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日本トップフォーミュラの歴史(全日本F2000・全日本F2・全日本F3000・フォーミュラニッポン・スーパーフォーミュラ)

はじめに

先週末、スーパーフォーミュラの最終戦が行われ、そこでTEAM MUGENに所属する山本尚貴が追いすがるニック・キャシディを振り切り、ポールトゥーフィニッシュで年間チャンピオンを決めました。

ニック・キャシディの追い上げは凄まじく、ゴール地点での1位と2位の差が0.654秒、まさに激闘という名がふさわしく鈴鹿サーキットで繰り広げられたこのレースは後世に語り継がれる名勝負だったのではないでしょうか。

2018年7月撮影 2018年スーパーフォーミュラチャンピオン山本尚貴がダラーラSF14を駆る

この山本尚貴がチャンピオンとなったシリーズ、現在は全日本スーパーフォーミュラ選手権という名の日本のトップフォーミュラですが、その日本トップフォーミュラの歴史は1973年まで遡ります。

日本のトップフォーミュラは、レースの本場ヨーロッパを参考にしながらも島国日本で独自の発展を遂げてきました。

今回はその歴史について紐解いてみたいと思います。

全日本F2000選手権(1973-1977)

日本のモータースポーツ黎明期はスポーツカーやツーリングカーが人気の中心で、モータースポーツ先進国であるヨーロッパでのF1を中心とするフォーミュラカー人気と比べると、日本でのフォーミュラカーはいまいち人気がありませんでした。

そんな中、JAFが純粋なレースであるフォーミュラカーレースを日本に根付かせようと、ヨーロッパのF2を参考にするかたちで1973年に全日本F2000選手権という名の日本初のトップフォーミュラを立ち上げました。

ちなみに名称をF2にしなかった理由は、FIAのF2規定では量産型エンジンをベースにしなければならず、日本のレースではレース専用のエンジンも搭載可能だったため名称をF2000としました。

日本のトップフォーミュラ初のチャンピオンは、後年ベストモータリングなどで活躍したガンさんこと黒澤元治。

現在もレース界の第一線で監督として活躍する元祖日本一速い男こと星野一義は、この頃からすでに活躍していたんですね。

全日本F2000 チャンピオン
ドライバー 所属チーム マシン エンジン
1973 黒澤 元治 ヒーローズレーシング マーチ722 BMW
1974 高原 敬武 タカハラレーシング マーチ742 BMW
1975 星野 一義 ビクトリーサークルクラブ マーチ742 BMW
1976 高原 敬武 タカハラレーシング ノバ512 BMW
1977 星野 一義 ヒーローズレーシング ノバ512B
ノバ532P
BMW

2017年3月撮影 1976年の全日本F2000マシン マーチ752 BMW

全日本F2選手権(1978-1986)

1976年にFIAのF2規定がレース専用エンジンを搭載してもよいことになりF2000規定と同様になったため、1978年より全日本F2選手権と名称が変更になりました。

現在のスーパーフォーミュラなどのワンメイクマシンではなく、日本のコジマやノバ、スピリット・ラルト・トールマンなど様々なコンストラクターのマシンが使用されたが、その中でもマーチが優勢、エンジンはBMW・ホンダ・ヤマハ・トヨタなど、タイヤはブリヂストン・ダンロップ・ヨコハマなどがしのぎを削っていました。

星野一義・松本恵二・長谷見昌弘などの名だたるレジェンドドライバーのなかで、中嶋悟の名前が連なります。

中嶋は国内に敵がいなくなり、1987年よりF1世界選手権に戦いの場を移すことになります。

全日本F2 チャンピオン
ドライバー 所属チーム マシン エンジン
1978 星野 一義 ヒーローズレーシング ノバ532P
ノバ522
BMW
1979 松本 恵二 チームルマン マーチ782
マーチ792
BMW
1980 長谷見 昌弘 トミカレーシングチーム マーチ802 BMW
1981 中嶋 悟 i&iレーシング ラルトRH6/80
マーチ812
ホンダ
1982 中嶋 悟 チームイクザワ マーチ812
マーチ822
ホンダ
1983 ジェフ・リース チームイクザワ スピリット201
マーチ832
ホンダ
1984 中嶋 悟 ヒーローズレーシング マーチ842 ホンダ
1985 中嶋 悟 ヒーローズレーシングwithナカジマ マーチ85J ホンダ
1986 中嶋 悟 ヒーローズレーシングwithナカジマ マーチ86J ホンダ

2017年3月撮影 1978年の全日本F2マシン ノバ532 BMW

2017年3月撮影 1984年の全日本F2マシン マーチ842 BMW

2017年3月撮影 1986年の全日本F2マシン マーチ86J ヤマハ

全日本F3000選手権(1987-1995)

