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マクラーレンMP4/7A ホンダ第2期最後のエンジンを搭載したマシン【ミニカー#92】

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はマクラーレンが1992年のF1に参戦するために開発した、マクラーレンMP4/7Aを取り上げていこうと思う。

マシンデータと戦績

まずはマクラーレンMP4/7Aの主要諸元をチェック。

年式1992年
カテゴリーF1
コンストラクターマクラーレン
マシン名MP4/7A
デザイナーニール・オートレイ
アンリ・デュラン
エンジンホンダRA122E
ホンダRA122E/B
主要諸元表

つづいてマクラーレンMP4/7Aの戦績を見てみる。

コンストラクターセナベルガー
シーズン順位2位4位5位
シーズンポイント99P50P49P
優勝5回3回2回
表彰台12回7回5回
ポールポジション1回1回0回
ファステストラップ3回1回2回
戦績表
※第1戦および第2戦はMP4/6Bでの成績

マクラーレン初のメス型モノコック成形

マクラーレンMP4/7Aの見た目の印象は、それまでのMP4シリーズとは一線を画していた。

それもそのはずで、それまでのマクラーレンMP4シリーズは、カーボンモノコックにアッパーカウルを被せる、いわゆるオス型のモノコック成型を採用してきたが、このMP4/7Aからは現在のF1マシン同様にメス型モノコック成型を初採用している。

そのためノーズもかなりスリムになり、控えめながらもハイノーズ化されているのが特徴だ。

ちなみに当マシンの名称がマクラーレンMP4/7ではなくMP4/7Aになったのは、当初よりシーズン途中でアクティブサスペンションが搭載されたBスペックのマシンの登場が予定されていたから。
※イタリアグランプリのフリー走行でのみアクティブサスペンションを試している

しかし熟成に手間取り、結局アクティブサスの投入は翌年のMP4/8に持ち越され、MP4/7Bの登場はなかったため、名称はシーズン途中からMP4/7に変更されている。

シーズンは開幕戦からナイジェル・マンセルのウィリアムズルノーが圧倒的に強く、前年にアイルトン・セナが記録した開幕4連勝を更新する開幕5連勝を記録する。

そして迎えた第6戦モナコグランプリ。

このレースもポールポジションからスタートしたマンセルが一人旅を敢行するが、残り8周で左リヤタイヤの異変を感じ緊急ピットインし、その間にセナが一躍トップに浮上する。

タイヤを交換しフレッシュタイヤで猛追するマンセルは、残り3周でセナの背後に追いつき、マシンを左右に振って追い抜きを仕掛けるがセナの巧みなブロックで抜けない。

極限の中で、何度もマシンが重なり合うが、そこは名うての名ドライバーふたり。

結局セナがギリギリのところで逃げ切り、シーズン初勝利をあげた。

しかしマクラーレンMP4/7Aのハイライトはこのレースのみで、セナはドライバーズランキングでマンセルの両雄であるリカルド・パトレーゼだけでなく、ミハエル・シューマッハにも敗れる4位、セナのチームメイトであるゲルハルト・ベルガーは5位でシーズンを終えた。

1988年からマクラーレン、そしてセナとタッグを組んで以来、4シーズン連続してWタイトルを獲得してきたホンダだが、このように1992年シーズンはウィリアムズルノーにまったく歯が立たず、マクラーレンとセナとの5年連続のWタイトルは獲得できずに、この年を最後にホンダは第2期F1活動を終了しF1を去った。

では、そのマクラーレンMP4/7Aのミニカーを詳しく見ていこう。

マクラーレンMP4/7Aのミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のマクラーレンMP4/7Aを撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

メス型モノコック成形で従来のMP4シリーズに比べて極端に細くなったマクラーレンMP4/7A。

カーナンバー2は、長年セナのチームメイトを務めたベルガーのマシンだ。

このデアゴスティーニのミニカーは、価格が安いためにある程度の個体差がある。

特に気になるのが、前後のウイングやデカールの歪み。

今回のマクラーレンMP4/7Aは、ご覧のとおりリヤウイングに関してはしっかりと水平が取られていていい感じだったのだが、フロントウイングが斜めに取り付けられていたのが残念だった。

高価な商品ならば販売元に相談することも考える(したことはない)が、まあこの商品は価格のことを考えたら致し方ないのかもしれないが・・・。

このシリーズでは何度も書いているが、ミニカーでもタバコ広告の規制があり今回の商品もMarlboroのデカールではない。

ただしこのデアゴスティーニF1マシンコレクションシリーズで先に発売している、マクラーレンMP4/2BMP4/4MP4/5BMP4/8が、まったく何もロゴがないのに対して、今回のマクラーレンMP4/7Aには実際のタバコ広告規制のグランプリと同様に『McLaren』のロゴが入っているのがせめてもの救いだ。

