1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、記念すべき第100回の今回は、ティレルが1990年のF1に参戦するために開発した、ティレル019を取り上げる。
私がもっとも好きなF1マシンのうちの1台であるティレル019のミニカーを撮り、中嶋悟氏の現役時代を思い出してみたいと思う。
では第100回記念、いってみよー!
ザックリ見出し
マシンデータと戦績
まずはティレル019の主要諸元を、いつものようにチェックしてみる。
年式 | 1990年 |
カテゴリー | F1 |
コンストラクター | ティレル |
マシン名 | 019 |
デザイナー | ハーベイ・ポスルスウェイト ジャン=クロード・ミジョー |
エンジン | フォードDFR(ハートチューン) |
つづいてティレル019の戦績を見てみる。
コンストラクター | 中嶋悟 | アレジ | |
---|---|---|---|
シーズン順位 | 5位 | 15位 | 9位 |
シーズンポイント | 16P | 3P | 13P |
優勝 | 0回 | 0回 | 0回 |
表彰台 | 1回 | 0回 | 1回 |
ポールポジション | 0回 | 0回 | 0回 |
ファステストラップ | 0回 | 0回 | 0回 |
F1初のハイノーズマシン
1990年のF1第3戦サンマリノグランプリから登場した、ティレルの1990年型マシン019は、それまでのマシンと一線を画していた。
その最大の特徴が、マシン前端部を高くしたいわゆるハイノーズと呼ばれる画期的な空力処理だっだ。
マシンのノーズを持ち上げることで、モノコック下に大量の空気を取り込み、グランドエフェクト効果で大きなダウンフォースを発程することを狙った。
そのノーズは、形状と鮮やかなブルーのカラーリングからイルカになぞられ、ドルフィンノーズと呼ばれることになる。
またフロントウイングは、ノーズコーンの下部から斜めに湾曲して生えており、アンヘドラル(下反角)ウイングや、戦闘機のF4Uコルセアの翼のような形状からコルセアウイングと呼ばれた。
この設計思想はジャン=クロード・ミジョーのアイデアであり、ミジョーのフロント部分を持ち上げる手法は、翌1991年以降多くのチームで採用された。
ただフロントウイングの取り付け方法は、ジョーダン191やフットワークFA13のようなティレル019に似た仕様もあったが、ベネトンB191で初採用された吊り下げ式がその後の主流となっていった。
ティレル019は前述のとおり第3戦のサンマリノグランプリでデビューし、ジャン・アレジが6位に入賞している。
そして翌第4戦のモナコグランプリの予選では、アレジがアイルトン・セナ、アラン・プロストに次ぐ3位のタイムをたたき出す。
決勝ではレース中盤にプロストがリタイヤすると2位に浮上。
3位のゲルハルト・ベルガーの猛追を受けるも、エンジンに不調を感じてペースダウンしていたセナにジリジリと詰め寄り、結局セナの約1秒後方でチェッカーを受け、2位表彰台を獲得したのだった。
しかし、それ以降夏場のレースではピレリタイヤの性能低下に苦しみ、アレジはポイントを獲得することは叶わず、後半戦では中嶋悟が粘り強い走りを見せてイタリアグランプリと日本グランプリで2度の6位入賞を果たしている。
結局この年はアレジの2度の2位(そのうち1度は018)で大きくポイントを稼ぎ、コンストラクターズ選手権では4強(マクラーレン・フェラーリ・ベネトン・ウィリアムズ)に次ぐ5位に入り、古豪復活を予感させたのだった。
では、そのティレル019のミニカーを詳しく見ていこう。
ティレル019のミニカーを実車のように撮る!
それでは1/43のティレル019を撮影していこうと思う。
もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。
ティレル019はF1初のハイノーズマシン。
マーチ881など、それまでもノーズ下から空気を取り入れて、ダウンフォースを稼ぐ手法を取り入れたマシンは存在したが、これほどまでにノーズを高くしたF1マシンはティレル019が初めてだっだ。
そしてこのカーナンバー3に乗るのは、日本初のフルタイムF1ドライバー中嶋悟。
リヤウイングのカチッとした造りはさすがスパーク製。いつものixo製ミニカーとは一線を画している。
そのリヤアングルから僅かに見えるティレル019のエンジンは、かつてF1で一世を風靡したフォードDFVの進化型であるフォードDFRだが、普通のDFRではなく、エンジンチューナーとして有名なハートがチューンした特別バージョンだった。
だが、ティレルは019設計中の1989年末にホンダと契約を交わし、1991年からのホンダエンジン供給が決まっていたという。
ティレル019のフロントウイング通称アンヘドラルウイングは、吊り下げ式ではなく、ノーズの斜め下からステーを介して取り付けられていたが、この手法ではフロントのダウンフォースが不足していた。
翌1991年、ベネトンB191が吊り下げ式ウイングを初採用しフロントダウンフォース不足を解消したため、その後ベネトン式がF1マシンの主流になった。
ちなみにこのマシンの空力を担当したミジョーによると、ハイノーズコンセプトは彼がルノーに在籍していた1985年から温めていたアイデアだという。
そのデザインは後のF1の主流になるベネトンB191風の吊り下げ式だったらしい。
しかしそれを見た上司のポスルスウェイトは、「格好が悪い」と言ったため、見た目を良くするためにこのようなデザインに変更したという。
