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F1タイトルスポンサーになった日本企業8選

1990年ごろのF1ブーム以来、日本でもF1の知名度が格段に上がり、それに伴い多くの日本企業がスポンサーとしてF1に参入した。

さてその多くF1に参入した日本の企業の中で、チームのタイトルスポンサーになった企業(ブランド)はあったのか?

ということで、今回はF1チームのタイトルスポンサーになった日本企業(ブランド)を8つ紹介してみたいと思う。

タイトルスポンサーの概念はさまざまあるが、ここではチームのエントラント名に名前を連ねた企業(ブランド)をタイトルスポンサーとする。

キヤノン(1985-1993)

ウィリアムズの黄金期を支えたキヤノン
ホンダコレクションホールにて

F1にタイトルスポンサーとして参入した初の日本企業は、カメラメーカーのキヤノンだ。

キヤノンはF1ブーム前夜の1985年よりウィリアムズをスポンサードし、『キヤノン・ウィリアムズ・チーム』として参戦し、サイドポッドや前後ウイングなどに『Canon』の文字が描かれた。

時代はホンダと組んだF1を席巻した1980年代中盤や、ルノーと組んだ1990年代前半の頃で、ウィリアムズ最強時代を支えた。

余談だが、私はこの時のキヤノンのロゴが忘れられず、2000年にはじめて一眼レフカメラを購入して以来のキヤノンユーザーであり、2009年シンガポールグランプリで、ブラウンGPのサイドポッドにキヤノンロゴが1戦限りの復活をした時には本当に嬉しく思った。

レイトンハウス(1987-1991)

レイトンハウスがタイトルスポンサーを務めたマーチ881

F1ブームといえば、あの水色の車体のレイトンハウスを思う方も多いだろう。

そう、レイトンハウスはF1ブームの象徴的存在だった。

萩原光のサポートから国内モータースポーツの世界に入り、1987年にはマーチとともにタイトルスポンサーとしてF1に進出する。

1988年には非力なジャッドエンジンを搭載するも、若きエイドリアン・ニューウェイの才能とレイトンハウスの資金力により、日本グランプリでは一瞬ではあるがあの最強マクラーレンMP4/4をホームストレートで追い抜いた。

そして1989年にマーチを買収すると、1990年にはエントラント名、コンストラクター名ともにレイトンハウスとなる。

しかし、日本のバブル崩壊で親会社の資金繰りが厳しくなり、またオーナーである赤城明氏の富士銀行からの不正融資問題もあり、1991年限りでチームを売却し、エントラント名およびコンストラクターはマーチに戻っている。

フットワーク(1990-1996)

フットワークの1992年マシン フットワークFA13

F1ブーム真っ只中の1990年に、日本の運送会社であるフットワークは、アロウズのタイトルスポンサーとなり、エントラント名はフットワークアロウズレーシングになる。

そして翌1991年にフットワークはチームを買収し、エントラント名はフットワークグランプリインターナショナルになる。

ちょうどこの年はフットワークから多額の資金が調達され、チームはかつてF1でマクラーレンとともに一世を風靡したポルシェ製V型12気筒エンジンを搭載したが、重くてパワーのないポルシェエンジンを6戦で諦め、第7戦からはフォードエンジンに戻している。

1992年と1993年は、無限エンジンを使用し、ドライバーには鈴木亜久里を起用して日本色を強めたが、大きな実績を上げることはなかった。

その後親会社の業績悪化でチームを手放さざるおえなくなり、アロウズ時代のジャッキー・オリバーが再度チームオーナーになったが、1996年までコンストラクター名はフットワークを名乗り続けるも、1996年にトム・ウォーキンショーがチームを買収して、1997年よりコンストラクター名をアロウズに戻し、フットワークの名前はグランプリから消えた。

エスポ(1990)

エスポが経営していたゲオのロゴが描かれるエスポラルースのローラLC90
出典:autospotWeb

エスポといえば思い出すのは1990年の日本グランプリ。

ラルースのマシンを駆る鈴木亜久里が、追い上げるリカルド・パトレーゼを振り切り、日本人初のF1の表彰台に上がった時のあのマシンのタイトルスポンサーがエスポだった。

1989年シーズン終了後、それまで鈴木亜久里の個人スポンサーだった不動産業やレンタルビデオ店GEOを運営するエスポコミュニケーションズがラルースの株式を取得し、1990年シーズンはエスポラルースとして参戦する。

