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チームクニミツの歴代GT500マシン ドライバー タイトルスポンサー タイヤ 成績一覧(1994-2024)

1999年

100号車
  • ドライバー:高橋国光/飯田章
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:レイブリック
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:11位
  • チームズランキング:6位

1999年もチームクニミツのドライバーラインナップは高橋国光選手と飯田章選手。ただ翌年還暦を迎える高橋国光選手はこの年を最後にレーシングドライバーを引退することを発表します。

この年は第2戦富士で優勝を記録。59歳の高橋国光選手にとってはこれがレーシングドライバーとして最後の優勝になりました。

結局1999年シーズンはドライバーズランキング11位。高橋国光選手は翌年から監督としてチームクニミツを指揮することになります。

2000年

100号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:飯田章/服部尚貴
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:レイブリック
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:15位
  • チームズランキング:11位

2000年は引退した高橋国光選手に代わり、前年までアメリカのCARTに参戦していた服部尚貴選手が加入します。

この年はチャンピオンを獲得したチーム無限を筆頭に好調なホンダ陣営でしたが、チームクニミツは苦戦。結局1度も表彰台を獲得することなく、ドライバーズランキングはチーム史上もっとも悪い15位でシーズンを終えています。

2001年

100号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:飯田章/伊藤大輔
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:レイブリック
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:10位
  • チームズランキング:9位

2001年は前年チームに加入した服部尚貴選手がチームインパルに移籍。代わりにナカジマレーシングから伊藤大輔選手が加入します。

この年は第3戦SUGOでポールポジションを獲得するも、前年同様に1度も表彰台を獲得することなく、ドライバーズランキングは10位でした。

2002年

100号車
  • ドライバー:加藤寛規(金石年弘)/光貞秀俊
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:レイブリック
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:4位
  • チームズランキング:6位

2002年は5年間チームに在籍した飯田彰選手がトヨタ陣営のチームルマンに、伊藤大輔選手はチーム無限に移籍します。

代わりに加入したのは加藤寛規選手と光貞秀俊選手。ドライバー2人が同時に変更します。

シーズンは第3戦SUGOで1999年以来3年ぶりの表彰台(2位)を獲得。さらに第6戦もてぎでも2位に入り、ドライバーズランキングは4位まで上げました。

2003年

100号車
2003年JGTC第2戦にて
  • ドライバー:加藤寛規/光貞秀俊
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:レイブリック
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:12位
  • チームズランキング:9位

2003年も加藤寛規選手と光貞秀俊選手のドライバーコンビを継続。

シーズンはすべてのレースで完走を果たすも、最高位は5位と速さがなく、結局ドライバーズランキングは12位と厳しい年でした。

次のページでは2004年から2008年のチームクニミツを紹介します

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。