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マクラーレンMP4/6 アイルトン・セナ最後のチャンピオンマシン【ミニカー#80】

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はマクラーレンが1991年のF1に参戦するために開発した、マクラーレンMP4/6を取り上げていきたいと思います。

マシンデータと戦績

まずはマクラーレンMP4/6の主要諸元をチェック。

年式1991年
カテゴリーF1
コンストラクターマクラーレン
マシン名MP4/6
デザイナーニール・オートレイ
アンリ・デュラン
エンジンホンダ RA121E
主要諸元表

つづいてマクラーレンMP4/6の戦績を見てみる。

コンストラクターセナベルガー
シーズン順位1位1位4位
シーズンポイント139P96P43P
優勝8回7回1回
ポールポジション10回8回2回
ファステストラップ4回2回2回
戦績表

セナ&ホンダ最後のチャンピオンマシン

鈴鹿F1開催30回を記念して佐藤琢磨がマクラーレンMP4/6をデモラン
2018年10月 F1日本GPにて

1988年からマクラーレンとタッグを組むホンダは、NA元年になった1989年からの2年間はV型10気筒で戦い、1991年からは第1期F1活動以来のV型12気筒を開発するのだが、このRA121Eと名付けられたV12エンジンは、前年のV10エンジンと比べるとパワーがなかったため、オフシーズンテストで重点的にエンジン問題解決に取り組んだ。

またV10からV12にエンジン長が長くなったのと、燃費の悪化により燃料タンクが大型化したため、マクラーレンMP4/6のホイールベースは40mmも長くなっている。

現在はレーシングマシンの標準装備になっているセミオートマチックトランスミッションだが、1991年当時F1でセミオートマを採用するのはフェラーリとウィリアムズだけで、マクラーレンはマニュアルのHパターンであったが、この年のハンガリーグランプリのフリー走行で開発中のセミオートマをテストしている(実装は翌年のMP4/7Aから)。

当時のマクラーレンはホンダの強力なエンジンパワーに頼った設計で、空力面でライバルに遅れをとっていたが、ライバルのフェラーリよりアンリ・デュランを招き入れ、マクラーレンMP4/6はフェラーリと似通ったマシンシルエットになった。

1991年のマクラーレンは、エースドライバーのアイルトン・セナが開幕のアメリカグランプリから、ブラジル、サンマリノ、モナコと4連勝を記録し、ライバルウィリアムズのナイジェル・マンセルを序盤で圧倒するも、翌カナダグランプリから形勢が逆転する。

ウィリアムズFW14は当初信頼性の問題があったが次第に改善し、鬼才エイドリアン・ニューウェイの空力性能とルノー製V型10気筒のエンジンパワーで、カナダグランプリの最終ラップまでトップを独走する(最終ラップでマンセルが観客に手を挙げて歓声に答えると、キルスイッチを操作してしまいリタイヤした有名なレース)と、メキシコ(パトレーゼ)、フランス、イギリス、ドイツと中盤戦を連勝。

対するマクラーレンは、ホンダV12の継続的なアップデートと、空力のさまざまな手直し、そしてハンガリーグランプリではシーズン中にも関わらず16kgもの軽量化を行い応戦。

結果、ホンダの地元となる第15戦の日本グランプリで、セナにとっては3回目のドライバーズチャンピオンを獲得した。

この栄冠はセナにとっては最後の、そしてホンダにとっても現在のところ最後のチャンピオン獲得だった。

では、そのマクラーレンMP4/6のミニカーを詳しく見ていこう。

マクラーレンMP4/6のミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のマクラーレンMP4/6を撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

マクラーレンMP4/6のカーナンバー1は、前年のチャンピオンであるセナのマシン。

前年型マクラーレンMP4/5Bと比べるとダンパーをモノコック上部に水平に配置することでノーズが細くなり、その他大幅にリファインされたマシン形状はフェラーリより移籍したアンリ・デュランの影響が色濃く出ている。

前年のマクラーレンMP4/5Bで採用された特徴的なバッドマンディフューザー(写真右)は廃止され、マクラーレンMP4/6のディフューザーはよりオーソドックスな形状になっている。

