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【其ノ四】東海道五十三次を歩く(神奈川宿→保土ヶ谷宿)

今回は東海道五十三次踏破の旅の続きです。

前回は川崎宿から神奈川宿まで歩いてきました。

そして今回(2025年11月2日)は神奈川宿から保土ヶ谷宿を経由して、その先の戸塚宿を目指します。

まあ、距離にすると三里十八町で実測14.4km(寄り道をするのでもっと伸びるはず)なので、たいした長さではありませんが、保土ヶ谷宿を過ぎるとあの有名な権太坂があるので、少しだけ心配です。

ということで、今回も静岡発の最初のひかり号で新横浜駅へ行き、横浜線で東神奈川駅で下車。

そして8時30分に前回の到達点である、神奈川二丁目交差点にやってきました。

では、本日の午前中の行程である保土ヶ谷宿に向けて出発です。

復元高札場

今回も旧東海道の国道15号線を歩きます。

そして、まいばすけっと(首都圏ではこの店舗が実に多い)の交差点を右折して、本日最初の目的地に寄り道です。

こちらは高札場。高札場とは、江戸時代に幕府や領主が、法令や通達を民衆に知らせるために、木札に書いて掲げた場所です。

実際にはこの先の神奈川警察署の西側にあったそうですが、こちら神奈川地区センターの一角に復元したようです。

こんな立派な高札場は初めて見ました。

成仏寺

そのすぐ先には成仏寺があります。

こちらは、shi=し、tsu=つ、など、ヘボン式ローマ字を広めた、アメリカ人宣教師で医師のヘボンさんの宿舎として使われたお寺。

今、この記事もhebonshiki ro-maji de kaiteimasu。

なお、この場所で日本初の和英辞典を編集したそうです。

ここから旧東海道に戻ってもいいのですが、全線踏破が目的なので、先ほどの高札場を見ながら元来た道を戻り、旧東海道に戻ります。

変な拘りだと言ってやってください・・・。

神奈川町本陣跡

神奈川警察を過ぎてすぐの場所にあったのが、石井源左衛門が務めた神奈川町本陣の跡地。

歩道に説明書きがあるので分かりやすいです。

そして滝の橋を渡り、すぐの交差点を横断して国道15号線の向こう側に渡ります。

青木町本陣跡

こちらが先ほどの説明が気にもあった神奈川宿のもうひとつの本陣、青木町本陣があった場所です。

鈴木源太左衛門が務めた青木町本陣は現在立派なマンションになっていました。

ここからふたたび写真前方の歩道橋を渡り右側の歩道へ。

この先が横浜駅ということで、片側4車線の国道に見上げると首都高速で、周りには超高層のビルヂングと、まさに都会の風景。静岡の田舎者には似つかわしくない場所です・・・。

