戦富士でもポールポジションを獲得したマクラーレン60号車でしたが、4周目にブレーキトラブルでスピンリタイヤします。その後両雄のマクラーレン61号車がトップに立ち、途中36号車トムススープラに追い上げられるも、61号車が振り切ってトップチェッカーを受けました。

第3戦

仙台ハイランドの第3戦でも60号車のマクラーレンがポールポジションを奪取しますが、序盤に8号車FETレーシングのスープラに首位の座をあけ渡します。しかし8号車FETのスープラがピットで遅れ、首位に立ったのがこの年からトムスとともにトヨタカストロールチームとしてエントリーしている37号車セルモのスープラで、そのまま優勝しました。

第4戦

第4戦富士でもマクラーレン60号車がポールポジションを獲得するも、またもブレーキトラブルでリタイヤし、マクラーレン61号車が首位に。しかしピットで遅れを取り、1号車チームインパルが首位に立ち優勝しました。尚、この勝利は日本一速い男 星野一義選手のGT初優勝でした。

第5戦

第5戦SUGOでもマクラーレン60号車がポールポジションからスタート。多くのアクシデントが起こる荒れたレースの中、マクラーレン60号車もピットロードでスピンして順位を落とすも、556号車のGT-Rをオーバーテイクしてトップに立ち開幕戦以来の優勝を遂げました。

最終戦

最終戦のMINEでもマクラーレン60号車がポールポジションを奪取し、圧倒的な速さでシーズン3勝目を上げました。

シーズン成績

1996年チャンピオン
  • ドライバーズタイトル:D.ブラバム / J.ニールセン
  • チームズタイトル:ラークマクラーレン

6戦中5戦でポールポジションを獲得し、シーズン3勝を上げたマクラーレン60号車でしたが、安定感に勝る両雄のマクラーレン61号車を駆るデビッド・ブラバム選手とジョン・ニールセン選手が1ポイント差でドライバーズチャンピオンを獲得。

チームズタイトルはシーズン4勝のラークマクラーレンが獲得しました。

1997年 全日本GT選手権 全優勝記録

タイトルを獲得したトムスのマシン
写真提供:Mさん
Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
1鈴鹿鈴木亜久里
E.コマス
ニスモ日産
GT-R
B
2富士影山正美
谷川達也
サードトヨタ
スープラ
Y
3仙台M.クルム
P.デ・ラ・ロサ
トムス
(トヨタカストロールチーム)
トヨタ
スープラ
B
4富士影山正美
谷川達也
サードトヨタ
スープラ
Y
5MINEM.クルム
P.デ・ラ・ロサ
トムス
(トヨタカストロールチーム)
トヨタ
スープラ
B
6SUGO田嶋栄一
M.グーセン
5ZIGENトヨタ
スープラ
D

開幕戦

鈴鹿での開幕戦は、2号車ニスモのGT-Rを駆る鈴木亜久里選手とエリック・コマス選手の元F1ドライバーコンビが優勝します。

第2戦

雨の中行われた第2戦富士は序盤にニスモのGT-Rとトムスのスープラが先陣争いを繰り広げるも、路面が乾き始めると5号車5ZIGENスープラがトップに立つもスピン。終盤トップを争ったのは39号車サードスープラで、追い上げる3号車ハセミモータースポーツのGT-Rを振り切って39号車サードが初優勝しました。

第3戦

第3戦仙台ハイランド。序盤トップを走行したのが37号車のトムススープラでしたが、2号車ニスモGT-Rがかわして首位に。その後36号車トムスがペースを上げ、ファイナルラップでニスモ2号車をオーバーテイクしてトムス36号車が優勝しました。

第4戦

第4戦富士は前半戦で38号車セルモと36号車トムスが首位争いを繰り広げるも、ピットワークでその2台を抜いて39号車サードスープラが首位に立ち、そのまま優勝して39号車サードがシーズン2勝目を上げました。

第5戦

MINEの第5戦は序盤に100号車チームクニミツと童夢無限の2台のNSXが首位争いを演じ、クニミツが次第に後続を引き離します。しかしピットワークに手間取り、その隙に36号車トムススープラがトップになりトップチェッカーを受けました。

最終戦

SUGOでの最終戦はウエット。序盤は39号車サードと36号車トムスの2台のスープラが激しく首位を争い2台が激突。その後トップに立った5号車5ZIGENスープラがGT初優勝をしました。

シーズン成績

1997年チャンピオン
  • ドライバーズタイトル:ミハエル・クルム / ペドロ・デ・ラ・ロサ
  • チームズタイトル:トヨタカストロールチーム(トムス・セルモ)

ドライバーズタイトルを賭けて最終戦で激しく競り合ったトムス36号車とサードでしたが、結果は同ポイントながら、上位入賞で勝るミハエル・クルム選手とペドロ・デ・ラ・ロサ選手のコンビがチャンピオンになりました。