1998年からF1マシンの全幅は1800mmにななり迫力に欠けるが、1991年当時は2000mmと、ワイドアンドローで非常に迫力がありカッコがいい。

この年から搭載するホンダエンジンがV10からV12に変更になり、前年型よりもホイールベースが40mmも長くなっている。

サイドポンツーンは高く丸みを帯び、そしてドライバーサイドまで長くなっており、フェラーリ640シリーズの形状に似通っているが、前述のとおりこれもアンリ・デュランが空力開発を担当したからだ。

前年のティレル019やこの年のベネトンB191など、1991年当時はハイノーズにしてマシン下部に空気を取り込む考え方が導入されはじめた頃だが、マクラーレンMP4/6は旧来のローノーズを採用している。

フロントサスペンションは前年のマクラーレンMP4/5Bではプルロッドだったが、マクラーレンMP4/6からプッシュロッドに変更されている。

マクラーレンMP4/6をこの年10回記録したポールポジションの位置に。

アイルトン・セナのマシンは、この場所がもっとも似合う。

タバコ広告規制国仕様では、通常Marlboroのロゴが貼られる部分がMcLarenロゴやストロボマークに置き換えられていたが、現在はその規制がモデルカーにも波及し、当ミニカーもMcLarenロゴになっている。

1991年開幕時、セナの年齢は30歳の中堅ドライバーでそれまでに多くの勝利を手にしてきたが、母国グランプリであるブラジルでは不運に見舞われ優勝がなかった。

この年はポールポジションからスタートし序盤は順調にリードラップを重ねていたが、終盤にトランスミッションのトラブルが発生し、次第にギアが抜けていった。

残り6周で6速以外のギアが使えなくなったセナは、なんと6速ホールドでレースを走りきり、母国グランプリではじめてトップチェッカーを受けている。

国際映像ではウイニングラップ中のセナの無線が放送されたが、言葉にならないほどに号泣する声はまるで子供のようで、本当に待ち望んでいた勝利だったことがうかがえた。

表彰台でも疲労困憊の姿で現れ、トロフィーをなんとか頭上に掲げた写真は、今でもセナを回想するシーンで使われる有名な一枚となった。

以上、1/43のマクラーレンMP4/6を実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【ixo製】マクラーレンMP4/6

デアゴスティーニF1マシンコレクションの90号でixo製。

このマクラーレンMP4/6は多くのミニカーメーカーが復刻したが、その度に精度が上がり、近年発売されたixo製のミニカーは3,000円にも満たない価格ながらもなかなかのものである。

【ixo製】ミナルディM191

こちらもデアゴスティーニF1マシンコレクションの109号で、製造はイタリアの老舗ミニカーメーカーのixoが行なっている。

1991年当時、F1ミニカーといえば子供の遊具の延長のような精度のオニキス製のものしかなく、その後台頭したミニチャンプスやスパークなどのメジャーなミニカーブランドでも、マクラーレンやウィリアムズなどの強豪チームのミニカーしか復刻されていない。

そのためこのデアゴスティーニが企画したixo製のミナルディM191のミニカーは非常に貴重である。

最後に

最後にセナとホンダの関係について少し書いてみる。

F1はヨーロッパを中心に発展してきた背景から、ブラジル人のセナは渡欧以来差別に苦しめられてきたことから、異国の地からF1に参戦するホンダをリスペクトしており、セナの3回のワールドチャンピオンはすべてホンダとともに成し遂げている。

今回取り上げているマクラーレンMP4/6が参戦した1991年シーズンは、ウィリアムズFW14のマシン性能に押されて、マクラーレンとセナは厳しい中盤戦を戦っており、それに加えてホンダ創業者の本田宗一郎が8月に天に召されている。

セナは自身の机にふたつの写真が飾られており、ひとつは5度のチャンピオンである伝説のドライバーファン・マニュエル・ファンジオ、そしてもうひとつは本田宗一郎だった。

その尊敬する宗一郎の死後、最初のレースとなるハンガリーグランプリでは、誰に頼まれるでもなく自ら喪章をつけてレースを戦い、厳しいレースを制覇し宗一郎にその勝利を捧げた。

シーズンはウィリアムズに傾きかけた流れを、そのハンガリーでの勝利でマクラーレンに引き戻し、激闘のシーズンをチャンピオンで締めくくったが、それはセナとホンダにとって最後の栄冠だった。

以上、今回は1/43のマクラーレンMP4/6を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。