人気記事:『ミニカーで振り返るF1マシン』シリーズ

スーパーGT GT500にタイヤを供給するヨコハマの参戦遍歴

スーパーGTは近年のモータースポーツシリーズでは非常に珍しく、タイヤメーカーのワンメイク化がなされていない。

そのため、2021年現在スーパーGTの最上位クラスであるGT500には、ブリヂストン、ミシュラン、ヨコハマ、ダンロップの4つのタイヤメーカーが凌ぎを削っている。

タイヤメーカーの規模とモータースポーツでの実績から見ると、ブリヂストンとミシュランが抜きに出ており、スーパーGT GT500クラスでもこの両メーカーが勝利を量産している。

その巨大メーカーであるブリヂストンとミシュランに、果敢に挑戦するメーカーがヨコハマだ。

ヨコハマは古くからモータースポーツを積極的に支援しており、GT300クラスでは29チーム中なんと19チームが使用している(2021年シーズン)ことからも分かるとおり、ヨコハマはGT300クラスではトップブランドだが、GT500クラスではブリヂストン、ミシュランに次ぐ第3銘柄。

だがヨコハマは温度や湿度をスポットで狙った、かなり攻めたタイヤを持ち込むことが多く、その戦略がハマったら手をつけられないほどの強さを発揮する・・・まあ、ごく稀にだけど・・・。

そんな姿がファンに受け入れられるのか、日本のモータースポーツファンはヨコハマファンが多い。

さて、2005年からはじまったスーパーGT GT500クラスで、そのヨコハマタイヤを使用したのはどこのチームだったのか?そしてヨコハマ勢でもっとも成績をあげたチームはどこか?

ということで、今回はスーパーGT GT500クラスにタイヤを供給するヨコハマタイヤにスポットを当ててみた。

GT500クラス年度別ヨコハマタイヤ使用チーム

まずはスーパーGTがスタートした2005年から2021年までの、ヨコハマタイヤ使用チームの推移を見ていこう。

トヨタ勢日産勢ホンダ勢その他
2005つちやJLOC
2006つちやKONDO
2007つちやKONDO
2008つちやKONDO
2009KONDO NOVA
2010KONDO
2011バンドウKONDO
2012バンドウKONDO
2013バンドウKONDO
2014バンドウKONDO
2015バンドウKONDO
2016バンドウKONDO
2017バンドウKONDO無限
2018バンドウKONDO無限
2019バンドウKONDO無限
2020バンドウKONDO無限
2021バンドウKONDO

全日本GT選手権の黎明期には多くのチームがヨコハマタイヤを装着していたが、シリーズがメジャーになっていくのと反比例してヨコハマ勢は数を減らす。

そしてスーパーGTに名称を変えた2005年には、使用チームがトヨタ勢のつちやエンジニアリングとムルシエラゴを使用するJLOCの2チームのみで、JLOCが最終戦を前にしてGT300クラスに変更したため、最後はつちやエンジニアリングの1チームのみだった。

2006年のKONDOレーシングZ
画像提供:Mさん

2006年より近藤真彦監督率いる日産勢のKONDOレーシングがスーパーGTに参戦を開始し、タイヤはヨコハマと提携をした。

この2006年から2008年は、トヨタ(レクサス)勢のつちやエンジニアリングと、日産勢のKONDOレーシングの2チームがヨコハマタイヤの供給を受けていたが、2008年シーズンを最後につちやエンジニアリングがスーパーGTを撤退する。

2009年に、一ツ山レーシングとノバエンジニアリングのコラボレーションによりアストンマーティンDBR9がGT500クラスにエントリーすると、ヨコハマタイヤと供給契約を結ぶ。

しかしこのノバによるアストンマーティンのスーパーGT GT500参戦は、あくまでアジアンル・マンシリーズを見据えた予行演習だったため、2009年シーズンの第1戦、第3戦、第7戦のみ参戦し、翌2010年シーズン以降は出場していない。

2012年のバンドウSC430 JAF GPにて

ノバの撤退により、2010年シーズンにヨコハマタイヤを使用したのはKONDOレーシングの1チームのみだったが、2011年シーズンからレーシングプロジェクトバンドウがGT500クラスに昇格しヨコハマ陣営に加わる。

バンドウはGT300時代から長くヨコハマを使用していたチームで、GT500でもその契約が継続し、以降ヨコハマ陣営はKONDOレーシングとレーシングプロジェクトバンドウの2台体制で参戦した。

2017年の無限NSX スーパーGT第2戦にて

そして2017年よりチーム無限がGT500クラスに参戦しヨコハマを使用。

これで、GT500クラスに参戦する3メーカーすべてにヨコハマタイヤ使用チームが存在することになり、以降KONDOレーシング、レーシングプロジェクトバンドウ、チーム無限が、ヨコハマタイヤ勢として凌ぎを削ることになるのであった。