チームズチャンピオンは、トムス2台とセルモの3台で結成されたトヨタカストロールチームが獲得してます。

1998年 全日本GT選手権 全優勝記録

Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
1鈴鹿E.コマス
影山正美
ニスモ日産
GT-R
B
2富士
3仙台E.コマス
影山正美
ニスモ日産
GT-R
B
4富士山西康司
T.コロネル
ナカジマホンダ
NSX
B
5もてぎ中子修
道上龍
無限ホンダ
NSX
B
6MINE高橋国光
飯田章
クニミツホンダ
NSX
B
7SUGO中子修
道上龍
無限ホンダ
NSX
B

開幕戦

1998年の開幕戦鈴鹿では、100号車チームクニミツと64号車ナカジマレーシングの2台のNSXが後続を引き離すも、64号車ナカジマレーシングがイエローフラッグ無視で脱落。さらに残り5周で100号車チームクニミツがトラブルによりリタイヤし、ニスモ23号車がレースを制しました。

第2戦

富士スピードウェイで行われた第2戦は、フォーメーションラップでGT300クラスのマシンが多重クラッシュをして炎上して中止に。フェラーリの太田哲也選手が瀕死の重症を負った、今なお語り継がれるレースでした。

第3戦

第3戦仙台ハイランドでは、ポールポジションからスタートした16号車無限NSXがファステストラップを記録しながら逃げるも、マシントラブルでリタイヤ。代わってトップに立った23号車でしたが、100号車チームクニミツNSXが23号車を抜きトップになります。しかし100号車がクラッシュし、ニスモ23号車がトップに返り咲きトップでフィニッシュしました。

第4戦

富士スピードウェイでの第4戦は、ポールポジションからスタートした100号車チームクニミツNSXが序盤にトップを走行するもオイルに乗りスピンリタイヤ。16号車無限NSXがトップになります。しかしその無限が残り4周でペナルティを受け、労せずして64号車ナカジマレーシングNSXがトップになりそのまま優勝を遂げました。

第5戦

第5戦は初開催のツインリンクもてぎ(現モビリティリゾートもてぎ)戦。ポールポジションの16号車無限NSXが序盤からトップを快走しますが、ピットイン中に100号車クニミツのNSXがトップに。しかしクニミツのマシンがトラブルにより後退し、無限がトップチェッカーを受けました。

第6戦

MINEサーキットの第6戦。ポールポジションの100号車チームクニミツのNSXはホールショットを決めるも、64号車ナカジマレーシングのNSXが追い抜きトップに立ちます。中盤、全マシンがピットワークを終えると、トップは18号車童夢NSX、2位100号車クニミツNSXに。トップに立った童夢でしたがスピンし、クニミツが首位でレースを制しました。

最終戦

スポーツランドSUGOの最終戦。ポールポジションからスタートした16号車無限NSXがホールショットを決めるも、38周目に18号車童夢NSXが無限を抜きトップに立ちます。童夢はそのままトップでフィニッシュしましたが、マシンの規定違反で失格となり、2番手フィニッシュの無限が繰り上がりで勝利しました。

シーズン成績

1998年チャンピオン
  • ドライバーズタイトル:影山正美 / エリック・コマス
  • チームズタイトル:ニスモ

1998年はNSX勢がシリーズを席巻しましたが、ホンダ系各チームでポイントがばらけたため、序盤に2勝を上げ、その後も安定してポイントを重ねたニスモ23号車の影山正美選手とエリック・コマス選手がドライバーズチャンピオンになりました。

チーム部門でも2号車と23号車の2台体制で参戦したニスモがチャンピオンを獲得しています。

1999年 全日本GT選手権 全優勝記録

Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
1鈴鹿脇阪寿一
金石勝智
童夢
(無限×童夢プロジェクト)
ホンダ
NSX
B
2富士高橋国光
飯田章
クニミツホンダ
NSX
B
3SUGO関谷正徳
黒澤琢弥
トムストヨタ
スープラ
M
4MINEE.コマス
本山哲
ニスモ日産
GT-R
B
5富士野田英樹
W.ガードナー
ルマントヨタ
スープラ
B
6岡山(TI)T.コロネル
光貞秀俊
ナカジマホンダ
NSX
B
7もてぎ関谷正徳
黒澤琢弥
トムストヨタ
スープラ
M

開幕戦

1999年開幕戦は雨の鈴鹿。ポールポジションの18号車童夢NSXはトップから後続を広げるも、スピンし1号車のGT-Rニスモが首位に。しかしその1号車ニスモを12号車インパルがかわしてトップになりますが、こちらもスピンして首位を1号車ニスモに明け渡します。序盤にスピンをした18号車童夢は猛烈な勢いで追い上げ、1号車ニスモを24周目に追い抜き18号車童夢が首位に返り咲き優勝しました。

第2戦

富士での第2戦。ポールポジションからスタートした38号車セルモスープラですが、100号車クニミツNSXが追い抜き首位に立ちます。そして100号車クニミツは安定した速さで走り抜き優勝しました。

