1950年からはじまったF1世界選手権は2020年に70周年を迎え、その長い歴史の中で多くのコンスタラクターがF1マシンを開発しグランプリに参戦した。
このページでは、私の300を超えるF1マシンのミニカーの中から1台をピックアップして、そのミニカーを本物のように撮影し、現役時代を振り返った記事をまとめてみた。
写真をクリックすると詳しい記事にジャンプします。
コンストラクター別(現在参戦中)
F1ミニカーの記事をコンストラクター順にまとめてみた。まずは現在も参戦しているコンストラクターから。
フェラーリ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
---|---|---|---|
イタリア | 1950年- | 16回 | 15回 |
F1を代表するコンストラクターで、F1がはじまった1950年から唯一参戦しているチームで、コンストラクターズおよびドライバーズタイトルの獲得数は最多。
ミニカーの世界でももっとも人気があり、当ブログでも多くのモデルを紹介している。
赤いボディカラーが特徴だが、年代によりその色は変化している。
マクラーレン
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 1966年- | 8回 | 12回 |
F1界ではフェラーリに次いで名門のマクラーレンは、1966年からF1に参戦している。
長年マールボロカラーが定番であったが、1997年からウエストカラーに変更し、その後特徴的なミラーカラーになり、現在はチームカラーのパパイヤオレンジに戻している。
ウィリアムズ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 1977年- | 9回 | 7回 |
長くフェラーリマクラーレンとともに3強と言われたウィリアムズ。
現在はテールエンダーのウィリアムズだが、新興勢力として台頭した1978年から1984年のサウジアラビア航空カラーの時代、1985年から1993年までのキヤノンカラーの時代、1994年から1997年までのロスマンズカラーの時代はグランプリを牽引しており、特に当時のモデルに人気が集中している。
メルセデス
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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ドイツ | 1954年-1955年 2010年- | 7回 | 9回 |
2014年からはじまったパワーユニット時代最強のチームとしてF1界に君臨するメルセデス。
デビューは古く1954年の第4戦フランスグランプリからだが、1955年のル・マン24時間での大事故でその年を最後にF1を去ったが、2010年からコンストラクターとして復活して現在に至る。
レッドブル
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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オーストリア | 2005年- | 4回 | 4回 |
1995年からザウバーのスポンサーとしてF1と関わっていた飲料メーカーのレッドブルだが、2005年よりジャガーを買収してF1に参戦する。
鬼才エイドリアン・ニューウェイを起用し、2009年にレギュレーションが大きく変更されるとトップチームに躍進し、翌2010年から4年間コンストラクターズとドライバーズタイトルの4連覇を達成した。
2019年からはホンダパワーユニットを搭載し、日本でもっとも人気の高いチームとなった。
ルノー
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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フランス | 1977年-1985年 2002年-2011年 2016年- | 2回 | 2回 |
自動車メーカー系コンストラクターとしては、もっとも長くF1に参戦している。
デビューは1977年で、F1にはじめてターボエンジンを導入したチームとして有名。
アルファタウリ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イタリア | 2020年- | 0回 | 0回 |
2020年にトロロッソから名称変更するカタチで生まれたアルファタウリは、トロロッソ時代と同様レッドブルのセカンドチームとしてレッドブルジュニアドライバーを積極的に採用する。
2020年第8戦イタリアグランプリで、ピエール・ガスリーが涙の優勝を遂げたことが記憶に新しい。
2021年からは角田裕毅が所属し、日本でもなじみが深いチームとなるだろう。
コンストラクター別(撤退)
次に、すでにF1を撤退したコンストラクターのミニカー記事を、撤退した年度の新しい順に紹介する。
トロロッソ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イタリア | 2006年-2019年 | 0回 | 0回 |
レッドブルのセカンドチームとして2006年にデビューしたイタリアのトロロッソ。
チーム唯一の勝利は2008年イタリアグランプリで、セバスチャン・ベッテルにより記録された。
2017年を最後にマクラーレンと決別したホンダを結果的に救ったチームとして日本では馴染みがある。
ザウバー
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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スイス | 1993年-2018年※ | 0回 | 0回 |
モータースポーツが禁止されているスイスを拠点にする数少ないレーシングチーム。
1993年からF1に参戦し、2005年から2009年はBMWに買収されBMWザウバーとして参戦するが、ふたたびチームを買い戻し2010年から2018年まで参戦した後、2019年からはネーミングライツによりコンストラクター名をアルファロメオとして参戦している。
フォースインディア
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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インド | 2008年-2018年 | 0回 | 0回 |
スパイカーを買収し2008年シーズンから参戦したF1初のインド国籍のチーム。
