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ARTAの歴代GT500マシン ドライバー タイトルスポンサー タイヤ 成績一覧(1998-2024)

ARTAは、元F1ドライバーの鈴木亜久里さんとカー用品店チェーンの業界最大手オートバックスがタッグを組み、F1でチャンピオン争いをできるようなドライバーを発掘育成するために1997年に設立しました。

ちなみにARTAは『AUTOBACS RACING TEAM AGURI』の頭文字を取って命名されています。

そんなARTAがスーパーGTの前身である全日本GT選手権に参戦を開始したのがプロジェクト発足の翌年にあたる1998年。

それではARTAのGT参戦の歴史を年代順に見ていきましょう。

敬称について

現役選手の敬称については〇〇選手と表記すれば失礼がないと思いますが、引退選手の敬称についてはどのように表記すればいいのか・・・いつも悩んでしまいます。

〇〇元選手?それとも〇〇氏?いやちょっと硬いですね。では〇〇さん?うーん、チカラが抜けてしまいます。

色々考えましたが、現役時代のことについて書くため引退選手に関しても〇〇選手と表記します。

ちょっと違和感があるかもしれませんがあしからず。

1998年

50号車
  • ドライバー:本山哲(加藤寛規)/土屋武士
  • マシン:スカイラインGT-R(R33)
  • タイトルスポンサー:オートバックス
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:12位
  • チームズランキング:10位

ARTAが全日本GT選手権に参戦を開始したのは1998年でした。

現在はホンダとともにレース活動を行うARTAですが、参戦初年度は日産陣営としてR33型スカイラインGT-Rを使用。タイヤはブリヂストンと契約をします。

ドライバーも日産でステップアップを重ねてきた本山哲選手と土屋武士選手(後にトヨタに移籍)のコンビ。ちなみにプロジェクトの代表を務める鈴木亜久里選手は当時ニスモから参戦していました。

GT500クラスのARTAのカーナンバーといえば8ですが、参戦初年度はカーナンバー50を選択します。

1998年シーズンは同じ日産勢のニスモがタイトルを獲得。同じく日産のチームインパルもランキング3位に入り、R33型スカイラインGT-Rが速さを見せた年でしたが、参戦初年度のARTAはシーズン最高位が第4戦富士と第5戦もてぎでの6位と苦戦。ドライバーズランキングは12位に終わりました。

2000年

8号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:鈴木亜久里/土屋圭市
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:オートバックス
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:13位
  • チームズランキング:8位

1999年シーズンはチームとしての参戦はせず、鈴木亜久里選手がドライブするニスモ2号車にARTAがジョイントする形でした。

そして2000年。この年からARTAは日産陣営を離れホンダ陣営に加入。マシンは初代NSX-GTです。

カーナンバーもこの年からお馴染みの8に変更されています。

ドライバーはニスモから移籍した鈴木亜久里選手とサードから移籍したドリキン土屋圭市選手のコンビ。元F1ドライバーと大人気レーシングドライバーのコンビで話題を呼びました。

そんな新たな体制で挑んだシーズンでしたが、全7戦中3度のリタイヤと1度の失格でドライバーズランキングは13位と燦々たる結果でした。

しかしセパンで行われたスペシャルラウンドでノンタイトルレースではあるもののチーム初優勝を達成しています。

鈴木亜久里選手はこの年を最後にドライバーを引退。以降はARTAプロジェクトの総監督に専念することになります。

2001年

8号車
  • ドライバー:土屋圭市/金石勝智
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:オートバックス
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:2位
  • チームズランキング:4位

2001年のARTAのドライバーラインナップは、レーシングドライバーを引退した鈴木亜久里選手に代わり金石勝智選手が加入し、土屋圭市選手とコンビを組みます。

そんな2001年シーズンは、TIサーキット英田(現岡山国際サーキット)で行われた開幕戦でチーム初の表彰台(2位)を獲得し、第3戦SUGOでも2位になり、シーズン序盤は素晴らしい成績を残します。

その好調さは後半になっても衰えず、第6戦の鈴鹿でシリーズ戦初となる優勝を遂げ、参戦3年目にしてシリーズタイトルを賭けて最終戦に。

しかしその最終戦MINEでは痛恨のリタイヤを喫し、2ポイント差で涙を呑みました。

2002年

8号車
  • ドライバー:土屋圭市/金石勝智
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:オートバックス
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:10位
  • チームズランキング:8位

2002年も土屋圭市選手と金石勝智選手のコンビで参戦をします。

前年の屈辱を胸に挑んだ2002年シーズンは、第3戦のSUGOでチーム初のポールポジションを獲得するも、レースでは上位に食い込むことなく最終戦を前に最高位フィニッシュは4位と苦戦。

最終戦の鈴鹿では2位に入るも、ドライバーズランキングは前年の2位から10位へと転落してしまいました。

2003年

8号車
2003年JGTC第2戦にて
  • ドライバー:土屋圭市/金石年弘
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:オートバックス
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:19位
  • チームズランキング:13位

2003年のARTAのドライバーラインナップは、2年間チームに在籍した金石勝智選手がDTMに参戦するため、代わって金石勝智選手の従弟の金石年弘選手が加入。

この年はNSX-GTのエンジン搭載を横置きから縦置きに変更したり、車重補正規制でプラス補正になったことでホンダ勢が苦戦。ARTAもその煽りを受け、開幕から第5戦まで1ポイントも獲得できない厳しいレースが続きました。結局ドライバーズランキングは参戦以来もっとも悪い19位という成績でした。

4年間チームに在籍した土屋圭市選手はこの年を以て引退し、その後はARTAのチーム運営に携わることになります。

2004年

8号車
  • ドライバー:金石勝智/伊藤大輔
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:オートバックス
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:15位
  • チームズランキング:13位

全日本GT選手権最終年の2004年は、前年まで所属した土屋圭市選手が引退。さらに金石年弘選手が日産陣営のハセミモータースポーツに移籍したため、ドライバー2人が刷新。

1人はDTM活動終了した金石勝智選手が復帰。もう1人は童夢から移籍した伊藤大輔選手のコンビで参戦します。

ホンダ勢はこの年からNSX-GTにターボを搭載して参戦しますが、この年も戦闘力がなく苦戦。

ARTAは前年から2年連続して表彰台を獲得できず、ドライバーズランキングは15位と、この年も惨敗に終わりました。

次のページでは2005年から2010年のARTAを紹介します

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。