2001年
- ドライバー:影山正彦→ロマン・デュマ/ジェレミー・デュフォア
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:デンソー
- タイヤ:ヨコハマ
- ドライバーズランキング:14位
- チームズランキング:11位
2001年は影山正彦選手と新加入のジェレミー・デュフォア選手のコンビでしたが、第2戦終了後に影山正彦選手がチームを離脱し、その後はロマン・デュマ選手が引き継ぎました。
サードは3年連続で表彰台を獲得できず、ドライバーズランキングは14位でした。
2002年
- ドライバー:ジェレミー・デュフォア/織戸学
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:デンソー
- タイヤ:ヨコハマ
- ドライバーズランキング:14位
- チームズランキング:9位
ロマン・デュマ選手は1年でチームを去り、2002年シーズンはつちやエンジニアリングから移籍した人気の織戸学選手と2年目のジェレミー・デュフォア選手でした。
この年は開幕戦の岡山国際で1998年以来の表彰台(3位)を獲得。ポイントは前年から11ポイント上回りましたが、ドライバーズランキングは前年と同様の14位でした。
2003年
- ドライバー:ドミニク・シュワガー/織戸学
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:デンソー
- タイヤ:ヨコハマ
- ドライバーズランキング:6位
- チームズランキング:6位
2003年はホンダ勢のチーム無限からドミニク・シュワガー選手が移籍し、チーム2年目の織戸学選手とコンビを形成。
この年のサードはまずまず好調なシーズンを送ります。
第2戦の富士で3位表彰台を獲得すると第4戦のシーズン2度目の富士でも3位に。そして第7戦オートポリスでは1997年第4戦の富士以来、実に6年ぶりの勝利を記録しました。チームとしては参戦以来3回目の優勝を記録した2003年シーズンは選手権順位6位と、長い低迷から抜け出しました。
2004年
- ドライバー:ジェレミー・デュフォア/アンドレ・クート
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:デンソー
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:2位
- チームズランキング:2位
2004年のサードのドライバーラインナップは、織戸学選手が古巣のつちやエンジニアリングに戻り、入れ替わりでジェレミー・デュフォア選手が2年ぶりにサードに戻ります。そしてもう1人はアンドレ・クート選手が加入しました。
サードは1997年から7年間ヨコハマタイヤを履いてきましたが、この年からブリヂストンタイヤと契約します。全日本GT選手権では最も多くのチームと契約しているブリヂストンでしたが、サードは参戦以来初めてのブリヂストンでのシーズンになります。
そんなサードの2004年シーズンは前年以上に好調でした。
まずTI英田で行われた開幕戦で3位表彰台を獲得すると、第3戦のセパンでは2年連続となる優勝を遂げます。その後も第6戦のオートポリスで2位に入り、ニスモとチャンピオン争いを演じますが、最終戦では8位にとどまり、残念ながらチーム初のチャンピオン獲得はなりませんでした。
2005年
- ドライバー:アンドレ・クート/ロニー・クインタレッリ
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:デンソー
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:16位
- チームズランキング:12位
シリーズ名称がスーパーGTに変更された2005年シーズン。サードのドライバー体制はジェレミー・デュフォア選手がホンダ系のチームクニミツに移籍し、若きロニー・クインタレッリ選手が加入。
現在は日産のエースドライバーとして活躍するクインタレッリ選手ですが、スーパーGTにはこの年が初参戦。しかも日産系ではなく当時はトヨタ系のチームからの参戦でした。
ちなみに前年に全日本F3でタイトルを獲得した時もトヨタエンジンのINGINGからの参戦でした。
さて、前年に選手権2位になったサードですが、この年の成績はドライバーズランキング16位とまたしても低迷。最高位は第4戦セパンでの2位でした。
2006年
- ドライバー:アンドレ・クート/平中克幸(/ソエイル・アヤリ)
- マシン:スープラ
- タイトルスポンサー:triple a
- タイヤ:ブリヂストン
- ドライバーズランキング:23位
- チームズランキング:15位
トヨタは2006年シーズンからSC430を投入しますが、初年度に供給されるのは4台のみで、サードはSC430を供給されず前年までの80型スープラを継続して使用します。
ドライバーはチーム3年目のアンドレ・クート選手と平中克幸選手のコンビ。平中選手はこの年がGT500初挑戦でした。
この年のサードのタイトルスポンサーは現在でもパチンコ情報誌の『でちゃう!』でスーパーGTのスポンサーを務めるtriple a出版で、カーナンバーはパチンコに因んでなのか、連番の66に変更しています。
成績は型落ちのスープラでは厳しく、ウエイトハンデ(現サクセスウエイト)が軽減された第7戦もてぎでの9位が最高で、フル参戦の中では最下位のドライバーズランキング23位に終わりました。
次のページでは2007年から2012年のサードを紹介します