2000年
- ドライバー:星野一義/本山哲
- マシン:スカイラインGT-R(R34)
- タイトルスポンサー:カルソニック
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:3位
- チームズランキング:3位
2000年のチームインパルは1997年に在籍した本山哲選手が復帰します。
星野一義選手と師弟でコンビで挑んだシーズンは、第4戦富士で3位表彰台を獲得すると第6戦のMINEで4年ぶりの優勝を果たします。
さらに最終戦の鈴鹿でもシーズン3度目となる表彰台(3位)に上がり、ドライバーズランキングは3位になりました。
2001年
- ドライバー:本山哲/服部尚貴→星野一義
- マシン:スカイラインGT-R(R34)
- タイトルスポンサー:カルソニック
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:11位
- チームズランキング:10位
2001年シーズンのチームインパルは星野一義選手に代わり服部尚貴選手を起用し、本山哲選手とコンビを組みますが、第3戦終了後に服部尚貴選手が離脱して星野一義選手が復帰します。
前年は久々に上位で戦ったチームインパルでしたが、この年は第5戦もてぎの3位が最高位。ドライバーズランキングは11位に終わりました。
2002年
- ドライバー:星野一義→ブノワ・トレルイエ/田中哲也
- マシン:スカイラインGT-R(R34)
- タイトルスポンサー:カルソニック
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:23位
- チームズランキング:12位
2002年はニスモに移籍した本山哲選手に代わり田中哲也選手が星野一義選手のチームメイトになりますが、第5戦を最後に星野一義選手が引退。第6戦からはブノワ・トレルイエ選手を起用します。
そんな伝説のドライバー星野一義選手の最終年は、シーズンを通してインパルはまったく良いところがなく、第3戦SUGOの8位が唯一のポイント獲得でした。
結局ドライバーズランキングは田中哲也選手の23位が最高と、全日本GT選手権参戦以来最悪のシーズンとなりました。
2003年
- ドライバー:ブノワ・トレルイエ/井出有治
- マシン:スカイラインGT-R(R34)
- タイトルスポンサー:カルソニック
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:4位
- チームズランキング:5位
2003年のチームインパルのドライバーラインナップは、田中哲也選手に代えて井出有治選手が加入。前年後半から在籍するブノワ・トレルイエ選手とコンビを組みます。
この年は1999年から使用してきたR34型スカイラインGT-R最終年となる2003年シーズンは日産勢が好調でした。チームインパルも例外ではなく、第2戦の富士で2位表彰台に上がると、第4戦2度目の富士でシーズン初勝利を記録。さらに最終戦の鈴鹿でシーズン2勝目を上げますが、同じく日産のニスモがシーズン未勝利ながら着実にポイントを稼ぎチャンピオンを獲得。
インパルは出入りの激しいシーズンで2勝ながらも残念ながらドライバーズランキング4位に終わりました。
2004年
- ドライバー:ブノワ・トレルイエ/井出有治
- マシン:フェアレディZ(Z33)
- タイトルスポンサー:カルソニック
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:11位
- チームズランキング:9位
2004年シーズンのチームインパルのドライバーは、前年と同様にブノワ・トレルイエ選手と井出有治選手のコンビを継続。
Z33型フェアレディZを投入した日産勢。そのエースチームであるニスモはこの年も好調で連覇を達成。同じマシンを与えられたチームインパルも第3戦のセパンでポールポジションを獲得するなど時に速さを見せますが、2度のリタイヤを喫するなど決勝での結果が出ないシーズンでした。
それでも全日本GT選手権最終レースとなる最終戦の鈴鹿で優勝を上げ、最後の最後に意地を見せました。
2005年
- ドライバー:ブノワ・トレルイエ/井出有治
- マシン:フェアレディZ(Z33)
- タイトルスポンサー:カルソニック
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:11位
- チームズランキング:8位
シリーズ名称がスーパーGTに変わった2005年シーズンのチームインパルのドライバーは、この年もブノワ・トレルイエ選手と井出有治選手のコンビを継続。
この年は第5戦のもてぎでシーズン唯一の表彰台(3位)で、ドライバーズランキングは11位に終わりました。
次のページでは2006年から2010年までのチームインパルを紹介します