第3戦

第3戦はスポーツランドSUGO。ポールスタートの6号車チームルマンのスープラは後続との差を広げてトップを快走しますが、64周目に出火してリタイヤしてしまいます。その後は36号車のトムススープラがトップに立ちチェッカーを受けました。

第4戦

MINEサーキットでの第4戦はポールポジションの37号車トムススープラが序盤にレースをリードしますが、8番手スタートのニスモ23号車が順位を上げて、37号車トムススープラとマッチアップ。エリック・コマス選手と片山右京選手の激しいトップ争いは、コマス選手の23号車ニスモGT-Rが制して優勝しました。

第5戦

富士での第5戦。ポールからホールショットを決めた36号車のトムススープラでしたが、6号車チームルマンのスープラがストレートでオーバーテイクして首位に浮上します。ルマンスープラはそのまま走り切り初優勝。野田英樹選手とワイン・ガードナー選手にとっても初の勝利でした。尚、野田英樹選手は元F1ドライバーで今話題のJuju選手の父親、ガードナー選手は世界GPでチャンピオンを獲得した名ライダーです。

第6戦

初のTIサーキット英田(現在岡山国際サーキット)で行われた第6戦。オープニングラップでクニミツの100号車NSXがトップに立ちますが、ポールの64号車ナカジマレーシングがトップに返り咲きます。ナカジマのNSXはそのままレースを支配して優勝しました。

最終戦

もてぎでの最終戦は、ポールポジションのトムススープラ36号車がトップをキープするも、その後16号車無限NSXが36号車を追い抜きトップに立ちます。しかし無限はピットでエンジンストールして2位に後退。36号車トムスはトップに返り咲き、そのままチェッカーを受けました。

シーズン成績

1999年チャンピオン
  • ドライバーズタイトル:エリック・コマス
  • チームズタイトル:トムス

ドライバーズチャンピオンは2年連続のエリック・コマス選手、チーム部門は36号車と37号車の2台のマシンでエントリーしたトムスが受賞しました。

2000年 全日本GT選手権 全優勝記録

シーズン2勝も王者になれなかったナカジマ
写真提供:Mさん
Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
1もてぎE.コマス
影山正美
ニスモ日産
GT-R
B
2富士脇阪寿一
金石勝智
童夢
(無限×童夢プロジェクト)
ホンダ
NSX
B
3SUGO伊藤大輔
D.シュワガー
ナカジマホンダ
NSX
B
4富士鈴木亜久里
土屋圭市
ARTAホンダ
NSX
B
5岡山(TI)竹内浩典
立川祐路
セルモトヨタ
スープラ
B
6MINE星野一義
本山哲
インパル日産
GT-R
B
7鈴鹿伊藤大輔
D.シュワガー
ナカジマホンダ
NSX
B

開幕戦

2000年の開幕戦はもてぎ。ポールポジションの18号車童夢NSXが序盤トップでレースを進めるも、ミッショントラブルでリタイヤ。初戦は前年王者のニスモ1号車が優勝をおさめました。

第2戦

富士スピードウェイでの第2戦は18号車童夢NSXがトップでオープニングラップの1コーナーを抜けます。その後も驚異的な速さを見せた童夢は、2位に15秒の大差をつけて優勝しました。

第3戦

第2戦はスポーツランドSUGO。開幕戦から3戦連続でポールポジションを獲得した18号車童夢NSXは、前半をトップで走行するも、ピットイン終了後の中盤にスピンを喫し、64号車ナカジマレーシングNSXが1位に浮上。そのまま64号車がトップでチェッカーを受けました。

第4戦

第4戦富士はポールポジションの38号車セルモスープラがホールショットを決めますが、マシントラブルでリタイヤ。セーフティカーが導入されほぼ全マシンがピットインし、素晴らしいピットワークをした8号車ARTA NSXが首位に立ち勝利。ARTAはGT初優勝でした。

第5戦

TIサーキット英田での第5戦は、オープニングラップで1号車ニスモのGT-Rがポールスタートの38号車セルモスープラを抜き、首位に浮上します。しかしニスモ1号車はピットインでエンジンが掛からず3位に。これでトップに返り咲いたセルモは16号車無限NSXとの激しいバトルを制し優勝をおさめました。

第6戦

第6戦MINEは、このシーズン4度目のポールポジションからスタートした18号車童夢NSXがオープニングラップの1コーナーで64号車ナカジマと絡み、大混乱で赤旗となります。再スタート後12号車チームインパルのGT-Rがトップに立ち、激しい童夢とのバトルを制して12号車インパルが優勝しました。

最終戦

鈴鹿での最終戦は、100号車クニミツがポールポジションから首位をキープします。その後ピットストップで64号車ナカジマレーシングが逆転して首位に立ち優勝。64号車はシーズン2勝を飾りました。

