2001年
- ドライバー:黒澤琢弥/土屋武士
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:カストロール
- タイヤ:ミシュラン
- ドライバーズランキング:12位
- チームズランキング:5位
- ドライバー:山路慎一/ワイン・ガードナー
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:マツモトキヨシ/ZENT
- タイヤ:ミシュラン
- ドライバーズランキング:5位
- チームズランキング:5位
2001年からトムスは2台体制に戻します。
ドライバーは長年トムスのエースドライバーだった関谷正徳選手が引退したため、36号車が土屋武士選手と復帰した黒澤琢弥選手のコンビ。前年に35号車をドライブした山路慎一選手が37号車に変更し、元世界GP王者のワイン・ガードナー選手とコンビを組みます。
37号車のタイトルスポンサーがマツモトキヨシとZENTに変更されました。
成績は37号車が1999年以来2年ぶりに優勝を遂げ、前年からやや復調の兆しが見えました。
2002年
- ドライバー:土屋武士/ワイン・ガードナー
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:トクホン
- タイヤ:ミシュラン
- ドライバーズランキング:7位
- チームズランキング:5位
- ドライバー:黒澤琢弥/パオロ・モンティン
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:ZENT
- タイヤ:ミシュラン
- ドライバーズランキング:11位
- チームズランキング:5位
毎年のようにドライバーを変更するトムスは、この年もワイン・ガードナー選手が37号車から36号車に変更し、黒澤琢弥選手が37号車に行き新加入のパオロ・モンティン選手と組みます。
全日本GT選手権初年度からタイトルスポンサーを長年勤めていたカストロールは前年を最後にトムスのスポンサーを降り、この年から36号車はトクホンに変更。37号車はマツモトキヨシが外れZENT一社になりました。
ZENTといえば長年セルモのタイトルスポンサーを務めていることで有名ですが、当時はトムスがZENTカラーだったのです。
この年は未勝利に終わりドライバーズランキング最高位は36号車の7位と低迷中です。
2003年
- ドライバー:土屋武士/エリック・コマス
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:ウッドワン
- タイヤ:ミシュラン
- ドライバーズランキング:5位
- チームズランキング:4位
- ドライバー:黒澤琢弥/マルコ・アピチェラ
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:ZENT
- タイヤ:ミシュラン
- ドライバーズランキング:18位
- チームズランキング:4位
2002年のトムスもドライバーラインナップを変更し、36号車はワイン・ガードナー選手から元F1ドライバーのエリック・コマス選手になり、土屋武士選手と組みます。37号車はモンティン選手からマルコ・アピチェラ選手に変更されました。
36号車はタイトルスポンサーが変更され、この年から木質建材メーカーのウッドワンカラーになりました。
成績はこの年も未勝利に終わり、36号車のドライバーズランキング5位が最高でした。
2004年
- ドライバー:土屋武士/マルコ・アピチェラ
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:ウッドワン
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:7位
- チームズランキング:3位
- ドライバー:ジェームス・コートニー/片岡龍也
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:ダイナシティ
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:6位
- チームズランキング:3位
全日本GT選手権最終年の2004年は36号車が土屋武士選手と昨年の37号車から変更のマルコ・アピチェラ選手のコンビ。37号車がともに新加入のジェームス・コートニー選手と片岡龍也選手のコンビでした。
37号車のタイトルスポンサーは不動産会社のダイナシティに変更。
またタイヤはミシュランと別れ、この年からブリヂストンへと変更。両社の関係は現在まで続きます。
2005年
- ドライバー:土屋武士/ジェームス・コートニー
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:ダイナシティ→オープンインタフェース
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:3位
- チームズランキング:3位
- ドライバー:片岡龍也/山本左近
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:ダイナシティ→オープンインタフェース
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:7位
- チームズランキング:3位
スーパーGTへとシリーズ名称が変更された2005年は、36号車にジェームス・コートニー選手が加入し、37号車は後にF1ドライバーになりその後衆議院議員になる山本左近選手が加入します。
37号車のタイトルスポンサーは36号車と同様にダイナシティになりますが、社長の不祥事などから第4戦でスポンサーを撤退。第5戦以降はソフトウェア開発のオープンインタフェースが2台のマシンのタイトルスポンサーになりました。
成績はトヨタによる大幅なスープラの改良で、36号車がドライバーズランキング3位に上昇。
2006年
- ドライバー:脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー(/エイドリアン・スーティル)
- マシン:SC430
- タイトルスポンサー:オープンインタフェース
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:1位
- チームズランキング:1位
2006年のトムスは大幅な変更がありました。
まずベースマシンをスープラからレクサスSC430に変更。そのマシンがトヨタから1台のみしかデリバリーされなかったため、1997年から続く複数台エントリーを解消し、この年は36号車の1台体制になりました。
ドライバーはともに新加入の脇阪寿一選手とアンドレ・ロッテラー選手のコンビ。ちなみにシリーズに組み込まれていた鈴鹿1000kmでは翌年からF1に参戦することになるエイドリアン・スーティルが第3ドライバーとしてエントリーしています。
この年トムスは復調し、1997年以来2度目となるドライバーズチャンピオンを奪取。さらにチームズとWタイトルを達成しました。
次のページでは2007年から2012年のトムスを紹介します