当初は下位チームだったが徐々に力を付け、2016年と2017年シーズンはコンストラクターズランキング4位まで躍進した。
しかしチームの成績上昇とは裏腹に台所事情は悪化し、2018年シーズン中に経営破綻。
その後ローレンス・ストロール率いるレーシングポイント(現アストンマーティン)に売却した。
ロータスF1
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 2012年-2015年 | 0回 | 0回 |
ルノーを前身とし2011年にロータスルノーGPとして参戦し、2012年から2015年までロータスF1チームとして参戦した。
マシンカラーはチームロータス全盛期のJPSカラーを彷彿とさせる黒地にゴールドのラインが特徴だった。
※ロータスF1チームとチームロータス、ロータスレーシングの関係については下記を参考にされたし。
トヨタ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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日本 | 2002年-2009年 | 0回 | 0回 |
日本が誇る大企業トヨタは、2002年から2009年までF1に参戦した実績がある。
ドイツ・ケルンのTMGを母体として多くの資金を投入してマシンを製作したが、8年間の参戦で優勝を手にすることはできなかった。
ブラウンGP
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 2009年 | 1回 | 1回 |
2008年にホンダのF1撤退により、ホンダの旧首脳陣であったロス・ブラウンが1ポンドで買い取り2009年にF1参戦したチーム。
デビューレースでワンツーフィニッシュをし、その後も快進撃がつづき、デビュー年にドライバーズとコンストラクターズの両タイトルを獲得した。
ブラウンGPとしては2009年の1年で活動を終了し、その後メルセデスに売却された。
ホンダ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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日本 | 1964年-1968年 2006年-2008年 | 0回 | 0回 |
日本メーカーとしてもっとも早くF1に参戦したホンダのF1参戦は、1964年から1968年の第1期、1983年から1992年の第2期、2000年から2008年の第3期、2015年から2021年(予定)の第4期に分けられ、第1期と第3期(2006年から2008年)はフルコンストラクターとして参戦した。
ジョーダン
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 1991年-2005年 | 0回 | 0回 |
1990年代にデビューした中ではもっとも成功したチームのひとつで、通算4勝をあげた。
ヤマハ、無限、ホンダ、トヨタといった、多くの日本製エンジンの供給を受けたチームとして、日本人にも馴染みがあった。
ミナルディ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イタリア | 1985年-2005年 | 0回 | 0回 |
1985年から2005年まで21シーズンに渡りF1に参戦したチームで、イタリアの弱小コンストラクターでありながら多くのF1ファンや関係者に愛された。
現代のシステム化されたF1チームとは違い、家族的な雰囲気とF1への情熱が漲るチームで、イタリアのチームらしくモーターホームで提供されるパスタは絶品で、在りし日のアイルトン・セナが常連であったことはあまりにも有名。
ジャガー
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 2000年-2004年 | 0回 | 0回 |
アメリカの自動車メーカーのフォードがスチュワートを買収し、当時傘下だったイギリスの自動車メーカージャガーブランドで参戦したチーム。
前身のスチュワートは小規模チームながらも参戦最終年で優勝を果たし、新生ジャガーには多くの期待が寄せられたが、1度の優勝もせぬまま2004年を最後に5年の短いグランプリ参戦を終了した。
ただグリーンメタリックに大きなジャガーロゴがあしらわれたマシンで人気を博した。
アロウズ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 1978年-1990年 1997年-2002年 | 0回 | 0回 |
アロウズは1977年末に、当時F1に参戦していたシャドウから主要メンバーが独立するカタチでチームを設立し、1978年シーズンよりF1に参戦する。
ちなみにチーム名のARROWSは、チーム設立に関わったフランコ・アンブロジオのA、アラン・リースのR、ジャッキー・オリバーのO、デイブ・ウォスのW、トニー・サウスゲートのSの頭文字をとって名付けられた。
1991年から1996年までは後述する日本の運送会社であるフットワークにより買収されたが、1996年にトム・ウォーキンショー率いるTWRが買収しアロウズの名称が復活し、2002年までF1に参戦した。
ベネトン
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イタリア | 1986年-2001年 | 1回 | 2回 |
1986年にトールマンを買収して参戦した、アパレルブランドが母体のチーム。
長くトップ4の一役を担っており、1990年代中盤はミハエル・シューマッハとともにチャンピオンを獲得したが、2001年を最後にルノーにチームを明け渡した。
スチュワート
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 1997年-1999年 | 0回 | 0回 |
3度のF1チャンピオンであるジャッキー・スチュワートと、息子のポール・スチュワートが興したチームで、1997年から3年間、フォードの大きなバックアップを得てF1に参戦した。
1999年にはジョニー・ハーバートが、チーム唯一の勝利をあげている。
ティレル
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 1970年-1998年 | 1回 | 2回 |
1970年からF1に参戦し、ジャッキー・スチュワートとともに2度のドライバーズタイトルを獲得したティレルは、6輪車やハイノーズなど、野心的技術の先駆者でもあった。