シーズン成績

2000年チャンピオン
  • ドライバーズタイトル:道上龍
  • チームズタイトル:無限×童夢プロジェクト

2000年のチャンピオンは16号車無限NSXの道上龍選手。道上選手は優勝こそできませんでしたが、2位4回の安定した成績で初のタイトルを獲得しました。

チーム部門は16号車チーム無限と18号車童夢の合同チームである、無限×童夢プロジェクトが獲得しました。

2001年 全日本GT選手権 全優勝記録

最終戦でのマクラーレンの勝利は3大メーカー以外の最後の優勝(2025年現在)
写真提供:Mさん
Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
1岡山(TI)道上龍
光貞秀俊
無限
(無限×童夢プロジェクト)
ホンダ
NSX
B
2富士脇阪寿一
野田英樹
ルマントヨタ
スープラ
B
3SUGO山路慎一
W.ガードナー
トムストヨタ
スープラ
M
4富士M.クルム
田中哲也
ニスモ日産
GT-R
B
5もてぎD.シュワガー
松田次生
ナカジマホンダ
NSX
B
6鈴鹿土屋圭市
金石勝智
ARTAホンダ
NSX
B
7MINE岡田秀樹
A.クート
TAKE ONEマクラーレン
F1 GTR
B

開幕戦

2001年開幕戦はTIサーキット英田。前年チャンピオンの1号車チーム無限の道上龍選手は、ポールポジションを獲得するも、10周目に23号車ニスモGT-Rが首位に浮上します。その後、無限が抜き返しトップに返り咲き、そのまま優勝。2000年未勝利ながら王者になった無限ですが、ディフェンディングチャンピオンが幸先の良い勝利となりました。

第2戦

初の500km開催となった第2戦富士。オープニングラップで首位に出た30号車TAKE ONEのマクラーレンでしたが、それをセルモ38号車のスープラが抜きトップ浮上。しかし2回のピットストップでエンジンストールしたセルモに対し、6号車チームルマンのスープラは完璧なピットストップで首位に躍り出ます。最後まセルモを振り切りチームルマンが勝利ました。

第3戦

スポーツランドSUGOの第3戦。ポールの100号車チームクニミツのNSXがトップをキープするも、序盤で8号車ARTA NSXが追い抜きトップに浮上します。そのARTAをピットワークで追い抜いた37号車のトムスがトップでチェッカーを受けました。

第4戦

富士での第4戦は、序盤から23号車ニスモGT-Rがトップを走行しますが、残り7周でチームメイトのニスモ22号車がオーバーテイクしトップになります。結局ニスモ2台がワンツーフィニッシュを達成しました。

第5戦

第5戦もてぎは、64号車ナカジマレーシングのNSXがポールポジションから1コーナーを先頭で抜けます。しかしナカジマはタイヤがバーストして緊急ピットインし18位まで順位を下げます。トップに立った30号車のマクラーレンでしたが、ピットアウト後にスピン。首位は38号車セルモになるも、1号車無限がセルモをかわして首位になるも、残り数ラップとなったところで給油のためピットインをします。結局18位まで順位を下げた64号車のナカジマレーシングが大逆転で優勝をしました。

第6戦

鈴鹿での第6戦は、予選7位の6号車チームルマンのスープラが、スタートで一気にジャンプアップしてトップに浮上します。しかし2位の8号車ARTA NSXと接触してルマンは脱落。首位に出たARTAがトップチェッカーを受けました。

最終戦

最終戦はMINEサーキット。ポールポジションを獲得した30号車のチームTAKE ONEがオープニングラップの1コーナーをトップで駆け抜けます。後続で選手権争いが繰り広げられる中、30号車TAKE ONEのマクラーレンは安定したレース運びで優勝。この勝利は2025年現在、トヨタ、ホンダ、日産以外での最後の勝利です。

シーズン成績

2001年チャンピオン
  • ドライバーズタイトル:竹内浩典 / 立川祐路
  • チームズタイトル:ニスモ

2001年シーズンのドライバーズチャンピオンは、セルモの竹内浩典選手と立川祐路選手のコンビ。前年に引き続き未勝利でのタイトル獲得でした。

チーム部門では22号車と23号車の2台のマシンを走らせたニスモが受賞しています。

2002年 全日本GT選手権 全優勝記録

2002年シーズンの主役はルマン
Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
1岡山(TI)松田次生
R.ファーマン
ナカジマホンダ
NSX
B
2富士竹内浩典
立川祐路
セルモトヨタ
スープラ
B
3SUGO脇阪寿一
飯田章
ルマントヨタ
スープラ
B
4セパン松田次生
R.ファーマン
ナカジマホンダ
NSX
B
5富士竹内浩典
立川祐路
セルモトヨタ
スープラ
B
6もてぎS.フィリップス
R.ライアン
童夢
(無限×童夢プロジェクト)
ホンダ
NSX
B
7MINE伊藤大輔
道上龍
無限
(無限×童夢プロジェクト)
ホンダ
NSX
B
8鈴鹿松田次生
R.ファーマン
ナカジマホンダ
NSX
B

開幕戦

2002年シーズンの開幕戦はTIサーキット英田。ポールポジションからスタートの64号車ナカジマレーシングのNSXが、スタートから順調にトップを快走します。64号車ナカジマはその後も後続を寄せ付けず、ポールトゥフィニッシュを達成しました。