前年型のマクラーレンMP4/6まではオス型モノコック成形でそのモノコックにカウルを被せるタイプだったが、このMP4/7Aからはメス型モノコック成形で、モノコックが表面にあらわになっている。

そのためMP4/6までは、カウル下部のモノコックが見えていた部分(フロントサスペンションの結合部分周辺)に塗装がなされていなかったが、このMP4/7Aからはマシン下部までしっかりホワイトと蛍光レッドで塗装がされている。

マシン前部は完全オリジナルのマクラーレンMP4/7Aだが、マシン後半上部のインダクションボックスのシルエットだけは、前年型のMP4/6を踏襲している。

マクラーレンMP4/7Aをスターティンググリッドに移動する。

前年までセナの一発の速さで多くのポールポジションを獲得してきたマクラーレンだが、この年のポールポジションは第7戦のカナダグランプリ、モントリオールサーキットで獲得した1度のみで、それ以外はすべて後方に写るハイテク装備満載のウィリアムズFW14Bを駆るマンセルが獲得した。

そんなハイテク装備満載のウィリアムズFW14Bに完敗したマクラーレンMP4/7A。

ただウィリアムズに追随して、マクラーレンはこのマシンからセミオートマチックトランスミッションを採用する。

またエンジンのスロットル制御は、機械式から電気式のドライブ・バイ・ワイヤに変更になっている。

前述したとおりインダクションボックスのシルエットだけはマクラーレンMP4/6を踏襲しているが、サイドポンツーンからカウル後半部の形状はかなりコンパクトになっている。

そのマシンのスリム化には、ホンダ製V12エンジンRA122Eがかなり寄与している。

オイルポンプなどの補記類をすべてエンジン前半部に配置し、エキゾーストマニホールドの拡幅を防ぎ、またテールパイプをエンジン付近に配置することで排気系レイアウトをコンパクトにした。

以上、1/43のマクラーレンMP4/7Aを実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【ixo製】マクラーレンMP4/7A

デアゴスティーニのF1マシンコレクションの111号で、イタリアのixoが製製を担当している。

【ixo製】ウィリアムズFW14B

こちらもデアゴスティーニのF1マシンコレクションの7号でixo製。

今回の撮影機材

今回ミニカーを撮影したカメラ機材を紹介する。

カメラキヤノンEOS R5
レンズキヤノンRF35mm F1.8 IS STM
スピードライトキヤノン430EX Ⅱ
三脚ベルボンEX-Macro
撮影機材

最後に

ホンダコレクションホールにて

最後はホンダ第2期F1活動について。

ホンダ第1期F1活動はマシンとエンジン両方を製造する、いわゆるフルコンストラクターだったが、第2期はエンジンのみを供給しての参戦だった。

1983年のイギリスグランプリから、F2でタッグを組んでいたスピリットとともにF1に進出すると、その年の最終戦である南アフリカグランプリからウィリアムズに供給先を変更する。

翌1984年のアメリカグランプリで早くも復帰後初優勝を遂げるが、信頼性の上がらないエンジンに手を焼き、この年は2台で21回のリタイヤを喫する。

1985年から徐々にその性能が上がり4勝を記録。

そして迎えた1986年、マンセルとピケのコンビで9勝を挙げ、初のコンストラクターズチャンピオンをウィリアムズにもたらした。

1987年は信頼性の上昇して前年からのコンストラクターズタイトルに加えて、初のドライバーズチャンをピケにもたらした。

ちなみにこの1987年からロータスにもエンジンを供給しており、イギリスグランプリではホンダエンジンの1-2-3-4を達成している。

マクラーレンとのタッグは1988年から。

この年は当時考えられる最強のドライバー(セナ・プロスト)・マシン(MP4/4)・エンジン(ホンダ)により、全16戦中15勝を達成し、勝率.937は現在でもF1史上最高記録として君臨している。

強すぎるホンダエンジンに歯止めをかけるため、1989年からF1はターボを禁止してNAエンジンのみとなる。

しかしNAエンジンになってもホンダの強さは相変わらずで、1989年から1991年までマクラーレンとともにWタイトルを更新するが、今回取り上げた1992年にその連覇記録は途絶えることとなった。

このようにホンダ第2期は、F1に大きな一時代を築き上げたのであった。

エンジン供給先最高シーズン順位
(ドライバー/コンスト)
1983RA163Eスピリット
ウィリアムズ
1984RA163E
RA164E
ウィリアムズ8位/6位
1985RA164E
RA165E
ウィリアムズ3位/3位
1986RA166Eウィリアムズ2位/1位
1987RA167Eウィリアムズ
ロータス
1位/1位
1988RA168Eマクラーレン
ロータス
1位/1位
1989RA109Eマクラーレン1位/1位
1990RA100Eマクラーレン1位/1位
1991RA121E
RA101E
マクラーレン
ティレル
1位/1位
1992RA122Eマクラーレン4位/2位

以上、今回は1/43のマクラーレンMP4/7Aを実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。