白地に赤鉢巻、そして赤帯部分に白抜きでNAKAJAMAと書かれるこのヘルメットデザインは、中嶋家の伝統。
長男中嶋一貴がこれをオマージュしたヘルメットでF1に参戦した時は本当に嬉しかったし、次男中嶋大祐が鈴鹿サウンドオブエンジン2019で、同じく父のものをオマージュしたヘルメットで父のティレル019に乗ってデモラン(冒頭の実車写真参照)した時も、胸が張り裂けそうなくらいに感動した。
きっとF1ブーム世代のファンの多くは、このシンプルなヘルメットに愛着を持っていることだろう。
ティレル019をスターティンググリッドに移動してみた。
奥に見えるのが、この年最強を誇っていたアイルトン・セナのマクラーレンMP4/5B。
タイヤウォールにピレリのロゴが確認できる。
現在のF1タイヤはピレリのワンメイクだが、当時はマルチメイクで、アメリカのグッドイヤーが覇権を握っていた。
そんな中に飛び込んだピレリは・・・はっきりいってグッドイヤーに対してかなりの劣勢で、ティレルもこのシーズンはタイヤに泣かされることになる。
ティレル019のタイヤがグッドイヤーだったら・・・当時の多くの日本人F1ファンは、そう思っていただろう。
エプソンやPIAA、日本信販など、中嶋悟関係の日本企業のスポンサーロゴが目立つが、エンジンカウルのスポンサースペースが大きく空いているのを気になる方も多いだろう。
じつはこの年このスペースに大口のスポンサーロゴが描かれる予定だった。
そのスポンサーとはロスマンズ。
当時ティレルは、マクラーレンマーケティングと業務提携をしていた。
この業務提携の理由は、1991年からのホンダエンジン搭載を見据え、ホンダエンジンを積むマクラーレンがティレルに戦闘力があるチームになってもらうためということと、マクラーレンが仲介料で儲かるから。
そのマクラーレンマーケティングが紹介したスポンサーがロスマンズだった。
ティレルはマシンのカラーリングをロスマンズのブルーとホワイトにして、契約は寸前だったのだが・・・。
しかし気分屋で知られるティレルのオーナーケン・ティレルは直前で契約を破棄。
理由は諸説あるが、マクラーレンとティレルの提携では、ある一定のスポンサー料を超えた分に関しては、マクラーレンにそのスポンサー料が入るという契約で、ケン・ティレルはマシンに描かれたチームロゴに対して金額が見合わないということで、ロスマンズとのスポンサー契約を断ったのでは、という説が有力だと私は思う。
ただ当時マクラーレンのメインスポンサーはマールボロ(フィリップモリス)で、紹介したスポンサーがライバルのロスマンズ。もしかしたら、そこでのイザコザが原因かもしれない・・・。
いずれにせよティレル019は、ロスマンズのブルーとホワイトのカラーリングだけがそのまま残されて、1990年シーズンを戦った。
以上、1/43のティレル019を実車のように撮影してみた。
今回登場したミニカー
今回撮影に登場したミニカーを紹介する。
【スパーク製】ティレル019
2020年に発売された、レーシングオンとスパークのアニバーサリーモデル『1/43″Japanese F1 Pioneers” 中嶋悟/鈴木亜久里/片山右京 3台セット 限定BOX』の中の1台。
F1ブーム世代のF1ファンに『もっとも好きなF1マシンは』と質問すれば、多くの方がティレル019と答えるだろうが、版権の問題なのかモデル化されることが少ないマシンだった。
しかし精度の高いスパークからこのモデルを含めた3台セットが発売されていることを知り、3万円を超える価格だったがこのモデルを目当てに即座に購入した。
【ixo製】マクラーレンMP4/5B
デアゴスティーニのF1マシンコレクション第25号で、製造はイタリアのixoが担当している。
今回の撮影機材
今回ミニカーを撮影したカメラ機材を紹介する。
カメラ | キヤノンEOS R5 |
レンズ | キヤノンRF35mm F1.8 IS STM |
スピードライト | キヤノン430EX Ⅱ |
三脚 | ベルボンEX-Macro |
最後に
1990年第4戦のモナコグランプリ。
このレースは文中でも書いたとおり、ティレル019を駆るジャン・アレジがグリッド3番手からスタートし、トップチェッカーのアイルトン・セナの後方1秒差でフィニッシュし、その当時としては特異なハイノーズマシンとアレジの素晴らしい才能で、中継のほとんどがティレル019とアレジの話題だった。
じつは私、日本グランプリ以外でF1中継を観たのはこのレースが初めてで、そのデビューレースでアレジとティレル019の活躍に大興奮し、以降現在まですべてのグランプリを観ることになった。
F1中継観戦デビュー年では、このティレル019に乗る中嶋悟に魅了された1年であった。
アレジに比べると派手さはないが、厳しいレースでも諦めず精一杯の走りを見せ、リタイヤしても言い訳をせずに次のレースに挑む姿に、日本人らしさが随所に垣間見え、浪花節的な彼に惚れたのだった。
中嶋悟が引退し30年が経った今(2021年現在)でも、スーパーGTやスーパーフォーミュラなど国内レース観戦にあたっては、ナカジマレーシングを懸命に応援している。
そんな私をモータースポーツに誘ったティレル019と中嶋悟を、『ミニカーで振り返るレーシングマシンシリーズ』の記念すべき100回目として取り上げさせてもらったが、いかがだっただろうか。
以上、最後までご覧いただきありがとうございました。
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