1994年パシフィックGP(TIサーキット英田)
決勝入場者数・・・55,000人
- 決勝開催日・・・1994年4月17日
- 開催地・・・TIサーキット英田(現:岡山国際サーキット)
- 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
- 優勝ドライバー・・・ミハエル・シューマッハ(ベネトン)
- 日本人ドライバー・・・鈴木亜久里、片山右京
1994年はパシフィックグランプリとして日本で1年に2度F1が開催されています。
その舞台となったのがTIサーキット英田(現:岡山国際サーキット)。
サーキットは山間にあり交通事情が悪いため、大型バスによるピストン観客輸送を行い、決勝来場者数は55,000人でした。
このTIサーキット英田でのレースの翌戦であるイモラサーキットでセナ選手がこの世を去ったため、この1994年のパシフィックグランプリはセナ選手が日本で走った最後のグランプリになりました。
1994年日本GP(鈴鹿サーキット)
決勝入場者数・・・155,000人
- 決勝開催日・・・1994年11月6日
- 開催地・・・鈴鹿サーキット
- 決勝日天気・・・雨(ウエット)
- 優勝ドライバー・・・デイモン・ヒル(ウィリアムズ)
- 日本人ドライバー・・・片山右京、野田英樹、井上隆智穂
1994年の日本グランプリは前年よりさらに4,000人アップし、155,000人になりました。
この年は日本グランプリが鈴鹿サーキットに移り、初めてセナ選手がいないグランプリとなりましたが、ミハエル・シューマッハ選手とデイモン・ヒル選手のチャンピオン争いもあり、多くの観客が詰めかけました。
ちなみにレース前にはセナ選手の追悼セレモニーが行われ、セナ選手を敬愛しこのレースを最後にF1実況を勇退する古舘伊知郎さんが心ながらにそれを伝えました。
セナ選手の死と古舘伊知郎さんのF1実況勇退で、日本でのF1ブームはこの年を最後に終焉しました。
1995年パシフィックGP(TIサーキット英田)
決勝入場者数・・・調査中
- 決勝開催日・・・1995年10月22日
- 開催地・・・TIサーキット英田(現:岡山国際サーキット)
- 決勝日天気・・・曇り(ドライ)
- 優勝ドライバー・・・ミハエル・シューマッハ(ベネトン)
- 日本人ドライバー・・・鈴木亜久里、片山右京、井上隆智穂
1995年4月に予定されていた2回目のパシフィックグランプリですが、この年の1月に発生した阪神淡路大震災の影響で開催が鈴鹿の日本グランプリの前である10月に移動し、日本での2戦連続開催により大きく観客動員が落ち込みました。
そしてこの年を最後に日本での1年2回開催は終了することとなりました。
1995年日本GP(鈴鹿サーキット)
決勝入場者数・・・145,000人
- 決勝開催日・・・1995年10月29日
- 開催地・・・鈴鹿サーキット
- 決勝日天気・・・雨のち晴れ(ウエット、ドライ)
- 優勝ドライバー・・・ミハエル・シューマッハ(ベネトン)
- 日本人ドライバー・・・鈴木亜久里、片山右京、井上隆智穂
1995年の日本グランプリは前項のパシフィックグランプリと2週連続開催となり、その影響から日本グランプリとしては初めて観客動員数が前年を割り込み、145,000人(決勝)でした。
1996年日本GP(鈴鹿サーキット)
決勝入場者数・・・139,000人
- 決勝開催日・・・1996年10月13日
- 開催地・・・鈴鹿サーキット
- 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
- 優勝ドライバー・・・デイモン・ヒル(ウィリアムズ)
- 日本人ドライバー・・・片山右京
1996年の日本グランプリはデイモン・ヒル選手とジャック・ヴィルヌーヴ選手の2世同士のチャンピオン決定戦となりましたが、観客動員数は前年からさらに6,000人減少し139,000人(決勝)でした。
1997年日本GP(鈴鹿サーキット)
決勝入場者数・・・140,000人
- 決勝開催日・・・1997年10月12日
- 開催地・・・鈴鹿サーキット
- 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
- 優勝ドライバー・・・ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
- 日本人ドライバー・・・片山右京、中野信治
1997年の日本グランプリはヴィルヌーヴ選手(ウィリアムズ)とシューマッハ選手(フェラーリ)のチャンピオン決定戦で、観客動員数は前年から1,000人増え140,000人(決勝)でした。
また中野信治選手がプロストグランプリからフル参戦し、初めての日本凱旋レースでした。
1998年日本GP(鈴鹿サーキット)
決勝入場者数・・・148,000人
- 決勝開催日・・・1998年11月1日
- 開催地・・・鈴鹿サーキット
- 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
- 優勝ドライバー・・・ミカ・ハッキネン(マクラーレン)
- 日本人ドライバー・・・中野信治、高木虎之介
1998年の日本グランプリは前年から8,000人増え148,000人(決勝)が来場しました。
この年はマクラーレンのミカ・ハッキネン選手とフェラーリのミハエル・シューマッハ選手のチャンピオン決戦。
日本人ドライバーは前年に続き中野信治選手と、この年初の凱旋となる高木虎之介選手が出走しています。
1999年日本GP(鈴鹿サーキット)
決勝入場者数・・・146,000人
- 決勝開催日・・・1999年10月31日
- 開催地・・・鈴鹿サーキット
- 決勝日天気・・・曇り(ドライ)
- 優勝ドライバー・・・ミカ・ハッキネン(マクラーレン)
- 日本人ドライバー・・・高木虎之介
1999年の日本グランプリは前年から2,000人減り、146,000人(決勝)でした。
ミカ・ハッキネン選手対エディ・アーバイン選手のチャンピオン争いと、唯一の日本人ドライバーである高木虎之介選手が注目されました。
2000年日本GP(鈴鹿サーキット)
決勝入場者数・・・151,000人
- 決勝開催日・・・2000年10月8日
- 開催地・・・鈴鹿サーキット
- 決勝日天気・・・曇り時々雨(ドライ、セミウエット)
- 優勝ドライバー・・・ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
- 日本人ドライバー・・・なし
2000年の日本グランプリは初めて日本人ドライバーのエントリーがありませんでしたが、決勝で1994年以来6年ぶりに150,000人の大台を突破し、151,000人の観客を動員しました。
注目は3年連続のチャンピオンを目指すハッキネン選手と、3度目のチャンピオンを目指すシューマッハ選手の争い。
結局シューマッハ選手がトップでチェッカーを受け、フェラーリに移籍してから初のチャンピオンを獲得しています。
2001年日本GP(鈴鹿サーキット)
決勝入場者数・・・150,000人
- 決勝開催日・・・2001年10月14日
- 開催地・・・鈴鹿サーキット
- 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
- 優勝ドライバー・・・ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
- 日本人ドライバー・・・なし
2001年の日本グランプリも前年に引き続き決勝で150,000人の大台を突破しています。
この年は久々にチャンピオン争いが決定していましたが、ハッキネン選手とジャン・アレジ選手がラストレースでした。
次のページでは佐藤琢磨が参戦した2002年以降の入場者数を見ていきます。
そして富士スピードウェイで復活開催された2007年と2008年も!