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マクラーレンMP4-14 ミカ・ハッキネン2度目のチャンピオンマシン【ミニカー#53】

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はマクラーレンが1999年のF1に参戦するために開発したマクラーレンMP4-14を取り上げていきたいと思います。

マシンデータと戦績

まずはマクラーレンMP4-14の主要諸元をチェック。

年式1999年
カテゴリーF1
チームマクラーレン
マシン名MP4-14
デザイナーエイドリアン・ニューウェイ(テクニカルディレクター)
エンジンメルセデス
FO110H

マクラーレンMP4-14は、空力の鬼才として知られるエイドリアン・ニューウェイがウィリアムズからマクラーレンに移籍してきて、始めて一から仕上げたマシンだ。

次にマクラーレンMP4-14の戦績を確認してみる。

コンストラクターハッキネンクルサード
シーズン順位2位1位4位
シーズンポイント124P76P48P
優勝7回5回2回
ポールポジション11回11回0回
ファステストラップ9回6回3回

ドライバーズタイトルを2年連続で獲得したマシン。

ちなみにコンストラクターズタイトルはフェラーリが16年ぶりに獲得した。

ハッキネンもクルサードも名ドライバーだが、特にポールポジションはハッキネンが11回も獲得しており、予選では彼の速さが際立ったシーズンだった。

マクラーレンMP4-14のミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のマクラーレンMP4-14を撮影する。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

前年に初のドライバーズタイトルを獲得したハッキネンが、生涯で唯一カーナンバー1をつけて戦ったシーズン。

WESTタバコがメインスポンサーだった当時のマクラーレンだが、タバコ広告禁止のレースではドライバーのファーストネーム『Mika』の文字が入る。

タイヤはこの年からフロントも4本溝が入った。

前年のマクラーレンMP4-13と外観上は大きな違いは見られないが、中身を大きく変化させてきた。

スターティンググリッドに移動。

奥に見えるのはハッキネンのライバルであるミハエル・シューマッハのフェラーリF399。

しかしシューマッハはイギリスグランプリでの骨折で、戦線を離脱することになる。

デーモン・ヒルやジャック・ヴィルヌーヴ、ハッキネンなど、多くのライバルと戦い、7度ものドライバーズタイトルを獲得したシューマッハは後年、

「自分の唯一のライバルはハッキネンだった」

と語っている。

後方に見えるイエローのマシンは、ハインツ=ハラルド・フレンツェンのジョーダン199。

ジョーダンもこの年2勝をあげて飛躍を遂げたシーズンだった。

この年何度も表彰台に上がったハッキネン。

私はハッキネンが表彰台で見せる、片膝をついてのダブルオッケーサイン?が苦手だった・・・。

マクラーレンMP4-14は、11回のポールポジションを獲得しているとおり、速さではライバルのフェラーリF399を上回っていた。

だが決勝では信頼性で不安を抱えており、2台合わせて12回のリタイヤを記録している。

シルバーアローと呼ばれたシルバーとブラックの色味は、センスを感じる素晴らしいカラーリングだった。

このウエストカラーは、長年サポートを受けてきたマールボロがマクラーレンから撤退した翌年の1997年から、ウエストタバコが撤退する2005年まで9年間つづいた。

以上、1/43のマクラーレンMP4-14を実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【ixo製】マクラーレンMP4-14

デアゴスティーニF1マシンコレクションの14号で、製造はイタリアのixoが担当。

【マテル製】フェラーリF399

マテルの通常ラインナップで、2000年に購入し、その後Marlboroのデカールを貼り付けた。

【ixo製】ジョーダン199

デアゴスティーニF1マシンコレクションの27号で、製造はixo。

【ixo製】スチュワートSF3

デアゴスティーニF1マシンコレクションの55号で、製造はixo。

最後に

マクラーレンMP4-14は、予選で11度のポールポジションを記録していることからも分かるとおり、マシンの純粋な速さといった点ではライバルのフェラーリF399を上回っていたが、レースではメカニカルトラブルでリタイヤすることが多く、信頼性で不安を抱えていた。

そのためシーズン第13戦のイタリアグランプリまでは、ハッキネンと両雄のクルサード、フェラーリのエディ・アーバインとジョーダンのフレンツェンの四つ巴のタイトル争いになった。

第14戦のヨーロッパグランプリでクルサードとフレンツェンがリタイヤすると、マクラーレンのハッキネンとフェラーリのアーバインの一騎打ちの様相を呈し、怪我から復帰したシューマッハが強力にアーバインをサポートするが、最終戦の日本グランプリでハッキネンが見事に勝利し、チャンピオンを手中に収めた。

もしシューマッハがシーズンを通して戦っていたら、どのような結末が待っていたのかと、いまだに考えてしまう時がある。

だがハッキネンは最大のライバルであるシューマッハが戦線を離脱したことにより、たまに決勝での集中力を欠いていたように私は感じられた。

ライバルシューマッハがいたらレースでのハッキネンの速さがさらに磨きがかかり、やはり結末は同じくハッキネンに軍配が上がったのかもしれない。

以上、今回は1/43のマクラーレンMP4-14を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。