1987年、F1日本グランプリが鈴鹿サーキットで行われるようになり、日本では空前のF1ブームが巻き起こります。

同じ年、国内トップフォーミュラは全日本F3000と名称が変わり、F1人気の影響で国内のフォーミュラレースも非常に盛り上がり、バブル期とも重なりチームの年間予算は3億円以上とも言われました。

エンジンは無限・ヤマハ・ジャッド・コスワースなどが供給、シャシーはローラ・マーチ・レイナード・ラルトのヨーロッパの有名コンストラクターや国内の童夢・ムーンクラフトなど様々で、そしてタイヤはブリヂストン・ヨコハマ・ダンロップがF1や国際F3000では無いほどに高いレベルの争いをし、驚くほどのコーナーリングスピードを誇り、全日本F3000選手権は3000ccのF1グランプリなどと言われ、この頃F1に一番近いカテゴリーは間違いなく全日本F3000選手権でした。

高レベルの争いにつられ、海外から次代のF1ドライバーと言われたミハエル・シューマッハやエディ・アーバイン、ジョニー・ハーバートやハインツ=ハラルド・フレンツェンなどのビッグネームが参戦し、その海外勢を日本のベテランドライバー達・・・特に星野一義が受けて立つというカタチのシリーズ戦となっていました。

そういえば、後にフェラーリF1ドライバーとしてミハエル・シューマッハのチームメイトとなったエディ・アーバインが、「日本にはとんでもなく速い星野一義というオッサンがいる」とF1の記者会見で語っていました。

全日本F3000 チャンピオン
ドライバー 所属チーム マシン エンジン
1987 星野 一義 ホシノレーシング マーチ87B
ローラT87/50
ホンダ
1988 鈴木 亜久里 Footwork SPORTレーシングチーム マーチ87B
レイナード88D
コスワース・ヤマハ
1989 小河 等 オートビューレックモータースポーツ ローラT88/50
ローラT89/50
無限
1990 星野 一義 CABIN RACING TEAM WITH IMPUL ローラT90/50 無限
1991 片山 右京 CABIN RACING TEAM with HEROES ローラT90/50
ローラT91/50
コスワース
1992 マウロ・マルティニ ACOM WVOLUTION TEAM NOVA ローラT91/50
ローラT92/50
無限
1993 星野 一義 NISSEKI IMPUL RACING TEAM ローラT92/50 コスワース
1994 マルコ・アピチェラ 株式会社童夢 童夢F104 無限
1995 鈴木 利男 HOSHINO RACING ローラT94/50 無限

2017年3月撮影 1991年に片山右京が全日本F3000チャンピオンをとったマシン ローラT90/50 DFV

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(1996-2012)

シャシー・エンジン・タイヤの様々な戦いがあった全日本F3000に対し、ヨーロッパの国際F3000はワンメイク化されたため、日本独自の各メーカーがしのぎを削るシリーズを継続するカタチで新たにフォーミュラ・ニッポンという名でシリーズを展開していくことになりました。

しかし徐々に戦闘力の偏りから事実上のワンメイク状態となり、タイヤは1997年からシャシーは2003年から正式にワンメイクとなりました。

フォーミュラ・ニッポン初年度の1996年、それまで日本のトップフォーミュラの牽引者である星野一義がフォーミュラカーからの引退をし、若手ドライバーが台頭してくるようになり、その筆頭が後年『二代目日本一速い男』と言われるようになる本山哲で、本山は4度のフォーミュラ・ニッポンチャンピオンに輝きました。