いや、都会にもこんなほっこりした壁画があり、田舎者はちょっと安心。

あの方向に歩道橋を下り、

右手の宮前商店街の看板をくぐります。

州﨑大神

宮前商店街に入るとすぐにあるのが州﨑大神。

こちらの神社の創建はなんと建久二年(1191年)!で、源頼朝が安房神社の御分霊を祀ったのが始まりとのこと。

江戸時代よりずっと前、頼朝さんの名前が出るとはびっくりです。

なお、この鳥居の前は神奈川湊だったそうです・・・。

甚行寺

横浜港開港以来多くの外国人がやってきて、公使館の建設が間に合わず、横浜の寺院を公使館にしたとのこと。

前回紹介した長延寺はオランダ領事館でしたが、こちら甚行寺はフランス公使館に充てられたそうです。

甚行寺の先で宮前商店街の看板をくぐって右に曲がり、日本橋以来の国道1号線に合流します。

そして青木橋で東海道本線と京急本線の上を跨ぎ、今度は正面の階段を登り次の目的地へ。

本覚寺

坂を登って着いたのが嘉禄二年(1226年)創建の本覚寺です。

前回紹介した生麦事件で殺害されたリチャードソンの遺体がこちらに運び込まれ、検視後、先ほど紹介したヘボン医師が斬口を縫合したそうです。

そんな本覚寺は横浜港開港後、アメリカ領事館に充てられたそうです。

山門の外はご覧の通り横浜のビル群が広がりますが、こちら本覚寺は都会の中のオアシスといった感じでした。

先ほどは写真の上から来たわけですが、横断歩道を渡り、旧東海道は二本目の角、

こちらを右折します。

曲がった先はこんな感じの街道に続きます。

東横フラワー緑道

すぐにある歩道が東横フラワー緑道。

こちらは元々東急東横線があった場所ですが、平成十六年に地下化され、その後は歩行者専用道路に姿を変えたそうです。

すぐ先には六時から二十一時半まで通行可能な高島山トンネルがあり、休日の午前中でしたが多くの方が利用していました。

説明書きもあり、鉄道ファンが楽しめる場所です。

大綱金刀比羅神社と神奈川の一里塚跡

東急フラワー緑道のすぐ先にあるのが大綱金刀比羅神社。

階段脇には趣のある木造家屋があり、境内にはご覧の通り、迫力ある木彫りの天狗がおられました。

また、この参道口には神奈川の一里塚があったそうです。

江戸日本橋から七里目(28km)ですが、寄り道ばかりの旅なので、間違いなく1.5倍は歩いています・・・。

ここから江戸日本橋を出発してから初めての坂道になります。

田中屋

その坂道の途中にあったのがいかにも高級そうな料亭がありました。

こちらが田中屋。

田中屋の前身はさくらやという屋号で、文久三年(1863年)に創業しました。

幕末の文久三年(1963年)に田中屋初代がさくらやを買い取り、以来江戸時代から現在まで営業を続けている貴重な老舗料亭なのです。

店舗の前には説明書きがあり、それによるとさくらやは、なんと広重の東海道五十三次の神奈川宿の浮世絵にも描かれており、さらに田中屋になってからは勝海舟の紹介で坂本龍馬の妻おりょうが働いていたことでも有名だったそうです。

私など庶民では一生食すことはできない料亭ですが、遠くから拝むのだけはただなので、じっくりと見させてもらいました。

横浜は小高い山が多く、旧東海道の近くにも山がせせり出ていて、そんな斜面に無理矢理マンションを建てると、こんななるのですね。

神奈川台関門跡

横浜港開港以来、ここまでに何度も見た関門番所ですが、こちらも幕末の関門番所跡です。

実際にはここよりやや西寄りにあったそうです。

関門は明治四年に廃止されました。

神奈川台関門跡の先で坂道は終わり、ここからは下り坂になります。

上台橋

そして坂道を下った先に見えるのが上台橋。

現在は陸橋になっているこの橋が、神奈川宿の京口(西口)だった場所になります。

随分と歩いてきましたが、神奈川宿の長さにびっくり。

橋の袂には神奈川宿の歴史を紹介する説明書きがありました。

上台橋の先は旧東海道らしい雰囲気の道が続きます。

そしてセブンイレブンの先で左右とシケイン状に曲がり、

西口ランプ入口で環状1号線に合流します。

そして浅間下の交差点を渡るのですが、2025年11月の時点では歩道橋が工事のため立ち入り禁止になっていました。

ということで、横断歩道を渡り反対側へ。

そしてあちらに見える浅間下公園を斜めに横断するのが旧東海道。

この公衆トイレ脇の入り口から公園に入り斜めに進みます。

公園を抜けたらあちらに見える道が旧東海道になります。

浅間神社

公園を抜けるとすぐに見えてきたのが芝生村の鎮守浅間神社。

参道を登り赤鳥居をくぐり、

我が静岡市の浅間神社と同じような造りの本殿でお参りを済ませます。

境内の崖には、富士山麓に通じるという伝説の、『人穴』と呼ばれる古代の横穴墓があったそうで、東海道を往来する人々が見物する名所でしたが、現在は周辺の開発によって見ることができなくなったそうです。

いやー、見たかったのに残念です。

浅間神社の先はご覧のような道を歩きます。

足元には旧東海道を示す銘板があり分かりやすい。

ここまで地域により旧東海道の道しるべは様々ですが、どれも分かりやすくありがたいです。

芝生追分

しばらく歩くと、芝生追分に。

今はなんてことないT字路ですが、右手は幕末の横浜開港以降に八王子から横浜に絹が運ばれ、絹の道と呼ばれた道で、旧東海道との有名な追分だったそうです。

松原商店街

芝生追分を過ぎるとすぐに松原商店街の看板をくぐります。

インターネットの普及でシャッター街化する商店街が多い中、松原商店街は今でも多くの買い物客がいて、生鮮食品を中心とした商品は道にまで張り出し、昭和の活気が残っていました。