第2戦

ゴールデンウィークの500km富士決戦。ポールポジションの6号車チームルマンのスープラがホールショットを決めますが、6周目に1号車セルモスープラが6号車ルマンを抜きトップに浮上します。その後一ツ山レーシングの76号車マクラーレンがセルモをオーバーテイクして首位に上がりますが、タイヤトラブルでコースアウト。ふたたびセルモがトップに上がります。セーフティカー導入でトップが8号車ARTA、16号車無限と変わりますが、最後はセルモが先頭に返り咲き優勝をおさめました。

第3戦

第3戦はスポーツランドSUGO。ポールからトップを守った8号車ARTA NSXはタイヤ交換で緊急ピットインをして、36号車トムススープラが先頭に浮上します。しかし36号車トムスはピットアウト後の赤信号無視でペナルティを受け、6号車チームルマンのスープラが大逆転で勝利しました。

第4戦

第4戦は初の海外公式戦となるセパン。ポールポジションスタートの64号車ナカジマレーシングNSXが首位をキープします。その後も順調にレースを運んだ64号車は、開幕戦同様のパーフェクトなレースでシーズン2勝目を上げました。

第5戦

富士スピードウェイでの第5戦は、ポールスタートの38号車セルモスープラが順調にレースをリードします。しかしピットが混み合い出る際に一度バックしなければならず、その隙に36号車トムススープラがトップに立ち、それを25号車つちやエンジニアリングのスープラがオーバーテイクしトップ浮上。しかしピットアウトで順位を下げたセルモが驚異的な速さで挽回し、トップに返り咲き、シーズン2勝目を上げました。

第6戦

第6戦はツインリンクもてぎ(現モビリティリゾートもてぎ)。初のポールポジションを獲得した76号車のマクラーレンがホールショットを決めトップでレースを進めますが、ピットストップで脱落。代わってトップに立ったのが18号車童夢NSX。最後は100号車のクニミツとマッチアプになりますが、童夢が逃げ切り勝利ました。

第7戦

MINEでの第7戦。2番手スタートの36号車トムススープラが、ポールスタートの64号車ナカジマを抜いて、オープニングラップをトップで終えます。その後は36号車トムス、64号車ナカジマ、16号車無限の三つ巴の展開。ピットワーク後に36号車トムスがスピンして脱落。そして64号車ナカジマを16号車無限がオーバーテイクしてそのままトップチェッカーを受けました。

最終戦

最終戦鈴鹿は、ポールポジションの6号車ルマンスープラが18号車童夢と64号車ナカジマに立て続けに抜かれてしまいます。そして13周目のスプーンで64号車ナカジマが、18号車童夢を押し出しトップに浮上し、64号車ナカジマレーシングのNSXはシーズン3勝目を上げました。

シーズン成績

2002年チャンピオン
  • ドライバーズタイトル:脇阪寿一 / 飯田章
  • チームズタイトル:無限×童夢プロジェクト

2002年のドライバーズチャンピオンは脇阪寿一選手と飯田輝選手のコンビ。チームタイトルは無限と童夢の連合チームが獲得しています。

2003年 全日本GT選手権 全優勝記録

シーズン2勝のインパル
Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
1岡山(TI)脇阪寿一
飯田章
ルマントヨタ
スープラ
B
2富士R.ライアン
影山正美
ニスモ日産
GT-R
B
3SUGO脇阪寿一
飯田章
ルマントヨタ
スープラ
B
4富士B.トレルイエ
井出有治
インパル日産
GT-R
B
5富士道上龍
S.フィリップス
童夢ホンダ
NSX
B
6もてぎ伊藤大輔
T.コロネル
童夢ホンダ
NSX
B
7オーポリD.シュワガー
織戸学
サードトヨタ
スープラ
Y
8鈴鹿B.トレルイエ
井出有治
インパル日産
GT-R
B

開幕戦

2003年の開幕戦TIサーキット英田。ポールスタートの23号車ニスモGT-Rは1コーナーを首位で抜けるも、その後、2位の6号車ルマンのスープラが追突し、その隙に3位25号車つちやスープラがトップに出ます。3位に落ちた23号車ニスモでしたが、ピットストップで2台を逆転してトップに立ちます。しかし6号車ルマンが23号車ニスモを追い抜き、開幕戦を制しました。

第2戦

第2戦は富士。38号車セルモスープラがポールポジションから首位をキープ。最初のピットストップが終わると、22号車ニスモGT-Rが38号車セルモを逆転して首位になります。22号車ニスモはそのまま首位をキープしてチェッカーを受けました。

第3戦

第3戦SUGO。フロントロースタートの6号車ルマンスープラと23号車ニスモGT-Rが、テールトゥノーズのバトルを繰り広げます。ピットストップでその2台の前に出たのが36号車のトムススープラ。終盤に36号車トムスと6号車ルマンの一騎打ちとなり、最終ラップ最終コーナーでルマンがオーバーテイクして熾烈なバトルを制しました。チェッカー直後にルマンのカウルが吹き飛ぶシーンが印象的なレースでした。

