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スクーデリアフェラーリドライバー在籍年数ランキング(1987-2020)

スクーデリアフェラーリといえば、F1界随一の人気チームであり、レーシングドライバーの誰しもが所属したいと願っているF1チームですが、そのフェラーリに一番長く所属したドライバーは誰なのか?

そこで今回はフジテレビが日本でF1を放映を開始した1987年から2020年までに、スクーデリアフェラーリに在籍した年数をランキング形式で紹介していきます。

スポット参戦は除外し、年間契約をしてシーズンの半分以上のレースにエントリーした場合を1シーズンとカウントします。

【第14位】イヴァン・カペリ

1992年にカペリが乗った歴史的駄作フェラーリF92A
所属年数所属年度
1年1992年

レイトンハウス(マーチ)のエースとして、数々の印象に残るレースを見せたイヴァン・カペリ選手は、1992年に向けてスクーデリアイタリアと契約をしていましたが、フェラーリが1991年の最終戦を前にプロストを解雇したため、スクーデリアイタリアからカペリとの契約を買い取りフェラーリ入りが決まりました。

しかし、1992年のフェラーリF92Aはチームの歴史上1・2を争うほどの駄作だったため、カペリは表彰台はおろか入賞2回のみの成績で、その責任を取るカタチで日本グランプリを前に解雇されてしまいました。

【第11位タイ】ナイジェル・マンセル

所属年数所属年度
2年1989年から1990年

ウィリアムズの印象が強いナイジェル・マンセルですが、1989年から1990年にかけてフェラーリに所属していました。

印象的だったのが1989年のブラジルでの開幕戦で、フェラーリに所属して初のレースで現在はレーシングマシンの標準装備となったセミオートマを搭載した初のマシンを駆り優勝をします。

しかし1990年にアラン・プロストがチームメイトになると、チームはプロストを中心として回り始めたため、面白くないマンセルは引退を決意(その後撤回しウィリアムズ に移籍)しチームを離れました。

【第11位タイ】アラン・プロスト

所属年数所属年度
2年1990年から1991年

アラン・プロストは、1989年にマクラーレンで3度目のドライバーズタイトルを獲得した翌年に、カーナンバー1とともにフェラーリに移籍しました。

その1990年のマシンである641はライバルであるマクラーレンMP4/5Bと比べて競争力のあるマシンで、メキシコ・フランス・イギリスの3連勝を含むシーズン5勝をあげ、タイトル獲得まであと一歩のところまでいきました。

しかし来年こそは、というチームの希望も虚しく、1991年シーズンは1勝もあげることなく、プロストはメディアを使ってチームの批判を繰り返した末に最終戦を前にフェラーリを解雇されました。

【第11位タイ】シャルル・ルクレール

2019年日本GPドライバーズパレードにて
所属年数所属年度
2年2019年から2020年
(2024年まで契約あり)

現在フェラーリに所属するのが、F1では珍しいモナコ出身のドライバー、シャルル・ルクレールです。

2018年にアルファロメオザウバーでデビューしたルクレールは、中堅チームながら随所で目をみはる走りを披露し、F1デビューから2年目にして名門フェラーリに抜擢されると、フェラーリ初年度からエースのベッテルを凌ぐ優勝回数とポールポジション回数で、一躍フェラーリのエースになりました。

その結果、ベッテルは2020年シーズンを最後にフェラーリを離脱し、対するルクレールはフェラーリと2024年まで契約を交わしました。

【第10位】ミケーレ・アルボレート

アルボレートがチャンピオン争いをした1985年のフェラーリ156-85
所属年数所属年度
2年(5年※)1987年(1984年※)から1988年

※今回のランキングは1987年以降としたため、所属年数は2年とした

私がF1を見始めた1990年にはアロウズなどで中団を走っていたミケーレ・アルボレートは、かつて伝説のドライバーであるアルベルト・アスカリの再来と言われ、フェラーリのエースとして活躍していました。

1985年はアルボレートのキャリアハイの年で、マクラーレンのアラン・プロストとチャンピオン争いを繰り広げ、ドライバーズチャンピオンシップで2位になりました。

しかし若手のゲルハルト・ベルガーがチームに所属してからエースの座を追われ、デザイナーのジョン・バーナードとの対立もあり、1988年シーズンを最後にチームとの契約を終了しました。

【第9位】エディ・アーバイン

アーバインが乗った1997年型フェラーリF310B
所属年数所属年度
4年1996年から1999年

1996年にミハエル・シューマッハのチームメイトとしてフェラーリに加入したエディ・アーバイン。

ジョーダン時代はアイルトン・セナに説教をされたり、他のドライバーの悪口を平気で口にしたりと、かなりやんちゃな性格で、フェラーリに加入後は1997年の日本グランプリでヴィルヌーブを巧みにブロックするなど、随所で汚れ役を演じました。

ハイライトは1999年で、イギリスグランプリで骨折し長期離脱をしたシューマッハの代わりに代役エースとしてシーズン後半戦を戦い、チャンピオン争いをしましたが、結局この1999年シーズンを最後に4年間所属したフェラーリを去り、ジャガーへ移籍しました。

私としては、アーバインとシューマッハの悪役(?)コンビの時代が好きでした。

【第7位タイ】ジャン・アレジ

2018年日本GPでデモランをするアレジ
所属年数所属年度
5年1991年から1995年

1989年にF1デビューしたジャン・アレジは、1990年に非力なティレルを駆り2度も表彰台に上がり、その走りがフェラーリに見初められ翌年アラン・プロストのチームメイトとしてチームに迎え入れられます。

しかし1991年のフェラーリはチーム史上最も深刻な低迷期に突入しはじめた年で、苦労のレースがつづきましたが、フェラーリをそして伝説のドライバーであるジル・ヴィルヌーブを愛したアレジは不満も言わずにチームとともに戦いました。

そして1992年にはヴィルヌーブが付けたカーナンバー27を受け継ぎ(自身がチームに懇願した)、近年ではもっともティフォシに愛されたドライバーでした。

ハイライトは1995年のカナダグランプリ。

アレジが最初で最後のF1優勝レースは、世界中のティフォシが歓喜した忘れられないレースでした。

フェラーリ所属は5年間と決して長い方ではありませんが、私としてはアレジ=フェラーリというイメージが強くあり、もっと長く所属していた印象がありました。

【第7位タイ】フェルナンド・アロンソ

2010年型フェラーリF10 カーナンバー7はアロンソのマシン
鈴鹿サウンドオブエンジン2018にて
所属年数所属年度
5年2010年から2014年

2009年にキミ・ライコネンとの契約を終了する前に解雇し、フェルナンド・アロンソを迎え入れました。

前年まで戦闘力の劣るルノーで苦労していたアロンソは、フェラーリに移籍して以来速さを取り戻しましたが、同時期にレッドブルのベッテルが台頭したため、あと一歩のところでタイトルを逃しました。

2014年にキミ・ライコネンが移籍してきて、アロンソとライコネンという私の望む夢のようなドライバーコンビを形成したフェラーリですが、パワーユニット時代初年度はそのパワーユニットにまったくパワーと信頼性が無く、まともな戦いができないフェラーリにアロンソは見切りをつけ、2015年から復帰するホンダパワーユニットを搭載するマクラーレンに移籍して行きました。

次のページでは、フェラーリ在籍ランキング6位から1位を見ていきます。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。