F1ドライバーは古くからチームメイトが最大のライバルだと言われていますが、そのチームメイトがF1チャンピオン同士だったらその争いはさらに激化します。
そこで今回は、古くはセナvs.プロストやピケvs.マンセル、近年ではハミルトンvs.ロズベルグやアロンソvs.ライコネンなど、1987年以降のF1チャンピオン同士のチームメイト対決をすべて調べてみました。
本文中でF1チャンピオン同士のチームメイト対決として取り上げていますが、当該ドライバーがチームメイトとして対決した時点では、まだF1チャンピオンになっていない場合も含みます。
ピケvs.マンセル ウィリアムズ【1987年】
1987年 | N.ピケ | N.マンセル |
---|---|---|
シーズン順位 | 1位 | 2位 |
ポイント | 73P(76P) | 61P |
優勝 | 3回 | 6回 |
PP | 4回 | 8回 |
1981年・1983年にチャンピオンになり、1986年ウィリアムズに加入したネルソン・ピケと、ピケより1年早く1985年にウィリアムズ入りした1992年にチャンピオンになるナイジェル・マンセルの対決。
1986年シーズンは、ピケより多くのポイントを稼ぎ、チャンピオンまであと一歩と迫ったマンセルでしたが、最終戦でまさかのタイヤバーストでタイトルが寸前でこぼれ落ちます。
迎える1987年シーズンは、さらにウィリアムズホンダの戦闘力が増し、ピケとマンセルの一騎打ちの様相になります。
結果は、優勝を6回も記録するもリタイヤが多くムラが多いマンセルに対し、ピケは3勝ながらも順調にポイントを稼ぎ、ピケがシリーズタイトルを獲得しマンセルに勝利しました。
プロストvs.セナ マクラーレン【1988年-1989年】
1988年 | A.プロスト | A.セナ |
---|---|---|
シーズン順位 | 2位 | 1位 |
ポイント | 87P(105P) | 90P(94P) |
優勝 | 7回 | 8回 |
PP | 2回 | 13回 |
1989年 | A.プロスト | A.セナ |
---|---|---|
シーズン順位 | 1位 | 2位 |
ポイント | 76P(81P) | 60P |
優勝 | 4回 | 6回 |
PP | 2回 | 13回 |
F1チャンピオンのチームメイト対決として一番に思い付くのが、1988年から1989年のアイルトン・セナとアラン・プロストの対決、いわゆるセナプロ対決でしょう。
1988年にマクラーレンに加入したセナは、当時2度の世界チャンピオンを獲得していたプロストとチームメイトになります。
1988年シーズンは一発の速さを武器にセナが勝利し、1989年はレース戦略を武器にプロストがセナプロ対決を制しました。
当初は仲の良かったふたりですが、F1界随一の実力を誇る両ドライバーが最速のマシンを分け合うことでそこに必ず確執が生まれ、1988年のイモラでの紳士協定違反を皮切りに両者の仲は泥沼化していき、結局1989年を最後にプロストがマクラーレンを離脱しフェラーリに移籍しました。
プロストvs.マンセル フェラーリ【1990年】
1990年 | A.プロスト | N.マンセル |
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シーズン順位 | 2位 | 5位 |
ポイント | 71P(73P) | 37P |
優勝 | 5回 | 1回 |
PP | 0回 | 3回 |
F1ドライバーはエゴイストの塊のような人間が多く、当時その最もたるドライバーにナイジェル・マンセルとアラン・プロストが挙げられますが、そのふたりがチームメイトになった1990年のフェラーリは当然うまくいくはずがなく、ふたりに確執が生まれましたね。
戦績は、予選ではマンセルが速さを見せプロストのポールポジション0回に対しマンセルは3回でしたが、レース巧者のプロストがポイントでは圧勝し、終盤までアイルトン・セナとチャンピオン争いを繰り広げました。
しかしポルトガルグランプリでポールポジションのマンセルがプロストに幅寄せし失速、プロストのフェラーリでのチャンピオンの夢は途絶えました。
プロストvs.ヒル ウィリアムズ【1993年】
1993年 | A.プロスト | D.ヒル |
---|---|---|
シーズン順位 | 1位 | 3位 |
ポイント | 99P | 69P |
優勝 | 7回 | 3回 |
PP | 13回 | 2回 |
1993年もウィリアムズのマシンは他チームに対して圧倒的な速さを持っており、1年浪人してチームに加わった当時3度の世界チャンピオンであるアラン・プロストが、テストドライバーからレギュラーシートを獲得したデーモン・ヒルに対して特に序盤戦で圧勝しました。
しかしヒルは第11戦のハンガリーグランプリから3連勝をするなど、シリーズ中盤から終盤にかけてはプロストに迫る速さを見せていました。
ヒルvs.ヴィルヌーヴ ウィリアムズ【1996年】
1996年 | D.ヒル | J.ヴィルヌーヴ |
---|---|---|
シーズン順位 | 1位 | 2位 |
ポイント | 97P | 78P |
優勝 | 8回 | 4回 |
PP | 9回 | 3回 |
ウィリアムズのテストドライバーからレギュラーシートを獲得し、エースにまで上り詰めたデーモン・ヒルと、伝説のF1ドライバーであるジル・ヴィルヌーヴの息子としてこの年F1デビューしたジャック・ヴィルヌーヴの戦い。
デビュー戦のオーストラリアグランプリで、いきなりポールポジションを獲得したジャック・ヴィルヌーヴに世間は注目しますが、シリーズを通して安定した速さを見せたヒルが、シリーズポイント・優勝回数・ポールポジション獲得数においてヴィルヌーヴに勝ち、自身初にして唯一のタイトルを獲得しました。
しかしヴィルヌーヴはF1初参戦シーズンながらヒルを相手に善戦したと思います。
ヴィルヌーヴvs.バトン BAR【2003年】
2003年 | J.バトン | J.ヴィルヌーヴ |
---|---|---|
シーズン順位 | 9位 | 16位 |
ポイント | 17P | 6P |
優勝 | 0回 | 0回 |
PP | 0回 | 0回 |
1997年チャンピオンのジャック・ヴィルヌーヴと、2009年にブラウンGPでチャンピオンを獲得することになる若きジェンソン・バトンの対決。
BARで新たにチャレンジする場所を見つけたバトンと、キャリア終盤で少々やる気が落ちていたヴィルヌーヴの対決は、3倍近くのポイントを獲得したバトンが勝利しました。
ハミルトンvs.アロンソ マクラーレン【2007年】
2007年 | L.ハミルトン | F.アロンソ |
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シーズン順位 | 2位 | 3位 |
ポイント | 109P | 109P |
優勝 | 4回 | 4回 |
PP | 6回 | 2回 |
今や世界チャンピオンを6度(2019年終了時点)も獲得したルイス・ハミルトンですが、そのデビューシーズンは当時すでに2度のチャンピオンを獲得していたフェルナンド・アロンソとチームメイトになりました。
その注目の結果は、ポイント数は同じ109ポイント、優勝数も同じ4回という大接戦でした。
結局2位の数でハミルトンが5回獲得したのに対して、アロンソが4回ということになり、シリーズ順位でハミルトンが上位になりました。
しかし新人ハミルトンに対して、2度のチャンピオンであるアロンソがプライドを傷つけられ、シーズン中盤ごろからチーム内で確執が生まれ、最後に漁夫の利でキミ・ライコネンにチャンピオンを持って行かれて、アロンソは1年でマクラーレンを去りました。
次のページでは2010年以降のF1チャンピオン同士のチームメイト対決です。
ハミルトンvs.バトン、アロンソvs.ライコネンetc・・・
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