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スーパーGTを撤退した8つのGT500チーム

モーラ

2017年のモーラ
2017年スーパーGT第2戦にて
メーカー日産
カーナンバー46
GT500活動期間2011-2017
実働7年
ドライバーズ
シリーズ最高位
1位(2011・2012)
チームズ
シリーズ最高位
1位(2011・2012)

モーラは2005年にスーパーGTのGT300クラスに参戦し、2008年にはドライバーズチャンピオンならびにチームズチャンピオンを獲得します。

そして2011年、日産系チームとしてGT500クラスへステップアップし、GT500クラス参戦初年度ながらドライバーズチャンピオンとチームズチャンピオンに輝く偉業を達成。その勢いは凄まじく、なんと翌2012年にも圧倒的な強さでダブルタイトルを獲得します。

その後も日産系の主力チームとしてスーパーGT GT500クラスに参戦しますが、2017年を最後に突如撤退。

翌年は今回挙げた他のチームのようなGT300クラスにエントリーすることもなく、そのままスーパーGTのエントリーリストに名前がなくなり、現在はチームのホームページも閉鎖・・・。

今回紹介した6チームの中でもっとも成功したチームでしたが、そのあまりにも早い、そして突然の撤退に、どのような経緯があったのか我々ファンは知る由もありません。

つちやエンジニアリング

GT500初年度2000年のつちやエンジニアリングのマシン
写真提供:Mさん
メーカートヨタ・レクサス
カーナンバー25
GT500活動期間2000-2008
実働9年
ドライバーズ
シリーズ最高位
12位(2004)
チームズ
シリーズ最高位
10位(2003・2004・2005)

※ データは全日本GT選手権時代を含む
※ レクサスはブランドだが便宜上メーカーとした

つちやエンジニアリングはワークスチームを相手に孤軍奮闘する強豪プライベーターとして、ファンに人気があるレーシングチームです。

スーパーGTの前身である全日本GT選手権には1996年からトヨタMR2でGT300クラスに参戦を開始します。

1998年には6戦5勝という圧倒的な強さでシリーズを制覇し、翌1999年にも2年連続でシリーズタイトルを獲得。

そして2000年からはGT500クラスにステップアップを果たしますが、基本的にトヨタの旧型車両での参戦で、厳しい戦いが続きます。

トピックはスーパーGTと名称が変わった2005年の開幕戦。得意の岡山国際サーキットでチームとしてGT500クラスの初のそして唯一の優勝を遂げます。ちなみにこの勝利はスーパーGT初の優勝チームとなりました。

スーパーGTには2008年まで参戦を続けますが、この年に起きたリーマンショックに起因する自動車業界の不景気や参戦コストの高騰のあおりを受け、翌2009年のエントリーをしないという決断を下します。

その後、2015年シーズンよりGT300クラスでスーパーGTに復帰し、現在はGT500クラス参戦時代に同チームよりドライバーとして参戦していた創業者の息子の土屋武士さんが監督になり、復帰2年目となる2016年には3度目のGT300クラスシリーズチャンピオンを獲得しました。

チームは「Road to GT500」という目標を掲げており、GT500クラスへの復帰を目指しています。

ちなみに今回は『スーパーGTを撤退したGT500チーム』という題目なので、厳密にいうとつちやエンジニアリングと次項のドラゴコルセ、そして最初に挙げたチームルマンはスーパーGTからの撤退はしていませんが、『GT500クラスを撤退したチーム』ということで入れさせていただきました。

ドラゴコルセ

GT500クラスへエントリーしていた頃のドラゴコルセ
2016年5月スーパーGTにて
メーカーホンダ
カーナンバー15
GT500活動期間2015-2016
実働2年
ドライバーズ
シリーズ最高位
12位(2011)
チームズ
シリーズ最高位
11位(2011)

ドラゴコルセは元GTチャンピオンの道上龍選手が創業者で、2014年から活動を開始した非常に若いチームです。

2015年にいきなりスーパーGT GT500クラスに参戦し、2016年のタイ戦では2位で表彰台に上がる快挙を見せましたが、この年を最後に2年間という短い期間でスーパーGTから撤退。

そして2018年には、ふたたびGT300クラスのチームとして復帰したドラゴコルセは、チーム代表の道上龍選手自らがドライバーとしてエントリーします。

ドラゴコルセのGT500クラス参戦時期をみると、童夢撤退とともに参戦し、無限が復帰するのに合わせて撤退しています。

そこで私が推測するに、2014年を最後に童夢が撤退することになったが、ホンダはGT500クラスに2015年も5台参戦させたい。しかし、ある程度自由が効くホンダ系の無限に関しては、準備が整わない。

なのでそのつなぎ役として、2年間の限定でドラゴコルセに白羽の矢が立ったのでは、と考えていますが、真実は当然のことながらわかりません。

かつてはホンダのエースとして活躍し、現在もホンダの看板的な存在である道上龍選手なので、GT500クラスへの参戦やその後の復帰、GT300クラスからの復帰と、ホンダの意向が大きく現れていたのかもしれませんね。

最後に

いつだったか、ツインリンクもてぎでのスーパーGT最終戦で、ARTAの鈴木亜久里総監督とリアルレーシングの金石勝智監督のトークショーがあり、そこで両監督が、

「監督業はこれからのシーズンオフが一番大変だ。メーカーとの交渉、スポンサーとの交渉とシーズンよりも格段に忙しい。」

と話をしていたのが印象的でした。

スーパーGTの最高峰GT500クラスで活躍する鈴木亜久里総監督のARTAは、オートバックスという大きなメインスポンサーがあり、金石勝智監督のリアルレーシングにはケーヒンから合併で社名を変えた日立アステモという大企業がメインスポンサーとして長年支えています。

しかしそんな両監督でもポジションを確保し翌年も参戦するために、必死で交渉しているのでしょう。

今回紹介した8チームは、残念ながらスーパーGTのGT500クラスから撤退したわけですが、その功績を讃え、後世に語り継いでいくことが、素晴らしい戦いを楽しんだ我々ファンとしてのささやかな恩返しなのかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。