また中嶋悟の秘蔵っ子と言われた高木虎之介はF1帰りの2000年、10戦8勝という圧倒的な強さでチャンピオンを奪取したことも印象的でした。

フォーミュラ・ニッポン チャンピオン
ドライバー 所属チーム マシン エンジン
1996 ラルフ・シューマッハ X-JAPAN Pacing Team Le Mans レイナード96D 無限
1997 ペドロ・デ・ラ・ロサ SHIONOGI TEAM NOVA ローラT97/51 無限
1998 本山 哲 LEMONed Racing Team Le Mans レイナード97D 無限
1999 トム・コロネル PIAA NAKAJIMA RACING レイナード99L 無限
2000 高木 虎之介 PIAA NAKAJIMA RACING レイナード2KL 無限
2001 本山 哲 excite TEAM IMPUL レイナード01L 無限
2002 ラルフ・ファーマン PIAA NAKAJIMA RACING レイナード01L 無限
2003 本山 哲 TEAM IMPUL ローラB351 無限
2004 リチャード・ライアン DoCoMo TEAM DANDELION RACING ローラB351 無限
2005 本山 哲 arting RACING TEAM with IMPUL ローラB351 無限
2006 ブノワ・トレルイエ mobilecast TEAM IMPUL ローラ06/51(FN06) トヨタ
2007 松田 次生 mobilecast TEAM IMPUL ローラ06/51(FN06) トヨタ
2008 松田 次生 LAWSON TEAM IMPUL ローラ06/51(FN06) トヨタ
2009 ロイック・デュバル NAKAJIMA RACING スウィフト017.n(FN09) ホンダ
2010 ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ Mobil 1 TEAM IMPUL スウィフト017.n(FN09) トヨタ
2011 アンドレ・ロッテラー PETRONAS TEAM TOM’S スウィフト017.n(FN09) トヨタ
2012 中嶋 一貴 PETRONAS TEAM TOM’S スウィフト017.n(FN09) トヨタ

2017年3月撮影 1997年にペドロ・デ・ラ・ロサがチャンピオンを獲得したマシン ローラT97/51 無限

2017年3月撮影 2011年にアンドレ・ロッテラーがチャンピオンを獲得したマシン スウィフト017.n(FN09) トヨタ

全日本スーパーフォーミュラ選手権(2013-)

フォーミュラ・ニッポンは都合17年もの長い間日本のトップフォーミュラの地位に君臨してきましたが、新たにアジアへそして世界に進出すべくスーパーフォーミュラと名称が刷新されました。

シャシーは初年度はフォーミュラ・ニッポンから引き継いだスウィフト017.nでそれ以降がダラーラSF14のワンメイク、エンジンは同じくフォーミュラ・ニッポンから受け継いだトヨタもしくはホンダ、タイヤはブリヂストン→ヨコハマのワンメイクと特に目新しさは無く、名称の変更の理由である世界進出も2018年現在行われていません。

しかしマシンの進歩は目覚ましく、コーナーリングスピードは当時のF1マシンよりも速いとまで言われ、レベルの高い争いが行われています。

トップフォーミュラカーが走る事ができる日本のサーキットは限られており、数少ないサーキットを何度も走り慣れた日本のトップドライバーが海外のトップドライバーと渡り合うという図式は伝統的に現在もあり、F1直下のGP2→F2がチャンピオンを取ったドライバーは翌年参戦同シリーズにできないこともあり、ストフェル・バンドーンやピエール・ガスリーなど翌年F1のシートを得られなかったトップドライバーがスーパーフォミュラへ戦いの場を求めてやってくるケースも増えています。

全日本スーパーフォーミュラ選手権 チャンピオン
※2013-2015は全日本選手権スーパーフォーミュラ 
ドライバー 所属チーム マシン エンジン
2013 山本 尚貴 TEAM MUGEN スウィフト017.n(SF13) ホンダ
2014 中嶋 一貴 PETRONAS TEAM TOM’S ダラーラSF14 トヨタ
2015 石浦 宏明 P.MU/CERUMO・INGING ダラーラSF14 トヨタ
2016 国本 雄資 P.MU/CERUMO・INGING ダラーラSF14 トヨタ
2017 石浦 宏明 P.MU/CERUMO・INGING ダラーラSF14 トヨタ
2018 山本 尚貴 TEAM MUGEN ダラーラSF14 ホンダ

2018年7月撮影 富士スピードウェイで優勝を決めたニック・キャシディとダラーラSF14 トヨタ

最後に

今回国内トップフォーミュラの歴史を辿ってみましたが、星野一義が長きにわたりトップドライバーとして活躍していたことをあらためて知り、彼が『日本一速い男』と称えられた理由がわかりました。

また国内最高峰のレースシリーズで、中嶋悟が6年で5回のチャンピオンを獲得したことからも、F1という世界の舞台に飛び出して行ったのも納得です。

海外のF1・インディ以外のレースでは、ドライバーが長年同一カテゴリーで戦うフォーミュラカーカテゴリーは無く、ベテランドライバーはGTカーのレースに流れる事が一般的です。

そんな中で日本のトップフォーミュラは、ベテラン対若手の対決、そしてF1予備軍の海外トップドライバーとの対決と、注目すべき対決がいくつもあります。

スタンディングスタートの直前、一瞬静まり返るスタンド・・・ カツンッとギアを1速に入れる音・・・ シグナルがブラックアウトした瞬間一斉に解き放たれるマシン・・・。

今も昔も国内トップフォーミュラは日本一速い男決定戦なのです。

2015年7月撮影 F1からスーパーフォーミュラに移った小林可夢偉とダラーラSF14 トヨタ

最後までお読みいただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。