第4戦

第4戦は新型肺炎で中止となったセパンの代替えとして、富士にて2ヒート制で行われました。まず第1レース。ポールスタートの38号車セルモでしたが、3周目に36号車トムスに逆転を許します。直後にセルモが逆転するも、その直後にいた12号車インパルがそのトップスピードを活かして2台抜きで首位に出て第1レースを制します。

第2レースはスタートでポールポジションの12号車インパルを39号車サードが追い抜き首位に立ちます。9周目に12号車インパルがサードを抜き返してトップに返り咲きます。終盤に22号車ニスモが直後に迫りますが、インパルが逃げ切り第1レースに続き第2レースも勝利しました。

第5戦

第5戦はまたも富士スピードウェイ。このレースが旧コースでの最後のレースでした。ポールスタートの38号車セルモがスタートダッシュを決めます。ピットワークで23号車ニスモに首位を譲った38号車セルモでしたが、再び抜き去りトップに戻ります。しかしセルモはスローパンクチャーが発生し、最終ラップで18号車童夢NSXが逆転優勝をするのでした。

第6戦

第6戦はもてぎ。36号車トムススープラがポールからスタートを決め、後続を弾き離して行きます。しかしピットストップで16号車童夢NSXが逆転してトップに浮上し、そのままトップチェッカーを受けました。尚、16号車はこのシーズンも無限としてエントリーしていましたが、このレースの直前に童夢としてエントリーしています
理由は無限の法人税法違反が関係していると思われます

第7戦

第7戦はGT初開催のオートポリス。このシーズン4度目のポールポジションからスタートした38号車セルモスープラでしたが、オープニングラップで64号車ナカジマのNSXに先行されます。その64号車を39号車サードスープラが追い抜きトップに立ち、サードは1997年以来の優勝を遂げました。

最終戦

鈴鹿サーキットでの最終戦は、ポールポジションからスタートした25号車つちやスープラがトップを守るも、S字でスピンしたマシンを避けるためにコースアウトし、トップは23号車ニスモGT-Rに変わります。しかし23号車ニスモはピットストップで遅れをとり、12号車チームインパルのGT-Rが首位に上がります。その後18号車童夢と壮絶なバトルを繰り広げるも、最後は12号車インパルが競り勝ちトップチェッカー。スカイラインGT-Rとしての最後のレースを有終の美で飾りました。

シーズン成績

2003年チャンピオン
  • ドライバーズタイトル:本山哲 / ミハエル・クルム
  • チームズタイトル:ニスモ

2003年シーズンのドライバーズチャンピオンは本山哲選手とミハエル・クルム選手の2人でした。23号車ニスモは未勝利ながら、4度の表彰台を含む全レースでポイントを獲得した結果でした。

チームタイトルは22号車と23号車で戦ったニスモが受賞しています。

2004年 全日本GT選手権 全優勝記録

Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
1岡山(TI)本山哲
R.ライアン
ニスモ日産
フェアレディZ
B
2SUGO立川祐路
荒聖治
セルモトヨタ
スープラ
B
3セパンJ.デュフォア
A.クート
サードトヨタ
スープラ
B
4十勝影山正美
M.クルム
ニスモ日産
フェアレディZ
B
5もてぎ松田次生
A.ロッテラー
ナカジマホンダ
NSX
B
6オーポリ本山哲
R.ライアン
ニスモ日産
フェアレディZ
B
7鈴鹿B.トレルイエ
井出有治
インパル日産
フェアレディZ
B

開幕戦

2004年シーズンの開幕戦はTIサーキット英田。ダンプコンディションの中スリックタイヤを選択したポールポジションのニスモ22号車はポジションダウンし、両雄の1号車ニスモがトップに立つも、38号車セルモがが抜き、さらに39号車サードスープラがオーバーテイクして首位に。サーキットは太陽が顔を出し、各マシンがスリックに交換。レース終盤、トップ39号車サードがペナルティを受け、1号車ニスモが弄せずして首位に立ち優勝しました。

第2戦

スポーツランドSUGOの第2戦。ポールスタートの6号車ルマンのスープラを、25号車つちやエンジニアリングのスープラがオーバーテイクしますが、16周目にふたたびルマンが首位を奪還します。レース中盤のピットストップで38号車セルモが6号車ルマンを逆転してトップ浮上するも、ルマンはまたもコース上でセルモを抜き首位に。しかしルマンはタイヤがバーストし、首位陥落。首位になった38号車セルモは終盤の雨も冷静に対処して勝利したのでした。

第3戦

第3戦セパンは、ポールポジションの12号車チームインパルのフェアレディZを、36号車トムススープラがオーバーテイクして首位に立ちますが、ふたたび12号車インパルが前に行きます。ピットワークを終えると36号車トムスがまたも首位に上がりますが、レース終盤にトムスがスピンを喫し、39号車サードスープラがトップになり、そのままチェッカーを受けました。

