1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はラルースが1992年のF1に参戦するために開発した、ヴェンチュリーLC92を取り上げていこうと思う。
ザックリ見出し
マシンデータと戦績
まずはヴェンチュリーLC92の主要諸元をチェック。
年式 | 1992年 |
カテゴリー | F1 |
コンストラクター | ヴェンチュリーラルース |
マシン名 | ヴェンチュリーLC92 |
デザイナー | ロビン・ハート ティノ・ベッリ ティム・ハロウェイ |
エンジン | ランボルギーニ(3512) |
つづいてヴェンチュリーLC92の戦績を見てみる。
コンストラクター | ガショー | 片山右京 | |
---|---|---|---|
シーズン順位 | 11位 | 19位 | 25位 |
シーズンポイント | 1P | 1P | 0P |
優勝 | 0回 | 0回 | 0回 |
表彰台 | 0回 | 0回 | 0回 |
ポールポジション | 0回 | 0回 | 0回 |
ファステストラップ | 0回 | 0回 | 0回 |
片山右京のF1デビューマシン
今回のマシンはヴェンチュリーLC92。
んっ?どこのチームだ??と思われた方もいるかもしれない。
じつはこのチーム、前年まで鈴木亜久里が所属していたあのラルースなのだ。
しかしラルースはこの前年の1991年末に倒産してしまい、フランス国内法の適用を受けて事業再生を目指すことになり、フランスの高級車メーカーであるヴェンチュリーが再生支援を行ったのだった。
その結果、ヴィンチュリーの名が会社名やコンストラクター名に入り、
- 会社名・・・ヴェンチュリー・ラルース
- チーム名・・・セントラルパーク・ラルース
- コンストラクター名・・・ヴェンチュリー
- マシン名・・・ヴェンチュリーLC92
と、超複雑になった。
ちなみにチーム名のセントラルパークとは、姫路セントラルパークやMINEサーキットを経営していた土井不動産。
ラルースといえば1990年、鈴木亜久里の表彰台などで11ポイントを稼いでコンストラクターズランキング6位に入ったのだが、コンストラクター登録をローラではなくラルースとしてしまい、コンストラクターズポイントを剥奪された(これが前述した倒産の主な原因)経緯があるが、この年もコンストラクター名をローラではなくヴィンチュリーとしているじゃないか!
いやいやご心配なく。この年から長年マシン製作を委託していたローラからフォメット(1991年にフォンドメタルとしてF1に参戦)をヴェンチュリーが買収したため、コンストラクター名はヴェンチュリーで大丈夫なのだ。
ドライバーはベルトラン・ガショーと片山右京のコンビ。
片山右京は前年の全日本F3000チャンピオンで、この年に日本人3人目のフルタイムF1ドライバーとしてデビューしたが、シートを射止めた経緯は、チームのスポンサーだったセントラルパーク(土井不動産)からの要求によるものだったという。
レースでは、他の資金不足のチームと同様リタイヤが多く、ベルトラン・ガショーと片山右京で合計19回のリタイヤを喫しており、安定感に欠けた。
ハイライトは第6戦のモナコ。一般的には終盤のアイルトン・セナとナイジェル・マンセルのデットヒートが有名だが、その中でガショーがシーズン唯一の入賞を果たしている。
では、そのヴェンチュリーLC92のミニカーを詳しく見ていこう。
ヴェンチュリーLC92のミニカーを実車のように撮る!
それでは1/43のヴェンチュリーLC92を撮影していこうと思う。
もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。
今回のマシンは1992年のF1マシン、ヴェンチュリーLC92。
カーナンバー30は片山右京のマシンだ。
マシン名はヴェンチュリーになり製造もローラからフォメットに変わったが、濃紺とイエロー、レッドのカラーリングはラルースらしさを残している。
この頃流行りはじめたハイノーズと吊り下げ式フロントウイングを採用したヴェンチュリーLC92。
しかし強度が心配なのか、ケーブルでノーズとウイングを支えている。
よく見るとエンジンカウルとリヤウイングにもケーブルが・・・。下位チームによく見られた手法だ。
今回のモデルはスパーク製のドライバーフィギュア付きということで、F1ブーム世代としては片山右京のヘルメットが懐かしい。
片山右京のマシンには、このデビューマシンであるヴェンチュリーLC92から最後のミナルディM197まで、すべてのマシンにJTのタバコブランドのロゴが掲げられていた。
この1992年と翌1993年はキャビン、それ以降はマイルドセブン。
ヴェンチュリーLC92をスターティンググリッドに移動してみた。
奥に見えるのは同年の鈴木亜久里のマシン、フットワークFA13。
ヴェンチュリーLC92に乗る片山右京は、F1のGに首が負けてヘルメットを前後しながら走る姿から、当時F1を実況していた古舘伊知郎が『赤べこ走法』と命名した。
赤べことは赤牛、英語だとレッドブル・・・。
ノリの良いレッドブル社ならばすぐに片山右京をサポートしていたと思うが、レッドブルがザウバーのスポンサーとしてF1に進出したのは1995年。
時代が少しだけ早すぎた!?
