1994年デビュードライバーの生涯成績
ドライバー | 出走 | PP | 優勝 | 表彰台 | FL | pts |
---|---|---|---|---|---|---|
P.アダムス | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
井上隆智穂 | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
D.クルサード | 247 | 12 | 13 | 62 | 18 | 535 |
M.サロ | 111 | 0 | 0 | 2 | 0 | 33 |
D.スキャッタレーラ | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
J=デニ・デルトラズ | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
野田英樹 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
O.パニス | 158 | 0 | 1 | 5 | 0 | 76 |
J.フェルスタッペン | 107 | 0 | 0 | 2 | 0 | 17 |
H=ハラルド・フレンツェン | 160 | 2 | 3 | 18 | 6 | 174 |
O.ベレッタ | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
A.モンテルミーニ | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
F.ラゴルス | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
R.ラッツェンバーガー | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
激動の1994年シーズンにF1にデビューした新人はなんと14人。その中でもっとも成績を残したのは、デビッド・クルサード。
彼はアイルトン・セナの後任としていきなりトップチームのウィリアムズからデビューすると、翌1995年に初優勝を遂げる。
1996年にその後黄金期を迎えるマクラーレンに移籍し、ミカ・ハッキネンとのコンビでマクラーレン時代に12回のグランプリに勝利し、チャンピオンは獲得できなかったが通算13勝をあげる名脇役だった。
同年にザウバーからデビューしたハインツ=ハラルド・フレンツェンも、クルサードと同じく名脇役だった。
中堅チームのザウバーで活躍後、当時のトップチームであるウィリアムズに移籍し、ジャック・ヴィルヌーヴの陰に隠れながらもサンマリノグランプリで初優勝をあげる。
1999年にはジョーダンに移籍すると、2勝をあげてチャンピオンシップ争いに加わる大活躍を見せた。
またこの年にリジェからデビューしたオリビエ・パニスも、1996年リジェ最後の年に混戦のモナコグランプリを制している。
1994年は、いぶし銀の名脇役ドライバーを輩出した年だった。
1995年デビュードライバーの生涯成績
ドライバー | 出走 | PP | 優勝 | 表彰台 | FL | pts |
---|---|---|---|---|---|---|
P.ディニス | 99 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 |
M.パピス | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
J=クリストフ・ブイヨン | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
J.マグヌッセン | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
J.ラバッジ | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1991年から1994年の4年間にデビューした新人はグランプリで優勝を記録したが、一転1995年デビュー組は活躍できなかった。
もっとも活躍したドライバーはF1界きってのペイドライバーだったペドロ・ディニス。
彼は6年間F1に参戦し99戦に出場したが、最高位は1997年のルクセンブルクグランプリでの5位と、活躍することはなかった。
1996年デビュードライバーの生涯成績
ドライバー | 出走 | PP | 優勝 | 表彰台 | FL | pts |
---|---|---|---|---|---|---|
J.ヴィルヌーヴ | 165 | 13 | 11 | 23 | 9 | 235 |
G.フィジケラ | 231 | 4 | 3 | 19 | 2 | 275 |
T.マルケス | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
R.ロセット | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1996年は往年の名ドライバーであるジル・ヴィルヌーヴの息子であるジャック・ヴィルヌーヴがデビューした年。
アメリカンオープンホイールの最高峰であったCARTチャンピオンの称号を引っさげて、チャンピオンチームのウィリアムズからF1にデビューすると、その年に4勝。
そして翌1997年にミハエル・シューマッハと激戦のシーズンを戦い、見事ワールドチャンピオンに輝いた。
また、ジャンカルロ・フィジケラも、この年にミナルディからF1にデビューしている。
彼は2003年に当時中堅チームだったジョーダンで、混戦のブラジルグランプリに勝利(2位フィニッシュ後順位訂正で優勝)する。
2005年にルノーでフェルナンド・アロンソのチームメイトに抜擢されると、移籍初戦で優勝。
チームは完全にアロンソ中心の体制だったため、その後は苦戦を強いられるが、翌2006年のマレーシアグランプリでも優勝を遂げている。
ということで、1996年デビュードライバーでは、ヴィルヌーヴとフィジケラがその後に活躍した。
1997年デビュードライバーの生涯成績
ドライバー | 出走 | PP | 優勝 | 表彰台 | FL | pts |
---|---|---|---|---|---|---|
A.ヴルツ | 69 | 0 | 0 | 3 | 1 | 45 |
R.シューマッハ | 181 | 6 | 6 | 27 | 8 | 329 |
V.ソスピリ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
J.トゥルーリ | 256 | 4 | 1 | 11 | 1 | 246.5 |
中野信治 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
N.フォンタナ | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1997年は、当時すでにF1界のスーパースターだったミハエル・シューマッハの弟であるラルフ・シューマッハがジョーダンからデビューした年。
その後1999年に当時トップチームだったウィリアムズに移籍するも、当時は兄ミハエルの全盛時代だったため厳しいレースが続いたが、それでも所属6年間で6勝をあげる。
そして2005年からトヨタに移籍した。
またこの年は片山右京現役最終年のチームメイトとして、ミナルディからヤルノ・トゥルーリもデビューしている。
彼は2004年のモナコグランプリでポールトゥーフィニッシュをして、グランプリ唯一の勝利を獲得した。
この頃は、後にチャンピオンになるチームメイトのフェルナンド・アロンソと互角以上の成績だったが、ルノーの地元であるフランスグランプリ最終周で失態を演じ、チームの信頼を失い放出。
その後はトヨタにて参戦した。
次のページでは、1998年以降にデビューしたドライバーの生涯成績を紹介し、最後は1990年代デビュードライバーを総括します。
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