第4戦

北海道初開催となった第4戦は十勝スピードウェイ。ポールポジションの3号車ハセミモータースポーツのZが、序盤戦首位を直走ります。中盤のピットインで22号車ニスモZが素晴らしいピットワークを見せて首位に上がり、最後は6号車ルマンに追い上げられるも、22号車はなんとか踏ん張り優勝しました。

第5戦

もてぎでの第5戦。ウエット路面の中、ポールポジションの35号車クラフトスープラが首位をキープします。2番手との差を広げていた35号車クラフトでしたが、1コーナーで痛恨のコースオフを喫し、1号車ニスモZが首位に立ちます。その1号車ニスモを32号車ナカジマレーシングのNSXが攻略しトップに浮上。その後、追い上げてきた37号車トムスと抜きつ抜かれつの攻防をするも、32号車はトップをキープし勝利するのでした。

第6戦

第6戦は九州のオートポリス。ポールポジションの38号車セルモスープラが1コーナーで脱落し、6号車チームルマンのスープラが首位に上がるも、2周目に25号車つちやエンジニアリングのスープラが6号車を抜きトップに。20周目に6号車ルマンがふたたびトップを奪還しますが、コースアウト。各マシンがタイヤ交換を終えると、6号車ルマン、25号車つちや、1号車ニスモの熾烈な首位争いが勃発し、その争いを制したニスモ1号車がトップでチェッカーを受けました。

最終戦

2004年の、そして全日本GT選手権の最終戦は鈴鹿。ポールポジションの36号車トムススープラは、混乱の1コーナーを尻目にトップをキープします。その後、早めにピットワークを済ませた12号車チームインパルのZが、36号車のトムスを抜きトップに浮上します。12号車インパルは最後まで36号車を従えて優勝。全日本GT選手権最後のレースを制しました。

シーズン成績

2004年チャンピオン
  • ドライバーズタイトル:本山哲 / リチャード・ライアン
  • チームズタイトル:ニスモ

2004年シーズンは1号車ニスモZを駆る本山哲選手が2年連続のチャンピオンを獲得。この年から1号車に加入したリチャード・ライアン選手は、初めて栄冠を手にしました。

