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スーパーGTを撤退した8つのGT500チーム

全日本GT選手権から名称を変更し2005年からはじまった、国内で最も人気のあるカテゴリー、スーパーGT。

そのスーパーGT GT500クラスは現在13チーム15台が参戦していますが、過去に撤退したレーシングチームは8つあります。

撤退したチームの中にはシリーズチャンピオンを獲得した強豪チームや、名門と呼ばれメーカーと深い関係があると考えられていたチームも含まれています。

その8チームとはどんなチームだったのか・・・。

そこで今回は、そのチームが残した記録や足跡、撤退に至った経緯などとともに、その8チームを紹介してみます。

“スーパーGTを撤退した”GT500チームとして8つのチームを紹介していますが、中には現在もGT300クラスからスーパーGTに参戦をしているチームもあります。

チーム無限

2021年11月スーパーGT最終戦にて
メーカーホンダ
カーナンバー16
GT500活動期間1998-2003・2017-2022
実働12年
ドライバーズ
シリーズ最高位
1位(2000)
チームズ
シリーズ最高位
1位(2000・2002)

※ データは全日本GT選手権時代を含む
※1999-2002は無限×童夢プロジェクトとして無限と同チームとしてエントリー

2022年12月12日、ホンダウエルカムプラザ青山で行われた2023年のモータースポーツ活動計画が発表になりました。

この中でスーパーGT GT500クラスの体制も発表され、前年までの5チーム5台体制から4チーム5台体制に変更することを発表。4チームの中にチーム無限の名前はありませんでした。全日本GT選手権時代以来2回目の参戦休止になります。

ただ無限伝統のカーナンバー16はARTAによりそのまま使い続けられる(ARTAは8号車と2台体制)ことから、このマシンに無限が関わり続けることが予想されます。しかしあのレッドブルカラーのマシンが2023年からみられなくなるのはファンにとっては非常に残念に思います。

では、チーム無限のGT参戦の歴史について紹介します。

GT初参戦は全日本GT選手権時代の1998年。その翌年には童夢とタイアップして無限×童夢プロジェクトとして参戦し、2000年に初のチャンピオン(ドライバーズ及びチームズのWタイトル)を獲得し、2002年にもチームズタイトルに輝きました。

しかし2003年シーズン第5戦終了後にチームは童夢に引き継がれました。おそらく2003年7月の(株)無限代表本田博俊さんの税金問題が関係しているのではと思いますが、ここでは言及を避けたいと思います。

翌年から無限ブランドの独占使用契約を結んだ(株)M-TECのチームとして参戦。GT300にクラス変えを行います。

2005年はGT300クラスのシリーズ2位になり、同年にはGT500クラスに参戦するチームクニミツのメンテナンスと実質的なレース運営も担当。2006年からはGT300クラスからも撤退しますが、2012年第4戦からGT300クラスに復帰します。

2017年よりGT500に復帰したチーム無限のマシン
2017年スーパーGT第2戦にて

そして2017年からドラゴコルセ(後述)と入れ替わるカタチでGT500クラスに復帰し、2022年までの6シーズンを戦いました。

前述したとおりカーナンバー16が残ることから、無限がARTAのマシンと関わることが予想されますが、やっぱりスーパーGTから伝統ある無限の名前がないのは寂しい。近い将来にぜひ復帰してもらいたいと心より願っています。

チームルマン

メーカートヨタ
カーナンバー6
GT500活動期間1994-1997・1999-2019
実働21年
ドライバーズ
シリーズ最高位
1位(2002・2019)
チームズ
シリーズ最高位
2位(2002・2003・2016・2019)

※ データは全日本GT選手権時代を含む

2020年2月7日、トヨタの2020年スーパーGT GT500クラスの体制が発表されましたが、そこには名門チームルマンの名前はありませんでした。

前年2019年にスーパーGT GT500として初のドライバーズチャンピオンを獲得(全日本GT選手権時代にはチャンピオン経験あり)しただけに、ファンの間ではなぜ撤退するのか疑問の声が多く上がりましたが理由は不明。

