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1戦限りの特別カラーF1マシン10選

2005年中国GP B・A・R

出典:https://jp.motorsport.com/f1/news/f1-rare-liveries-top10/4560937/

2005年中国グランプリといえばホンダの第3期F1活動の中心的チーム、B・A・Rの最後のレースだ。

そして同チームで活躍した佐藤琢磨にとってもこのレースがB・A・Rの最後のレースだった。

この中国グランプリで、B・A・Rはスペシャルカラーのマシンを登場させた。

ただこのスペシャルカラーは、B・A・R最終レースのためでもなければ佐藤琢磨のためでもない。

B・A・Rのタイトルスポンサーといえば、チームの親会社BATのブランド、ラッキーストライクだが、開催地中国ではラッキーストライクが販売されていない。

そこで中国で販売されているBATのブランド、555をマシンに掲げた。

ちなみに前年2004年中国グランプリ初開催の時は、2台のレースカーには通常のラッキーストライクカラーを施していたが、サードカーを青地に黄色の本格的な555カラーで走らせている。
※当時はFP1でサードカーを走らせることができた

2つのカラーリング

じつはB・A・Rが555のカラーリングでF1に参戦したのは、上記のレースだけではない。

参戦初年度の1999年1月に行われた新車発表会で、チームは2台のマシンそれぞれに別のカラーリングを施して公開した。

1台はラッキーストライクから、そしてもう1台には555カラー。

しかしF1は、2台のマシンに異なるカラーリングをしてはならないというルールがあった。

だがB・A・Rは2つのブランドを宣伝したいため、その権利を主張してFIAに対して訴訟を起こすが断念。

そこでチームはマシンの左半分を赤白のラッキーストライクに、そして右半分を青地に黄色の555カラーで塗り分け、その中央部分にファスターを描いた。

左から見るとラッキーストライクカラー、そして右から見ると555カラーと、まったく別のマシンに見えたため、F1に詳しくないファンは混乱をする者もあったという。

そんな奇抜なカラーリングに賛否の声があり、翌2000年からは単一のラッキーストライクカラーで参戦するのだった。

2008年ブラジルGP レッドブル

出典:https://f1-gate.com/redbull/f1_2206.html

2008年ブラジルグランプリ。

レッドブルはこのレースでF1を引退するデビッド・クルサードのマシンに、骨髄損傷治療研究の非営利団体『WINGS for LIFE』の特別カラーリングに塗装して出場した。

通常、紺色ベースのレッドブルのマシンだが、この時はその紺色の場所がホワイトになり、エンジンカウルのレッドブルのロゴはWINGS for LIFEの文字に置き換えられた。

チームの2台は同様のカラーリングを施さなければならないとレギュレーションで定められているが、このレースではチームメイトのウェバーのマシンは通常カラーだった。

しかしこの時はチャリティーが目的のため、他チームも同意した。

レッドブルは2007年と2012年のイギリスグランプリでも、『WINGS for LIFE』のスペシャルカラーで走らせている。

2018年アブダビGP マクラーレン

2018年の最終戦アブダビグランプリでは、マクラーレンがスペシャルカラーのマシンを登場させている。

この年、2回のチャンピオンを獲得したフェルナンド・アロンソが、アブダビグランプリを最後に引退するが、マクラーレンは彼のF1での数々の栄冠に敬意を払い、エンジンカウルにアロンソのヘルメットカラーを模したカラーリングを施し、引退に華を添えている。
※2021年にアルピーヌからF1に復帰

ただ穿った見方をすると、通常F1マシンはこのエンジンカウルに大きくタイトルスポンサーのロゴが入る。

しかし当時のマクラーレンはタイトルスポンサーがなく、この場所をチームが自由に使えたら、このようなスペシャルカラーが実現したのかもしれない。無論、私の憶測だが・・・。

次のページでは近年のスペシャルカラーF1マシンを3台紹介します!

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。