中嶋悟や片山右京、高木虎之介などが在籍し、日本とも縁が深いチームだった。
リジェ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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フランス | 1976年-1996年 | 0回 | 0回 |
フランスの名門チームとして1976年から1996年までF1に参戦したリジェ。
オーナーであるギ・リジェとフランス大統領を務めたミッテランとの繋がりから、フランス色の非常に強いチームで、ジタンやマトラ、ロトなどの国営企業や元国営企業のルノーがチームのスポンサーやエンジン供給を行った。
フットワーク
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 1991年-1996年 | 0回 | 0回 |
1990年に日本の運送会社フットワークがアロウズのメインスポンサーとなりのちに買収。翌1991年にチームとして、1992年からはコンストラクターとしてもフットワークを名乗る。
1992年にはエンジンを無限にスイッチし鈴木亜久里が加入すると、日本色が非常に強いチームになった。
バブルが崩壊し親会社の経営が悪化したため、1996年にトム・ウォーキンショーにチームを売却し、名称がアロウズに戻っている。
ロータス
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 1958年-1994年 | 7回 | 6回 |
1958年から1994年までF1に参戦したロータスは、創設者のコーリン・チャンプマンの手により数々のエポックメイキングなマシンを登場させたチームとして知られた。
日本においては、F1初の日本人フルタイムF1ドライバーである中嶋悟がデビューしたチームとしても有名。
ラルース
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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フランス | 1987年-1994年 | 0回 | 0回 |
ル・マン24時間優勝ドライバーであるジュラール・ラルースと、実業家のディディエ・カルメルが設立したチーム。
日本のF1ブーム時代に、鈴木亜久里と片山右京が所属したため日本でもなじみが深いチーム。
ブラバム
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 1962年-1987年 1989年-1992年 | 2回 | 4回 |
フェラーリやロータスとならぶ、イギリスの名門コンストラクター。
創設者は3度のF1チャンピオンであるジャック・ブラバムとデザイナーのロン・トーラナックで、1972年からはバーニー・エクレストンがチームを率いた。
長年チームのデザイナーだったゴードン・マレーによる独創的なマシンが特徴だった。
マーチ(レイトンハウス)
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
---|---|---|---|
イギリス | 1970年-1978年 1981年-1982年 1987年-1992年※ | 0回 | 0回 |
フォーミュラカーからスポーツカーまでさまざまなレーシングマシンを生産・販売しているイギリスのレーシングチーム。
F1には1970年から参戦したが後に撤退し、1987年に日本のレイトンハウス のバックアップを受けて復活した。
1990年から1991年にかけてはコンストラクター名をレイトンハウス として参戦した。
コローニ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
---|---|---|---|
イタリア | 1987年-1991年 | 0回 | 0回 |
イタリアに本拠を置くレーシングチームで、F1参戦は1987年から1991年。
1990年にスバルが1億円でチーム株式の半分を買い取り、スバル・コローニとしてエントリーし、V型が主流のF1エンジンの中にあり、水平対向12気筒を搭載して参戦した。
アルファロメオ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イタリア | 1950年-1951年 1963年 1965年 1979年-1985年 | 0回 | 2回 |
イタリアの自動車メーカー系コンストラクター。
F1初年度の1950年にドライバーズタイトルを獲得し翌1951年も連覇した、F1黎明期のトップコンストラクターだったが、資金不足から1951年を最後に撤退し、1979年から本格復帰した。
ちなみに2019年からF1に参戦しているアルファロメオレーシングは、ザウバーのネーミングライツのため、一般的には別コンストラクターとしてカウントされている。
シャドウ
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イギリス | 1973年-1980年 | 0回 | 0回 |
1973年から1980年までF1に参戦したコンストラクター。
アメリカのCan-AMで活躍したのち、1973年にイギリス支部を立ち上げてF1に参戦した。
1977年のオーストリアグランプリでは、アラン・ジョーンズが予選14位から快走してチーム初にして唯一の勝利を記録した。
しかしその年の終わりに主要メンバーがこぞってアロウズに移籍し、チームは衰退。
1980年第5戦ベルギーグランプリ後にテディ・イップがチームを買収し、シャドウの名がグランプリから消えた。
ライフレーシングエンジニアリング
チーム国籍 | 参戦年度 | コンストラクターズ タイトル | ドライバーズ タイトル |
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イタリア | 1990年 | 0回 | 0回 |
1990年のF1に参戦したコンストラクター。
国際F3000マシンのマーチ88Bの改良型シャシーに、元フェラーリのエンジン設計者フランコ・ロッシがデザインしたW型12気筒というヘンテコなエンジンを搭載して参戦した。
しかしラップタイムはF3マシンよりも遅く、当然結果は予備予選全戦不通過。
結局、シーズン終了を待たずに撤退したF1史に残る伝説の迷コンストラクター。
年代別
ここからは、空力の進化やレギュレーションの改定により変化するF1マシンの形状の違いを、年代別に見ていこう。
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