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F1日本開催での決勝入場者数推移(日本GP・パシフィックGP)

2002年日本GP(鈴鹿サーキット)

佐藤琢磨が乗ったジョーダンEJ12
2019年ホンダコレクションホールにて

決勝入場者数・・・155,000人

DATA
  • 決勝開催日・・・2002年10月13日
  • 開催地・・・鈴鹿サーキット
  • 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
  • 優勝ドライバー・・・ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
  • 日本人ドライバー・・・佐藤琢磨

2002年の日本グランプリは前年から5,000人増え155,000人(決勝)の来場者が詰めかけました。

来場者増加の最大の要因は日本人ドライバーの復活。

F1ドライバーの登竜門であるイギリスF3で日本人ではじめてチャンピオンを獲得した佐藤琢磨選手が、この年からジョーダンでF1にデビューしたため、彼を応援しに多くのファンが来場しています。

じつは私もそのひとり。

グランドスタンド横の最終コーナースタンドで観戦し、佐藤琢磨選手は私の声援に応え(?)見事5位に入賞。

レース後ホームストレートで日の丸の鉢巻をつけたメカニックに担がれ、我々ファンに手を振ってくれたシーンは今だ鮮明に覚えています。

2003年日本GP(鈴鹿サーキット)

この年はシケインスタンドで佐藤琢磨を応援した 懐かしい!
2003年日本GPにて

決勝入場者数・・・155,000人

DATA
  • 決勝開催日・・・2003年10月12日
  • 開催地・・・鈴鹿サーキット
  • 決勝日天気・・・曇り(ドライ)
  • 優勝ドライバー・・・ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
  • 日本人ドライバー・・・佐藤琢磨

2003年の日本グランプリも前年同様に決勝では155,000人の超満員でした。

この年はBRAチームのリザーブドライバーだった佐藤琢磨選手ですが、レース前にレギュラードライバーのヴィルヌーヴ選手から急遽交代し地元で2年連続出走となったため、慌ててチケットを購入したファンも多かったでしょう。

実は私もそのひとりです。

2004年日本GP(鈴鹿サーキット)

決勝入場者数・・・156,000人

DATA
  • 決勝開催日・・・2004年10月10日
  • 開催地・・・鈴鹿サーキット
  • 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
  • 優勝ドライバー・・・ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
  • 日本人ドライバー・・・佐藤琢磨

2004年の日本グランプリは過去最高だった1994年の決勝観客動員数を上回り、156,000人の観客で溢れかえりました。

その要因はなんといっても佐藤琢磨選手。

この年佐藤琢磨選手が所属するBARは絶好調で、チームメイトのジェンソン・バトン選手がハンガリーグランプリで優勝し、ホンダに第3期F1活動で初となる優勝をもたらし(第3期では唯一)、佐藤琢磨選手もアメリカグランプリで日本人2人目となる表彰台を獲得しました。

その再来を期待し、鈴鹿に多くの観客が来場。

土曜日の予選は台風のため中止。決勝日の午前中に急遽予選が行われたため、決勝しか来場できなかった私としては非常に嬉しく、S字コーナーの佐藤琢磨スタンドで声援を送った思い出があります。

しかし佐藤琢磨選手は惜しくも4位。

レース序盤にバトン選手に詰まらなかったらなあ・・・。

2005年日本GP(鈴鹿サーキット)

決勝入場者数・・・156,000人

DATA
  • 決勝開催日・・・2005年10月9日
  • 開催地・・・鈴鹿サーキット
  • 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
  • 優勝ドライバー・・・キミ・ライコネン(マクラーレン)
  • 日本人ドライバー・・・佐藤琢磨

2005年も前年と同様決勝日は156,000人の観客が押し寄せました。

雨に祟られた予選でトップチームが後方グリッドからスタートし、その中でマクラーレンのキミ・ライコネン選手が脅威的なペースで追い上げ、最終周にジャンカルロ・フィジケラ選手のルノーをオーバーテイクしたシーンが印象的なレースでした。

2006年日本GP(鈴鹿サーキット)

決勝入場者数・・・161,000人

DATA
  • 決勝開催日・・・2006年10月8日
  • 開催地・・・鈴鹿サーキット
  • 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
  • 優勝ドライバー・・・フェルナンド・アロンソ(ルノー)
  • 日本人ドライバー・・・佐藤琢磨、山本左近

2006年の日本グランプリは、2024年現在で最高となる161,000人(決勝)の観客を動員しました。

F1日本グランプリは1987年以来毎年鈴鹿サーキットで行われてきましたが、この年を最後に翌2007年から富士スピードウェイに開催場所を変更するため、最後の鈴鹿でのF1ということでファンが大挙したのです。

私はこの年も佐藤琢磨選手を応援しに鈴鹿サーキットを訪れましたが、スタンド裏の移動も大変に困難だったことを記憶しています。

2007年日本GP(富士スピードウェイ)

決勝入場者数・・・140,000人

DATA
  • 決勝開催日・・・2007年9月30日
  • 開催地・・・富士スピードウェイ
  • 決勝日天気・・・雨(ウエット)
  • 優勝ドライバー・・・ルイス・ハミルトン(マクラーレン)
  • 日本人ドライバー・・・佐藤琢磨、山本左近