だが2021年よりチーム無限はダンロップにスイッチし、ヨコハマ勢はKONDOレーシング、レーシングプロジェクトバンドウの2チーム体制になった。

GT500クラスでのヨコハマタイヤの成績

次に2005年以降のヨコハマタイヤの成績について掘り下げていく。

まずはヨコハマが優勝した全レースを表にしてみた。

Rdサーキットドライバーチーム
20051岡山国際サーキット織戸学
D.シュアガー
つちや
20074セパンサーキット荒聖治
J.P.デ・オリベイラ
KONDO
20084セパンサーキット荒聖治
J.P.デ・オリベイラ
KONDO
20091岡山国際サーキット荒聖治
J.P.デ・オリベイラ
KONDO
20101鈴鹿サーキット安田裕信
J.P.デ・オリベイラ
KONDO
20167チャーンサーキット関口雄飛
国本雄資
バンドウ
20154富士スピードウェイ佐々木大樹
M.クルム
KONDO
20163ツインリンクもてぎ(代替戦)柳田真孝
佐々木大樹
KONDO
20164スポーツランドSUGO柳田真孝
佐々木大樹
KONDO
ヨコハマタイヤ優勝一覧
※2021年8月現在

ヨコハマの勝利数は9回で、ブリヂストンの102勝、ミシュランの20勝に大きく水をあけられている。

タイヤメーカー別勝利数

ブリヂストン・・・102勝

ミシュラン・・・20勝

ヨコハマ・・・9勝

ダンロップ・・・4勝

※2021年8月現在

サーキット別に見ると、岡山国際サーキットとセパンインターナショナルで2勝、後は鈴鹿サーキット、チャーンサーキット、富士スピードウェイ、ツインリンクもてぎ、スポーツランドSUGOでそれぞれ1勝という成績で、年間に複数回行われる富士スピードウェイや鈴鹿サーキットよりも、その他のサーキット、特に海外のレースで3回の優勝を記録していることからも、ヨコハマタイヤは暑さに強い傾向がある。

ヨコハマタイヤサーキット別勝利数
  • 岡山国際サーキット・・・2勝
  • セパンインターナショナル・・・2勝
  • 鈴鹿サーキット・・・1勝
  • チャーンサーキット・・・1勝
  • 富士スピードウェイ・・・1勝
  • ツインリンクもてぎ・・・1勝
  • スポーツランドSUGO・・・1勝

※2021年8月現在

チーム別ではKONDOレーシングが7勝ともっとも勝ち星を稼いでおり、つちやエンジニアリングとレーシングプロジェクトバンドウがそれぞれ1勝と続く。

2006年以降現在までヨコハマタイヤ一筋のKONDOレーシングは、GT500クラスでのヨコハマ勢のNo.1チームと言えるだろう。

ヨコハマタイヤチーム別勝利数
  • KONDOレーシング・・・7勝
  • つちやエンジニアリング・・・1勝
  • レーシングプロジェクトバンドウ・・・1勝

※2021年8月現在

しかしチーム無限が加わった2017年以降ヨコハマ勢の優勝はなく、シーズン成績でも下位に甘んじることが多い。

そして下記表のとおり、2020年シーズンはGT500クラスに参戦する15チームのうち、ヨコハマタイヤを履く3チームが下位を独占してしまった。

KONDOバンドウ無限
201714位12位15位
201812位11位14位
201913位11位15位
202015位14位13位
シーズンチーム順位

最後に

前述のとおり、スーパーGTは世界でも希少になったマルチメイクタイヤのカテゴリーだ。

マルチメイクだからこそ、気象環境やサーキットによりタイヤメーカーそれぞれに特徴が出て、抜きつ抜かれつが誘発される。

しかし1つのタイヤメーカーがさまざまな気候や路面に対応できるタイヤを開発し、それに他のタイヤメーカーが追随できないと、たちまちマルチメイクの面白さはなくなり、限られたチームでのシリーズ争いになってしまう。

その中で現在はヨコハマとダンロップが劣勢のシーズンが続いている。

ぜひ今後ヨコハマには奮起していただき、かつての無交換作戦のような奇策で優勝を掻っ攫っていってもらいたいと願っている。

以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

面倒ですがポチッとお願いします

自動車レースランキング

関連記事

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

156人の購読者に加わりましょう
よかったらSNSでシェアお願いします!



サーキットでの興奮をあなたに伝えたい
MOTORSPORT観戦記

サーキットは非日常を味わえる特別な空間です。そんな素晴らしいモータースポーツの世界を、ひとりでも多くの方に伝えたい・・・。そんな思いでMOTORSPORT観戦記と題し、記事に認めました。




コメントを残す

ABOUT US
大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。