レイナードやダラーラの国内総代理店として、元来フォーミュラ色の強いチームルマンでしたが、全日本GT選手権初年度の1994年から参戦。当時のマシンは300ZX(フェアレディZ)で、日産系のチームでした。

その後1999年よりトヨタ系としてスープラで参戦を開始し、トピックは2002年、脇阪寿一選手と飯田章選手のドライブで初のシリーズタイトルを獲得しました。

このESSOカラーのマシンは、ミスターGTと呼ばれる脇阪寿一選手を語る上で欠かせないマシンですね。

その脇阪選手は、ドライバーを勇退した翌年の2016年からチームルマンの監督としてチームに復帰し、当初は勝てないシーズンが続きましたが徐々にチームを立て直し、2019年に悲願のドライバーズタイトルを獲得したことは記憶に新しい。

先日ツイッターで、『トヨタ系GT500チームの中でどこを一番応援しているか』と質問してみたところ、トムスに次いで2番目に人気のチームでした。

そんな人気も実力もあるチームがなぜ撤退?2020年に念願だったカーナンバー1は見れないのか?とファンは嘆きますが、真意の程は我々ファンの耳には入ってきませんでした。

推測の域を脱しませんが、レース好きで知られるトヨタの豊田章男社長肝入りのチーム、ルーキーレーシングを参戦させるため、エントリー枠を譲ったのではないかとも言われています。

チームはその後、2020年に一ツ山レーシングと業務提携をしてGT300クラスに参戦。

2021年には本山哲の本山レーシングとタイアップし、同じくGT300クラスにエントリー。特に2021年は、カーナンバー6とエントラント名チームルマンが2年ぶりにスーパーGTに帰ってきました。

本山レーシングとのタイアップは2022年の開幕戦終了後に終了しましたが、その後もチームルマンはGT300チームとしてスーパーGTに参戦。個人的にはまたGT500クラスに戻ってきてもらいたい魅力的なチームだと思っています。

童夢

2012年11月 JAF GPにて
メーカーホンダ
カーナンバー18
GT500活動期間1997-2014
実働(JGTC含む)18年
ドライバーズ
シリーズ最高位
1位(2010)
チームズ
シリーズ最高位
1位(2010)

※ データは全日本GT選手権時代を含む
※1999-2002は無限×童夢プロジェクトとして無限と同チームとしてエントリー
※2005・2006はチームホンダレーシングとしてARTAと同チームとしてエントリー

日本のレーシングチームの中において、童夢は異色の存在です。それは童夢がスーパーGTでは数少ないコンストラクターだから。F1チームと同じなんです。童夢は我が日本において唯一風洞やカーボン技術を持ちマシンを一から製造できるレーシングコンストラクターです。

童夢は、スーパーGTのホンダNSXのマシンの開発を手掛けていることからも、他のチームとは異色の存在でした。

その童夢は、1997年にホンダの全日本GT選手権本格参戦とともに参戦を開始。

1999年から2002年は、ホンダのワークス的な存在と言ってもよい無限と同一チームで参戦をし、2005年と2006年はARTAとともにホンダレーシングとしてエントリーをしました。

そんな実績からもホンダと非常に近しい関係だったことが伺えます。

2010年には、ドライバーズチャンピオンとチームズチャンピオンの二冠に輝いたほどの実績を誇りますが、2014年を最後にスーパーGTを撤退。

理由はプレスリリースも無いため関係者しかわかりませんが、2012年に創業者の林みのるが社長退任し、2013年にはカーボン製造子会社と風洞設備の売却したことから、大きな事業転換が行われたのではないか、と私は推測します。

現在童夢は、創業者である林みのる氏の手から離れましたが、日本のFIA-F4マシンの製造を手掛け、一時トヨタの関連会社に譲渡した風洞施設も買い戻しました。

今後ふたたび日本が誇るレーシングコンストラクターのスーパーGT参戦を見てみたいと個人的には願っています。

GT500クラスを撤退したのはあと5チーム
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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。