チーム部門もニスモが2年連続。フェアレディZ投入初年度でのタイトル獲得でした。

全日本GT選手権 GT500 全優勝記録

Rdサーキットドライバーチームメーカー
マシン
タイヤ
19941富士影山正彦インパル
(ホシノレーシング)
日産
GT-R
B
19942仙台長谷見昌弘ハセミ日産
GT-R
B
19943富士A.リード
近藤真彦
タイサンポルシェ
962C
Y
19944SUGO土屋圭市
高橋国光
クニミツポルシェ
911RSR-T
Y
19945MINEO.ララウリ
太田哲也
タイサンフェラーリ
F40
Y
19951鈴鹿影山正彦インパル
(ホシノレーシング)
日産
GT-R
B
19952富士松田秀士
飯田薫
タイサンポルシェ
911GT2
Y
19953仙台M.クルム
関谷正徳
トムストヨタ
スープラ
B
19954富士長谷見昌弘ハセミ日産
GT-R
B
19955SUGOA.リードタイサンポルシェ
911GT2
Y
19956MINE松田秀士タイサンポルシェ
911GT2
B
19961鈴鹿R.シューマッハ
服部尚貴
ラークマクラーレンマクラーレン
F1 GTR
B
19962富士D.ブラバム
J.ニールセン
ラークマクラーレンマクラーレン
F1 GTR
B
19963仙台E.コマス
竹内浩典
セルモ
(トヨタカストロールチーム)
トヨタ
スープラ
B
19964富士星野一義
影山正彦
インパル日産
GT-R
B
19965SUGOR.シューマッハ
服部尚貴
ラークマクラーレンマクラーレン
F1 GTR
B
19966MINER.シューマッハ
服部尚貴
ラークマクラーレンマクラーレン
F1 GTR
B
19971鈴鹿鈴木亜久里
E.コマス
ニスモ日産
GT-R
B
19972富士影山正美
谷川達也
サードトヨタ
スープラ
Y
19973仙台M.クルム
P.デ・ラ・ロサ
トムス
(トヨタカストロールチーム)
トヨタ
スープラ
B
19974富士影山正美
谷川達也
サードトヨタ
スープラ
Y
19975MINEM.クルム
P.デ・ラ・ロサ
トムス
(トヨタカストロールチーム)
トヨタ
スープラ
B
19976SUGO田嶋栄一
M.グーセン
5ZIGENトヨタ
スープラ
D
19981鈴鹿E.コマス
影山正美
ニスモ日産
GT-R
B
19982富士
19983仙台E.コマス
影山正美
ニスモ日産
GT-R
B
19984富士山西康司
T.コロネル
ナカジマホンダ
NSX
B
19985もてぎ中子修
道上龍
無限ホンダ
NSX
B
19986MINE高橋国光
飯田章
クニミツホンダ
NSX
B
19987SUGO中子修
道上龍
無限ホンダ
NSX
B
19991鈴鹿脇阪寿一
金石勝智
童夢
(無限×童夢プロジェクト)
ホンダ
NSX
B
19992富士高橋国光
飯田章
クニミツホンダ
NSX
B
19993SUGO関谷正徳
黒澤琢弥
トムストヨタ
スープラ
M
19994MINEE.コマス
本山哲
ニスモ日産
GT-R
B
19995富士野田英樹
W.ガードナー
ルマントヨタ
スープラ
B
19996岡山(TI)T.コロネル
光貞秀俊
ナカジマホンダ
NSX
B
19997もてぎ関谷正徳
黒澤琢弥
トムストヨタ
スープラ
M
20001もてぎE.コマス
影山正美
ニスモ日産
GT-R
B
20002富士脇阪寿一
金石勝智
童夢
(無限×童夢プロジェクト)
ホンダ
NSX
B
20003SUGO伊藤大輔
D.シュワガー
ナカジマホンダ
NSX
B
20004富士鈴木亜久里
土屋圭市
ARTAホンダ
NSX
B
20005岡山(TI)竹内浩典
立川祐路
セルモトヨタ
スープラ
B
20006MINE星野一義
本山哲
インパル日産
GT-R
B
20007鈴鹿伊藤大輔
D.シュワガー
ナカジマホンダ
NSX
B
20011岡山(TI)道上龍
光貞秀俊
無限
(無限×童夢プロジェクト)
ホンダ
NSX
B
20012富士脇阪寿一
野田英樹
ルマントヨタ
スープラ
B
20013SUGO山路慎一
W.ガードナー
トムストヨタ
スープラ
M
20014富士M.クルム
田中哲也
ニスモ日産
GT-R
B
20015もてぎD.シュワガー
松田次生
ナカジマホンダ
NSX
B
20016鈴鹿土屋圭市
金石勝智
ARTAホンダ
NSX
B
20017MINE岡田秀樹
A.クート
TAKE ONEマクラーレン
F1 GTR
B
20021岡山(TI)松田次生
R.ファーマン
ナカジマホンダ
NSX
B
20022富士竹内浩典
立川祐路
セルモトヨタ
スープラ
B
20023SUGO脇阪寿一
飯田章
ルマントヨタ
スープラ
B
20024セパン松田次生
R.ファーマン
ナカジマホンダ
NSX
B
20025富士竹内浩典
立川祐路
セルモトヨタ
スープラ
B
20026もてぎS.フィリップス
R.ライアン
童夢
(無限×童夢プロジェクト)
ホンダ
NSX
B
20027MINE伊藤大輔
道上龍
無限
(無限×童夢プロジェクト)
ホンダ
NSX
B
20028鈴鹿松田次生
R.ファーマン
ナカジマホンダ
NSX
B
20031岡山(TI)脇阪寿一
飯田章
ルマントヨタ
スープラ
B
20032富士R.ライアン
影山正美
ニスモ日産
GT-R
B
20033SUGO脇阪寿一
飯田章
ルマントヨタ
スープラ
B
20034富士B.トレルイエ
井出有治
インパル日産
GT-R
B
20035富士道上龍
S.フィリップス
童夢ホンダ
NSX
B
20036もてぎ伊藤大輔
T.コロネル
童夢ホンダ
NSX
B
20037オーポリD.シュワガー
織戸学
サードトヨタ
スープラ
Y
20038鈴鹿B.トレルイエ
井出有治
インパル日産
GT-R
B
20041岡山(TI)本山哲
R.ライアン
ニスモ日産
フェアレディZ
B
20042SUGO立川祐路
荒聖治
セルモトヨタ
スープラ
B
20043セパンJ.デュフォア
A.クート
サードトヨタ
スープラ
B
20044十勝影山正美
M.クルム
ニスモ日産
フェアレディZ
B
20045もてぎ松田次生
A.ロッテラー
ナカジマホンダ
NSX
B
20046オーポリ本山哲
R.ライアン
ニスモ日産
フェアレディZ
B
20047鈴鹿B.トレルイエ
井出有治
インパル日産
フェアレディZ
B

最後に

1994年に始まった全日本GT選手権ですが、黎明期は日産スカイラインGT-R vs.チームタイサンのポルシェ、フェラーリという図式でした。

1996年には黒船ことマクラーレンF1 GTRが参戦し、瞬く間にシリーズを制します。

そして1997年にホンダが本格参戦を開始してからは、日産、トヨタ、ホンダの三大メーカーがGT500クラスで鎬を削る、現在のスーパーGTと同じ構図が確立するのでした。

ドライバーに目を移すと、鈴木亜久里選手や脇阪寿一選手、ミハエル・クルム選手など、現在はGT500チームで手腕を振う監督たちがドライバーとして参戦をしていました。

ということで、今回は全日本GT選手権の全優勝記録を振り返ってみましたが、最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。