江戸方見附跡

その松原通商店街を抜けると、こちらが保土ヶ谷宿の江戸口(東口)があった場所。

説明板によると土塁が築かれ、竹矢来が組まれていたようですが、今は駐車場になっていました。

こちらが保土ヶ谷宿があった街道。真っ直ぐの道が気持ちいいです。

帷子橋を渡ると、

正面に相模鉄道の天王町駅が見えてきました。

相模鉄道本線のガードをくぐり、

その先の雰囲気の良い公園(天王町駅前公園)で一服します。

ちなみにこの公園にある橋は、先ほど渡ってきた帷子橋を、当時風に復元したもので、江戸時代はこの場所を帷子川が流れていたそうです。

旅の持ち物紹介

ここでちょっと旅の持ち物を紹介してみます。

今回の旅を開始するにあたり小ぶりなリュックが欲しいと思い、イタリアのマンフロット製のカメラリュックを購入しました。

少々値の張るリュックですが、肩ベルトにしっかりスポンジが入っているので肩に掛かる負担が少なくいい感じ。長旅にはいいものが必須です。

カメラ室の赤いアクセントもおしゃれでしょ?

撮影するライカM11は首に下げっぱなしで、ここに収納するのは宿場までと目的地に到着して以降になります。

ライカM11に装着するレンズは現行ズミクロンM 35mmの一本勝負。

本来ならばズームレンズの方がいいのですが、個人的にライカM11+ズミクロンM 35mmの描写がこの旅には最適だと思い、これだけで乗り切るつもりです。

まあ、本当のことを言うと、24mmくらいの広角がベストなのですが・・・。

その横にある白いものは、単3乾電池で使えるモバイルバッテリー。

Googleマップを多用したり、カメラで撮影しまくったりと、この旅はiPhoneとカメラの電池消耗が激しく、一日持たないんです。

なので、本来は大容量のモバイルバッテリーが必要ですが、今度は重くなるので、こちらで我慢しています。

上の荷物室には飲み物とおむすび、薄手のジャンパー、ガイド本、財布を入れています。

ガイド本は『ちゃんと歩ける東海道五十三次』と、『決定版東海道五十三次ガイド』の二冊で、出発前はもちろんのこと、行きの新幹線の中でもしっかりと予習しています。

特に『ちゃんと歩ける東海道五十三次』はとても参考になり、前回もそうでしたが、今回もこの後、数人の同業者と遭遇するのですが、ほとんどの方がこの本を片手に持っていました。

Amazonリンクを貼っておきますので、ご参考にどうぞ。

歩みの記録

そして天王町駅前公園からしばらく歩くと、西口商店街の入り口へ。

この辺りが保土ヶ谷宿の中心地ということで、まずは午前中の部が終了です。

では、いつものようにApple Watchのフィットネスアプリを使い、神奈川宿から保土ヶ谷宿の旅の記録を見ていきましょう。

神奈川宿から保土ヶ谷宿までは、これまでよりも道を曲がる箇所が多かったのですが、特に間違えることなく進むことができました。

ただ、まだ横浜市を抜けることはできず、三条大橋は遥か彼方です。

8時35分に神奈川宿を出発し、保土ヶ谷宿に着いたのが11時過ぎ。

神奈川宿から保土ヶ谷宿までの距離は一里九町で実測では5.1kmと短いのですが、今回もたくさん寄り道をした結果7km近くも歩き、2時間35分もかかってしまいました。

まあ、先を急ぐ旅でもないので、これからもしっかりと楽しみながら足を進めて参ります。

ということで今回は以上。次は、この日の午後に歩いた保土ヶ谷宿から戸塚宿までの道のりを紹介していますので、よかったら下のバナーからご覧ください。

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4件のコメント

行けども行けども大都会の街の風景が続くのですね。当たり前と言えば当たり前なんでしょうが・・・。私の住む田舎では、大昔の街道としての雰囲気が残っているところも多々あります。それにしても、街中を歩かれるのは大変でしょうね。お気をつけて・・・。☺️

asamoyosiさん、いつもコメントありがとうございます。励みになります。

今回も大都会でしたが、街道の雰囲気が少しずつ出てきました。

今後、asamoyosiの地元のような街道の雰囲気がさらに出てくることを楽しみに、歩き続けたいと思います。

所々で外国との接点を感じる旅ですね。やはり東京や横浜は国外との窓口だったのでしょうね。
「同じ道を戻ってでも東海道のすべてを歩く」お気持ちわかるような気がします。
ご安全に頑張ってください。応援しています。

gentlestreetriderさん、応援していただきありがとうございます。励みになります。

おっしゃる通り、幕末の横浜は国外との窓口なのだということを、歩いてみて再認しました。

旧東海道は分断された場所もありますが、通れるところは必ず通る、という変なこだわりのもとにやっています。わかってくれてありがとうございます。

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ABOUT US
大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。