クラフト
メーカー | トヨタ・レクサス |
カーナンバー | 34・35 |
GT500活動期間 | 2002-2012 |
実働 | 11年 |
ドライバーズ シリーズ最高位 | 6位(2010) |
チームズ シリーズ最高位 | 5位(2006) |
※ データは全日本GT選手権時代を含む
※ レクサスはブランドだが便宜上メーカーとした
クラフトと聞いて最近のスーパーGTファンは日産系のGT500チーム クラフトスポーツを連想するかもしれないし、往年のファンは、由良拓也氏率いるムーンクラフトを思い出す方もいるかもしれません。
しかしこのGT500チームのクラフトは、クラフトスポーツやムーンクラフトとはまったく関係ありません。
1992年に設立したクラフトは、1997年に全日本GT選手権GT300クラスに参戦を開始。
1999年には現在も人気があるAE86のトレノをレーシングマシンに改造し、全日本GT選手権にエントリーしたことで話題になりました。私も富士スピードウェイではじめてみた時、まわりのレーシングマシンに混じり、1台だけいかにも『市販車を頑張って改造しました』と言わんばかりの形状を見て、度肝を抜かれました。
2001年までAE86トレノで参戦し、2002年からはGT500クラスにステップアップ。スーパーGTに名称が変わった2005年には、2台体制でスープラを走らせました。
2006年に1台体制に戻り、その後2012年までスーパーGT GT500クラスに参戦しますが、この年を最後にGT500クラスの参戦を断念。
参戦断念に際し橋本代表は、
「誠に残念ではございますが、今シーズンGT500クラスへの参戦は断念致しました」
「この結論に至るまでには色々と難しい問題がございましたが……ここにそのすべてを書く事はできません。GT500クラスはメーカー同士の戦いであり、チームの意思だけではいかんともし難いクラスであるという事をご理解頂ければ幸いと存じます」
auto sport webより引用
というコメントを残しました。
自動車メーカーが大きく関与するカテゴリーだけに、大企業の戦いの中で自チームの参戦継続のために、非常にご苦労があったのだとコメントから推測できますね・・・。
その後2013年にボンズレーシングと名称を変更しGT300クラスへ参戦しますが、第2戦を最後にスーパーGTから完全に撤退してしまいました。
ハセミモータースポーツ
メーカー | 日産 |
カーナンバー | 3 |
GT500活動期間 | 1994-2000・2004-2009 |
実働 | 13年 |
ドライバーズ シリーズ最高位 | 2位(1994・1995) |
チームズ シリーズ最高位 | 3位(1994・1995) |
※ データは全日本GT選手権時代を含む
※ 1994・1995はGT500ではなくGT1
ハセミモータースポーツは、長年にわたり日産のワークスドライバーとして活躍した、長谷見昌弘が代表を務めるレーシングチームです。
スーパーGTの前身である全日本GT選手権には、発足初年度より最上位のGT1クラス(GT500クラスに相当)に、代表の長谷見昌弘と関わりの深い日産のスカイラインGT-Rで参戦し、1年目・2年目ともにクラス2位という好成績を記録。
その後も2000年まで日産系GT500チームとして全日本GT選手権に参戦しました。
そして2001年からの3年間は戦いの場をGT300クラスに変更し、強豪チームとしてチャンピオンを獲得。
2004年からふたたびGT500クラスに上がり、シリーズ名称がスーパーGTと変更になった後2009年まで参戦。
その後2010年にまたもGT300にクラス変更しチャンピオンに輝きますが、その年をもってスーパーGTから完全に撤退をしました。
撤退の理由は定かではないが、チーム曰く、
「翌年のメインスポンサーも決まっておりましたが、諸般の理由により参戦を断念します」
とのこと。
何か奥歯に物が挟まったような言い回しで、スッキリしません。メーカーから圧力があったのでしょうか・・・。
ハセミモータースポーツは現在レーシングチームとしての活動はしていないが、アフターパーツの販売等で会社としては存続しているようです。
次のページでは残す3チームを紹介します
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