2007年の日本グランプリは鈴鹿サーキットから富士スピードウェイに開催地が変更され、決勝では140,000人が来場しました。

前年の鈴鹿から21,000人も減少しましたが、これは富士スピードウェイのキャパが少ないのが原因だと思われます。

1977年以来のF1開催となった富士スピードウェイでは、仮設スタンドの勾配が緩やかでマシンが観られないというトラブルがありましたね。

またこのレースではマイカーでの会場入りを制限し、シャトルバスでの観客輸送を行ないました。

しかし周辺道路が陥没したり誘導が不慣れだったりと会場周辺が大混乱。運営面でさまざまなトラブルがありました。

2008年日本GP(富士スピードウェイ)

決勝入場者数・・・100,000人

DATA
  • 決勝開催日・・・2008年10月12日
  • 開催地・・・富士スピードウェイ
  • 決勝日天気・・・曇り(ドライ)
  • 優勝ドライバー・・・フェルナンド・アロンソ(ルノー)
  • 日本人ドライバー・・・中嶋一貴

前年のさまざまなトラブルを教訓にこの2008年はチケット販売数を大幅に縮小。その結果、決勝入場者数は前年から40,000人減り100,000人でした。

前年の最終戦から日本人初の2世ドライバー中嶋一貴選手がF1に参戦しており、初の凱旋レースでした。

復活2年目となった富士スピードウェイでのF1は様々な対策を講じ円滑にレースを終了することができましたが、翌年から鈴鹿、富士の隔年開催が決定。

その後2009年を最後にトヨタがF1を撤退し、系列の富士スピードウェイも2010年のF1開催を取り止めたため、富士スピードウェイでのF1開催はこの年を最後に行われていません。

2009年日本GP(鈴鹿サーキット)

当時iPhone3Gで撮影した写真 懐かしい!
2009年日本GPにて

決勝入場者数・・・101,000人

DATA
  • 決勝開催日・・・2009年10月4日
  • 開催地・・・鈴鹿サーキット
  • 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
  • 優勝ドライバー・・・セバスチャン・ベッテル(レッドブル)
  • 日本人ドライバー・・・中嶋一貴
フリー走行後トヨタブースに訪れた小林可夢偉
2009年日本GPにて

3年ぶりとなる鈴鹿サーキットでの日本グランプリとなった2009年の決勝観客動員数は富士での前年よりも1,000人増えましたが、3年前の鈴鹿開催よりも60,000人も減少し、101,000人でした。

この入場者数減少は、前年に起きたリーマンショックとそれに伴うホンダの撤退が起因しているものと思われます。

決勝レースに参戦した日本人ドライバーは中嶋一貴選手のみですが、フリー走行では小林可夢偉選手がトヨタから参戦しています。

2010年日本GP(鈴鹿サーキット)

決勝入場者数・・・96,000人

DATA
  • 決勝開催日・・・2010年10月10日
  • 開催地・・・鈴鹿サーキット
  • 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
  • 優勝ドライバー・・・セバスチャン・ベッテル(レッドブル)
  • 日本人ドライバー・・・山本左近、小林可夢偉

2010年の日本グランプリは来場者数が96,000人(決勝)で、鈴鹿サーキットにF1開催が移って以来初めて100,000人を割り込みました。

その原因はホンダに続きトヨタも前年で撤退し、日本のコンストトラクターがすべて撤退してしまったからでしょう。

しかしそんな中、ザウバーの小林可夢偉選手がオーバーテイクポイントとしては稀なヘアピンコーナーで5度のオーバーテイクを成功させ、観客は大いに満足したレースとなりました。

2011年日本GP(鈴鹿サーキット)

決勝入場者数・・・102,000人

DATA
  • 決勝開催日・・・2011年10月9日
  • 開催地・・・鈴鹿サーキット
  • 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
  • 優勝ドライバー・・・ジェンソン・バトン(マクラーレン)
  • 日本人ドライバー・・・小林可夢偉

2011年日本グランプリの決勝入場者数はなんとか100,000人の大台を突破し、102,000人を記録しています。

この年は2011年3月に起きた東日本大震災の影響で開催が危ぶまれましたが、無事開催。

多くの観客のお目当ては前年大活躍を見せた小林可夢偉選手。

そんな可夢偉はQ1でトップタイムを記録するなど奮闘したが、決勝では中盤でのセーフティカー導入でタイヤ戦略を誤り、結果13位と不発に終わりました。

2012年日本GP(鈴鹿サーキット)

決勝入場者数・・・103,000人

DATA
  • 決勝開催日・・・2012年10月7日
  • 開催地・・・鈴鹿サーキット
  • 決勝日天気・・・晴れ(ドライ)
  • 優勝ドライバー・・・セバスチャン・ベッテル(レッドブル)
  • 日本人ドライバー・・・小林可夢偉

2012年の日本グランプリは前年から1,000人増え103,000人(決勝)の観客を動員しました。

この年は小林可夢偉選手が駆るザウバーが絶好調で、彼の活躍を期待するファンが多く鈴鹿サーキットに詰めかけました。

その可夢偉選手は大声援を背に予選では2台のレッドブルに次ぐ3番手グリッドを獲得。

決勝ではスタートで2位に上がり、途中ピット戦略でフェリペ・マッサに抜かれるも、背後から迫り来るバトン選手を振り切り、見事日本人3人目となる3位表彰台を獲得しました。

次のページではコロナ禍前までの日本グランプリ入場者数を見ていきます!

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。