しかし日本のバブル崩壊の余波を受け、1991年にチームへの支援を大幅に縮小し、その後ジュラール・ラルースに株式を返し、チーム名からエスポの名前がなくなった。

セントラルパーク(1992)

セントラルパークラルースのヴェンチュリーLC92
鈴鹿サウンドオブエンジン2016にて

1991年、前述のエスポがラルースの株式をジュラール・ラルースに戻したが、その年の年末にチームは倒産し、フランスの国内法の適用を受け、事業再生を目指した。

その時に、姫路セントラルパークやMINEサーキットを経営していた日本のセントラルパーク(土井不動産)も株式を取得し、チーム名をセントラルパークラルースに変更し、1992年シーズンに参戦している。

マイルドセブン(JT)(1994-2006)

マイルドセブンがタイトルスポンサーだった1996年のベネトンB196

JTは片山右京が1992年にF1デビューした際に、CABINブランドでF1に進出し、片山右京のパーソナルスポンサーと所属したラルースのスポンサーになった。

そして1994年よりブランド名をキャビンからマイルドセブンに切り替え、当時のトップチームであったベネトンのタイトルスポンサーになる。

するとその年に若きミハエル・シューマッハのドライビングにより、チーム初のドライバーズタイトルを獲得し、マイルドセブンのブルーのマシンが脚光を浴び、翌1995年はドライバーズとコンストラクターズのWタイトルを獲得している。

その後も長きにわたりベネトンのタイトルスポンサーを務め、チームがルノーに買収された後も同様にサポートしたが、EUのタバコ広告への規制強化に伴い、2006年シーズンを最後にF1を撤退した。

パナソニック(2002-2009)

一貫してトヨタのF1活動をサポートしたパナソニック トヨタTF104B

2002年よりトヨタがF1に進出した際のタイトルスポンサーがパナソニックだった。

白地に赤のトヨタのF1マシンのサイドポッドとリヤウイングには、唯一ブルーで『Panasonic』のロゴが大きく描かれており、2009年のトヨタF1撤退の最終年までパナソニックのタイトルスポンサーは続けられた。

インフィニティ(日産)(2013-2015)

レッドブルRB9のサイドポッドはインフィニティのブランドカラーである紫地に同ブランドのロゴが大きく描かれる

インフィニティは言わずと知れた日産の海外における高級車ブランドだが、日産の筆頭株主であるルノーが、かつてレッドブルにエンジン(パワーユニット)を供給していた関係から、レッドブルのタイトルスポンサーを務めていた。

日産とレッドブルは2011年にパートナーシップ契約を締結する。

そして2013年からタイトルスポンサーになり、エントラント名はインフィニティレッドブルレーシングになった。

当初、両社のパートナーシップ契約は2016年までだったが、契約を1年早め、2015年シーズン終了後に終了している。

最後に

今回はF1のタイトルスポンサーを務めた8つの企業ブランドを紹介したが、レイトンハウス、エスポ、フットワーク、セントラルパークは、日本のバブル時代のF1ブーム期にタイトルスポンサーになったが、バブル崩壊とともにスポンサーを降り企業自体も消滅した。

そのため日本ではF1のスポンサーに良いイメージを持っていない者も多く、その後はJT(マイルドセブン)やパナソニック、日産(インフィニティ)など、日本へのアピールではなく世界へ向けたグロバール企業がF1のタイトルスポンサーになっている。

だが2015年の日産(インフィニティ)の撤退以降、日本企業のF1タイトルスポンサーはなく、私たち日本のモータースポーツファンとしては寂しい限り。

一時はソニーや楽天などが、マクラーレンのタイトルスポンサーになると噂されたこともあった。

現在上り調子のマクラーレンは、まだタイトルスポンサーが不在。

あの名門チームのマシンに、白地にえんじ色で『Rakuten』と描かれたら、一気に応援したくなるのだが・・・。

以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。