当時日本ではF1ブーム真っ只中ということで、このマシンにも多くの日本企業の名前が見られる。
前述のセントラルパークやキャビンの他、フロントウイングのフラップには愛知県でパチンコチェーンを展開するZENTのロゴもある。
現在はスーパーGTのセルモやトヨタガズーレーシングのWEC活動を支えている日本のモータースポーツには欠かせない企業だが、30年前からモータースポーツ活動を支援していたとは・・・。
じつはこのヴェンチュリーLC92は、1991年にオゼッラを引き継いでF1に参戦したフォンドメタル フォメットF1の後継マシンとして開発していた。
しかしフォンドメタルとフォメットに亀裂が生じ、フォメットはヴェンチュリーに買収され、ヴェンチュリーLC92としてデビューしたのだった。
ところでフォメットを買収したヴェンチュリーUKにより製作されたのに、なぜマシン名にローラ時代からの『LC』を使い続けているのか?
知っている方がいたら、ぜひともコメント欄にて教えてていただきたい。
ヴェンチュリーLC92はかなりの部分を外部に委託されており、空力関係はサウサンプトン大学の風洞で開発、シャシーはアドバンスドコンポジッツ社が製作した。
以上、1/43のヴェンチュリーLC92を実車のように撮影してみた。
今回登場したミニカー
今回撮影に登場したミニカーを紹介する。
【スパーク製】ヴェンチュリーLC92
2020年に発売された、レーシングオンとスパークのアニバーサリーモデルスパーク『1/43″Japanese F1 Pioneers” 中嶋悟/鈴木亜久里/片山右京 3台セット 限定BOX』の1台。
【スパーク製】フットワークFA13
こちらも同じく2020年に発売された、レーシングオンとスパークのアニバーサリーモデルスパーク『1/43″Japanese F1 Pioneers” 中嶋悟/鈴木亜久里/片山右京 3台セット 限定BOX』の1台。
今回の撮影機材
今回ミニカーを撮影したカメラ機材を紹介する。
カメラ | キヤノンEOS R5 |
レンズ | キヤノンRF35mm F1.8 IS STM |
スピードライト | キヤノン430EX Ⅱ |
三脚 | ベルボンEX-Macro |
最後に
最後は、このヴィンチュリーラルースチームでF1にデビューした、片山右京のその後のF1活動について。
ラルースで1年を過ごしてF1について学んだ片山右京は、翌1993年にヤマハエンジンを獲得した名門ティレルと契約をする。
ちなみに片山右京は1990年にブラバムヤマハのテストドライバーを務めていたため、ヤマハとは以前から関係があったという。
1993年は中盤まで1991年マシン(2年落ち!?)の改良型であるティレル020Cで参戦し、第10戦から新型のティレル021で走行するも、他のチームが多くのハイテク装備を搭載する中、慢性的な資金不足のティレルはライドハイトコントロールのみを搭載した簡易的なアクティブサスペンション(使用することはほぼなかったという)だけは搭載していたが、目立った活躍はできずにノーポイントでシーズンを終える。
1994年もティレルに残留。
ハーベイ・ポスルスウェイトがティレルに復帰すると、3年ぶりの完全新設計のティレル022を登場させると、信頼性が高く素性の良いこのマシンで、片山右京はF1参戦以来ベストシーズンを送ることになる。
開幕のブラジルグランプリでF1参戦以来初の入賞(5位)を果たすと、第3戦のサンマリノグランプリ(セナの痛ましい事故があったレース)でも5位に入る。
その後もイギリスグランプリでシーズン3度目の入賞をし、迎えたドイツグランプリでは予選で生涯ベストの5位を獲得すると、スタートを決めて2位までジャンプアップした(結果リタイヤ)。
続くハンガリーグランプリでも予選で5位に入るなど、このシーズンは5ポイントを獲得した。
1995年1996年もティレルに残留するが、マシンの戦闘力が低迷し、チームメイトのミカ・サロがそんなマシンでも結果を出すと、徐々にチームはサロを中心とした体制になっていった。
その結果1997年は4年間在籍したティレルを離れ、ミナルディにナンバーワンドライバーとして加入する。
マシンの性能面で苦戦が予想されていたが開幕でいきなり予選15位を獲得して周囲を驚かすが、その後はティレルとのテールエンダー争いに終始するシーズンだった。
1997年シーズンを最後にF1を引退。
6シーズンにフル参戦をして出走回数は95回。この95回の出走は2021年現在日本人ドライバーとして歴代最多記録である。
以上、今回は1/43のヴェンチュリーLC92を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。
最後までご覧いただきありがとうございました。
ミニカー記事一覧は下のボタンをクリック
>>ところでフォメットを買収したヴェンチュリーUKにより製作されたのに、なぜマシン名にローラ時代からの『LC』を使い続けているのか?
『LC』の接頭字はローラ由来ではなく、「ラルース・カルメル」(Larrouse Calmels)の頭文字からとった物です。ですからマシンの製造元がローラでなくなっても『LC』から変える必要がなかったのだと思われます。「カルメル」はラルースの共同設立者ディディエ・カルメルのことです。
89年以降カルメルはラルースの経営から離脱しますが、92年まで『LC』は継続使用されます。93年にマシン自製を始めてからはラルースとロビン・ハードの頭文字から取った『LH』へと接頭字を変更してますね。
なるほど、LCは創業者のジュラール・ラルースとディディエ・カルメルの頭文字からなので、製造元が変更になっても継続して使用していたのですね!
ポール・ジョンソンさん、ご教授いただきありがとうございます。