フォードコスワースHBを投入
コスワースは1989年にフォードの資金提供を受けたまったくの新設計エンジン、フォードコスワースHBを投入。ワークス待遇のベネトンに搭載されました。
フォードコスワースHBは同年にシリーズⅡに、1990年シリーズⅢ、シリーズⅣ、1991年シリーズⅤ、シリーズⅥ、1992年シリーズⅦ、1993年シリーズⅧと、年々進化を遂げていきます。
基本的にワークス待遇のベネトンに供給され、カスタマーチームにはバージョン落ちスペックが供給されましたが、1993年だけは第9戦からマクラーレンにも最新スペックが供給されました。
結局フォードコスワースHBは1994年まで使用され、10回の優勝を記録するのでした。
フォードコスワースZETEC-Rで悲願の王者奪還
1989年から進化されながら長く使用されたフォードコスワースHBエンジンでしたが、1994年にまったくの新設計エンジン、フォードコスワースZETEC-Rを投入。このエンジンもまたコスワースが製作してフォードが資金提供したエンジンでした。
F1は10気筒や12気筒のいわゆるマルチ気筒エンジンが主流でした。コスワース(フォード)も1991年からV型12気筒の開発を行っていましたが断念。その開発をフィードバックさせたのがフォードコスワースZETEC-Rでした。
このエンジンもワークス待遇のベネトンに投入すると、開幕戦でエースミハエル・シューマッハ選手が優勝し、続く第2戦のパシフィックグランプリでも連勝。
結局開幕7戦で6勝を飾る快進撃で、ベネトンとシューマッハ選手の初王者にフォードコスワースZETEC-Rが大きく貢献しました。
しかし長年ワークス待遇としてフォードと二人三脚で戦ったベネトンは翌年からルノーエンジンにスイッチ。フォードコスワースZETEC-Rは1995年シーズンからザウバーに供給先を変更します(レギュレーションにより排気量が3.5Lから3.0Lに変更)。
1996年にフォードコスワースZETEC-RはF1の主流になっていたV型10気筒に仕様変更をして、ザウバーへワークス供給を続けます。
その後ZETEC-R SCやZETEC-R VJと進化しながら2001年まで使用されました。
フォードの全面的バックアップでスチュワートがF1参戦
3度の世界チャンピオンジャッキー・スチュワートはすべてのチャンピオンをフォードコスワースDFVエンジンを搭載したマシンで獲得し、現役を引退してからはフォードのコンサルタントを務め密接な関係にありました。
そんな中ジャッキー・スチュワートは、息子のポール・スチュワートが運営する国際F3000チームポールスチュワートレーシングのF1参戦プロジェクトをフォードに提案。1995年末にフォードから承認されました。
プロジェクトは順調に進行し、1997年にF1参戦を果たしたスチュワートグランプリ(ポールスチュワートレーシングから改名)のマシンには大きくブルーオーバルのフォードロゴが描かれて、エンジンは当時のフォードの最新スペック、フォードコスワースZETEC-R SCが与えられました。
1999年には最新のフォードコスワースCRエンジンを搭載し、スチュワートの初優勝に大きく貢献しました。
フォードがジャガーブランドでF1に参戦
1998年にフォードは長年F1エンジン開発を共にしたコスワースのレーシング部門を完全子会社化します。
さらに翌1999年にはこの年好調だったスチュワートグランプリも買収。翌2000年からフォードの傘下だったジャガーのブランドでF1に参戦することを発表します。
F1に登場したジャガーのマシンは鮮やかなメタリックグリーンにビッグキャットが特徴的でしたが、成績は前年のスチュワート時代から大幅に低迷。
結局2004年までの5シーズンを戦いましたが、決勝最高位は3位、コンストラクターズ最高位は7位と、大きな予算を持つ大手自動車メーカー系チームとしては考えられないような低迷ぶりで、フォード傘下のジャガーのF1参戦は何も得られぬまま終了しました。
まとめ
フォードは1967年から長きに渡りF1のエンジンを支えてきました。
1968年のグラハム・ヒル選手から1994年のミハエル・シューマッハ選手まで13回※のドライバーズチャンピオンに貢献。コンストラクターズチャンピオンに貢献した回数は10回※。そして積み上げた勝利の数はなんと176回※!
この勝利数は、フェラーリ、メルセデスに次いで第3位の記録※です。
※いずれも2022年終了時点
2023年1月にアンドレッティがキャデラック(GM)と組んでF1参戦を表明しましたが、個人的にはあまり好意的に思えませんでした。おそらく古くからのF1ファンの多くも同じでしょう。
もちろんGMは世界でも屈指の規模の自動車メーカー。しかしそれまでF1には何の貢献も無いからです。
しかし同じアメリカのフォードは違います。
2026年からレッドブルと組むと発表があった時、あのフォードがF1に帰ってくることを本当に嬉しく思いました。
古くはヨーロッパを中心に行われてきたF1。今でこそ世界的スポーツになり、フォードの母国であるアメリカでも人気のモータースポーツになりましたが、フォードが参入した1960年代はアメリカ人の一部しか受け入れられていなかったF1にいち早く参入し、F1の発展に大きく寄与したメーカーだから当然ですね。
レッドブルフォードが誕生する2026年が楽しみでならない!
以上、最後までご覧いただきありがとうございました。
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