1999年
- ドライバー:高橋国光/飯田章
- マシン:NSX-GT(初代)
- タイトルスポンサー:レイブリック
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:11位
- チームズランキング:6位
1999年もチームクニミツのドライバーラインナップは高橋国光選手と飯田章選手。ただ翌年還暦を迎える高橋国光選手はこの年を最後にレーシングドライバーを引退することを発表します。
この年は第2戦富士で優勝を記録。59歳の高橋国光選手にとってはこれがレーシングドライバーとして最後の優勝になりました。
結局1999年シーズンはドライバーズランキング11位。高橋国光選手は翌年から監督としてチームクニミツを指揮することになります。
2000年
- ドライバー:飯田章/服部尚貴
- マシン:NSX-GT(初代)
- タイトルスポンサー:レイブリック
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:15位
- チームズランキング:11位
2000年は引退した高橋国光選手に代わり、前年までアメリカのCARTに参戦していた服部尚貴選手が加入します。
この年はチャンピオンを獲得したチーム無限を筆頭に好調なホンダ陣営でしたが、チームクニミツは苦戦。結局1度も表彰台を獲得することなく、ドライバーズランキングはチーム史上もっとも悪い15位でシーズンを終えています。
2001年
- ドライバー:飯田章/伊藤大輔
- マシン:NSX-GT(初代)
- タイトルスポンサー:レイブリック
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:10位
- チームズランキング:9位
2001年は前年チームに加入した服部尚貴選手がチームインパルに移籍。代わりにナカジマレーシングから伊藤大輔選手が加入します。
この年は第3戦SUGOでポールポジションを獲得するも、前年同様に1度も表彰台を獲得することなく、ドライバーズランキングは10位でした。
2002年
- ドライバー:加藤寛規(金石年弘)/光貞秀俊
- マシン:NSX-GT(初代)
- タイトルスポンサー:レイブリック
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:4位
- チームズランキング:6位
2002年は5年間チームに在籍した飯田彰選手がトヨタ陣営のチームルマンに、伊藤大輔選手はチーム無限に移籍します。
代わりに加入したのは加藤寛規選手と光貞秀俊選手。ドライバー2人が同時に変更します。
シーズンは第3戦SUGOで1999年以来3年ぶりの表彰台(2位)を獲得。さらに第6戦もてぎでも2位に入り、ドライバーズランキングは4位まで上げました。
2003年
- ドライバー:加藤寛規/光貞秀俊
- マシン:NSX-GT(初代)
- タイトルスポンサー:レイブリック
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:12位
- チームズランキング:9位
2003年も加藤寛規選手と光貞秀俊選手のドライバーコンビを継続。
シーズンはすべてのレースで完走を果たすも、最高位は5位と速さがなく、結局ドライバーズランキングは12位と厳しい年でした。
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